第5話 頼れる大人が見抜くもの

 俺はまた授業をさぼった。怪異に巻き込まれてから、またサボることが増えた気がする。中学の頃とは違って、人助けの要素も入っているからあり……なわけないか。実は陽菜ひなにさぼらないように口うるさく言われていたりするのだ。とはいえ、今回は急を要する。言いつけを破るのは申し訳ないけれど、彼女だって事情は分かっているはずだ。ある程度なら、許してもらえる……か? 俺はまだ、あいつのことを知り切れない。

閑話休題。

行先は、いつものところだ。あの妖しい雰囲気をかもし出す図書室司書がいる、あの場所だ。

「またサボタージュかい」

 カウンターから聞こえたのは、長い白髪を束ねたのを揺らす古本ふるもと海凪みなぎ司書の声だった。

「サボりじゃねえよ。ちょいと調べていることがあってな」

「ふうん」

 先生は静かに燃える赤い瞳を丸い眼鏡の向こう側に隠し、手元の本に視線を落とした。

 ――美しい。

 男の俺でもそう思ってしまうようなその顔は、桜の花のように儚げで、しかしその赤い瞳にどこか強い芯を感じる。長髪と同じくらい透き通る色の肌は一つの汚れも許さない純白さを覚えさせ――

一斗いちと。ここに来るのはいいけれど、もう少し離れてもらえるかな。読書ができない」

 気付くと、俺はカウンターに身を乗り出して先生の顔を数センチの距離から見ていた。

「悪い」

「君にそういう趣味があるとは思わなかったね」

「違う違う! これは無意識というか、不可抗力というか……」

「冗談だよ」

 先生は本を閉じると、こちらに視線を向けた。赤い瞳は俺を確かに捉えていたけれど、何を言いたいのか、全然伝わってこない。

 やがて赤い目を細めた。

「君、ひどい顔だね」

「急になんだよ」

「その傷を見て言っているんだよ。痛々しいね」

「昨日、ちょっとあったんだよ」

「全く、喧嘩はよくないよ」

「喧嘩なんて言ってねえだろ」

「君が昔、悪い子ちゃんだったのは知っているよ。喧嘩癖ってやつかな」

「………………」

 知っていたのかよ。

話す手間が省けるから、あまり掘り下げないでおくか。

「知っているなら、早速話に入る」

「どうぞ」

「最近、喧嘩を売る幽霊が出るという噂が学校中に広まっているらしい」

「うん。知っているよ」

「俺は今、その噂についてクラスメイトと調べている。詳しい事情は話せないけれど、昨日、その噂の元凶に会いに行った。そして喧嘩をした。それでこのざまだ。俺は負けた。でも、そいつの名前を聞き出すことができた。都筑碧希。この私立七星高等学校の生徒だと言っていた。何か知らないか」

「聞いたことないね、その子は」

「そっか」

「でも、耳に入れてほしい話ならあるよ」

 先生は落ちてきた白い髪を耳にかけて、向き直した。

「なんだそれ」

「聞きたい?」

「聞きたいよ。勿体もったいぶるな」

「焦りは禁物だよ」

「早くしろ!」

 俺はカウンターを強く叩いて、先生に迫った。細くなっている目がだんだんイライラしてくる。なんだ、こいつ。どうしてすっと教えてくれない!

「怖い顔だね」

「……うるせえ」

「君の恋するあの子にもそんなことを言うのかい」

 

『もう、怖い顔しないの。こういうときこそ、笑わなきゃ』

『笑うって、傷だらけで笑うともっと痛いんだけど』

『それでも笑うの。不景気な顔をしていると、どんどん状況が悪くなっちゃうわよ。とりあえずできることはやったんだから、今は楽しい話でもしましょ』


「お前とは楽しい話なんてしねえよ」

「何の話だい?」

「なんでもない――で、なんなんだよ。話って」

「焦るなって言っているだろう。君、いつになくイライラしているね。昔のことでも思い出したかい?」

 昔――俺の昔。

 あの時代は、あまり思い出したくない時代だ。

「図星かな」

「……うるせえ」

「答えたくなかったらいいんだけど。僕は君の思う以上に、君のことを知っているんだからね。何年か前の君の噂はちゃんと知っているよ――『雷雲らいうんの一斗』」

「――――――!」

 どうして、それを!

 俺はその名をとうの昔に捨てたのに!

「驚かないでよ。僕はずっとここにいるけれど、ここにはいろんな人が来るんだよ」

「……俺にもうそんな名前はない」

「知っているよ。中学の頃と比べて随分柔らかくなったんでしょう。今はただの南雲なぐも一斗いちとだって、よく知っている――そして、君が《・・》誰に《・・》目をつけている《・・・・・・・》か《・》もなんとなく知っている」

 と、先生は俺の目をじっと見つめる。

 赤い目は、きっと分かっている。

 そしてようやく、先生は話を始めるのだ。

「君の話と関係あるか知らないけれど、橘高きつたか桜生おうせいという生徒が暴力沙汰で停学処分になったっていう話を聞いたよ。暴力沙汰、つまり喧嘩だ。校内では結構有名な悪い子で、暴力沙汰を起こしては何度も処分を食らっている筋金入りのワルだよ。最近は卒業式も近いからか大人しかったんだけどね、どうしてか最近また喧嘩をしているらしいよ。留年は決定だね」

 橘高桜生――筋金入りのワル、か。

「どうしてそんなやつのことを知っているんだ? 図書室に来るのか?」

「話だけ聞いたんだよ。僕は顔すら知らない」

「そうか」

「何度も処分をもらっている子はどうやっても有名になるよ。留年もしているみたいだしね。ところで、君はお知り合いなんじゃないかな」

「………………」

「おっと、また『うるせえ』とか汚い言葉を掛けられるのかと思ったけど、このことは本当に探られたくないみたいだね」

 探られたいわけがないだろう。俺にとってあの過去は、本当に捨てたい過去なのだ。捨てなければいけない過去なのだ。

「昔、何があったかよくは知らないけどさ、逃げてばかりじゃいけないよ」

 先生は赤い瞳で俺の心を見通すようにじっと見つめて、言った。

「……うるせえ」

 こいつは確かに頼れる人間だけれど、警戒心を解いてはダメなのだ。こいつの赤い瞳は優し気に見えて実は、かなりいろいろなことを見抜いているのだ。

 そして何より、こいつは生きるのがひどく上手なのだ。

 だから、こいつの言うことは聞いておいた方がいいことを、俺はよく知っている。

「……俺は、その人を知っている。会ったことがある。少し昔に」

 と、俺は言った。

「そう」

 先生の返事はそんなだった。

「どうしたら会える?」

「さあね。僕は話を聞いただけだから、知らないよ。片っ端から喧嘩をふっかけていったら会えるじゃないかな」

「それは嫌だ」

「だろうね。会えるかどうかは分からないけど、いそうな場所なら見当がつくよ」

「なんだよ、知っているんじゃねえか」

「知っているわけじゃないよ。ただの予想だ」

「なんでもいいから、早く教えろ」

「――ここから一番近い廃ビルだよ。君の家の方向にあるはずだから、すぐ見つかるよ」

 小さな紙がカウンターに置かれた。地図だ。いつの間にこんなものを用意していたというのか。これを見てみると、家からは歩いて数分、学校からは数十分といったところだ。遠くはない。

「……ありがとう」

「素直にお礼が言える子だったんだね」

「バカにするな。俺はもう高校生だぞ」

「まだ子供でしょ」

「うるせえ」

 地図を制服のポケットにねじ込んで、図書室を出た。

 六時間目の授業がもう半分ほど終わっていた。

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