EP2 噂との遭遇

 俺が橘高きつたか桜生おうせいと出会ったのは、『雷雲らいうん一斗いちと』という名前がついて、しばらく経った頃だった。町中の不良たちと喧嘩をしつくして、隣町にもちょっかいを出し始めていた。それでも『血の桜』とは会うことができず、話ばかりが耳に入って来ていた。

 だから、俺は町をふらふらするのが日課になっていた。喧嘩はしない。というか喧嘩を売れない。町の不良たちは俺の姿を見ただけで逃げていく。喧嘩にもならない。

 そんな風に、町をふらふらとしていたある日。

「……おい」

 向かいから歩いてくる赤髪の男に、声を掛けられた。見るからに不良と分かる細い釣り目で、俺を睨んでいた。何をしたわけではない。少しちらりと見ただけで殴り合いになるのが不良なのである。

 俺は少し身構えた。すぐに臨戦態勢になったわけではなく、ただ警戒した。この辺りの不良たちは俺を見ると逃げていくのが常だ。しかし、こいつは逃げない。

「なんだよ。俺に何か用か?」

「お前に会いたかった。南雲なぐも一斗」

 やつは俺の名前を知っていた。通り名は有名だけれど、本名を知っているやつなんてそういない。

 こいつは、誰だ?

「お前の名前を教えろ」

「その必要はねえだろ――!」

 いきなり拳が飛んできた。表情一つ変えず、声も出さず、息も乱さず、拳を頬に食い込ませた。状況を掴む前に口の中で血の味がした。重い一撃だった。重力が急に何倍にもなったように、体が一気に動かなくなった。

「『雷雲の一斗』なんて大仰なあだ名だったみたいだな」

「なんだと」

「一発で口から血が出ているじゃねえか」

「うるせえ。こんなのでもねえ」

「そうか。なら、もう少し遊ばせろ!」

 ははは。

 はははは。

 ははははは。

 ははははは――ははははははははっ!

 俺は笑いながら殴られた。喧嘩というより、一方的な暴力だ。殴られても殴り返す暇はなく、蹴られても避ける暇はない。俺は完全におもちゃ扱いされている。殴られて、蹴られて、殴られて、蹴られて――

 いつの間にか肘や膝に傷ができ、体中が痛くなっていた。もしかしたらどこかの骨にひびが入っているかもしれない。あざは多分体中にできている。転がっているだけでもじんじん《・・・・》と痛みを感じる。

「ははは――はははは! はははははははは、ははははは、ははは! はははは! ははははははははは! ははは――ははははははははは! ははは――はははは! はははははははは、ははははは、ははは! はははは! ははははははははは! ははは――ははははははははは! ははは――はははは! はははははははは、ははははは、ははは! はははは! ははははははははは! ははは――ははははははははは!」

 笑いが止まらない。そして手も足も動きを止めない。

反撃の余地がない。意識も遠のいている気がする。どこも痛くて、感覚さえなくなっている。肺も痛い。荒くなる呼吸で、痛さは増すばかり。

――こんな相手、初めてだ。

「――もういい。お前、つまらない」

 やっと、暴力の雨が止んだ。体中血だらけだ。

 血――?

 『血』――?

「……お前、『血の桜』?」

「お前もその名前を知っていたのか」

「でもお前――」

 不良なんかじゃない――お前は。

「――化け物だ」

 俺の意識はそう言ったところで途切れてしまった。

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