第3話 噂の実証、対決する

 そういうことで、現在。学校から直接、喧嘩をふっかける幽霊が出没するという白梅公園というところに来ていた。俺が毎日通る通学路とは逆方向なので、全然知らない公園であった。大きな梅の木が印象的な公園だ。季節も季節なので、梅の綺麗な花が咲いていた。とはいえど、基本的には普通の公園だ。ブランコも滑り台もシーソーもある、普通の公園だ。

「ここに幽霊が現れるのか?」

「そういう話だけど、友達の友達から聞いた、みたいなかなり曖昧な話だよ」

「分かってるよ。そういうのを噂っていうんだろうが。どうやったら現れたとか、聞いてないのか?」

「どうやってって?」

「呪文を唱えるとか、合図があるとか」

「聞いてないけど……」

「喧嘩売られたやつの共通点とかないのか?」

「共通点……あ! みんな、一人だったって言ってた!」

「タイマンってことか」

「たいまん?」

 やべえ、口が滑った。

「なんでもない」

「あたしたちは二人だから、どっちかがいなくならないと現れないんじゃない?」

「その話が確かならな」

「じゃあどうしよう。現れてくれなきゃ、噂を証明できないよ!」

「噂を証明したいのかよ」

「だって面白そうじゃない!」

 そんなことのために、俺を借り出したのか。俺も俺で陽菜に上手いこと乗せられたから、やめるわけにはいかないけれど。

 向こうが一対一の対決を望んでいるなら、その意思をはっきり示せばいい。

 俺は公園のどこにいても聞こえるように、ここにいるという幽霊に、大きな声でこう言った。

「おい。ここに強いやつがいるって聞いて来た。うちの学校のやつを何人かやったらしいじゃねえか。なんの因縁があるのか知らねえが、うちの生徒をボコられちゃ、黙ってられねえんだよ。ここは一つ、タイマンで決着をつけようぜ」

「おもろいやつがおるもんやな」

 声がした。頭上から声がした。梅の木の上から、声がしていた。そっちを見てみると、金髪の前髪を上にあげて結んだ男が、木の上から俺たちを見下ろしていた。

「てめえか。うちの生徒をボコったっていうのは」

「タイマンって言うたな。そないやつ、今までいいひんかったな」

 隣で三留みとめが息を呑んでいるのが分かった。

 こいつが喧嘩を売る幽霊? しっかり脚はあるし、半透明でもない。

「そこにおるんのは誰や。タイマンのはずやろう」

「こいつは見物客だ。気にするな」

「見せ物ちゃうねんけどな、喧嘩ってものは。怪我しても知らへんぞ」

「大丈夫だよ。俺がそんなことさせないから」

「かっこええな。さぞモテてはるんやろうな」

「うるせえ! さっさと降りてこい!」

「いらちなやつは嫌われんで」

 男は数メートルもある木の上からさっと降りてきた。そこでようやく服装がはっきりと分かった。冬というのに半袖の白いカッターシャツに、制服の黒いズボン、腰には制服の上着が巻かれている。

 そして、異様な殺気がぞくぞくと感じる。対峙しただけで分かる――こいつは強い。ちらりと隣を見てみると、すでに三留はいなかった。

「お嬢はんは逃げたで。賢明な判断やなあ」

 俺は早速構える。鼓動がだんだん早くなっている。遊び程度の調査だと思って来てしまったが、どうもそうではないらしい。こいつが幽霊かどうかは分からなくても、こいつがヤバいやつであることは、十分分かる。

「身構えんといてや。怖い顔もせんでええで。ただの喧嘩や。楽しゅうやろう」

 のらりくらりと近づいてくる。

「なめてんじゃねえぞ!」

 俺は拳を大きく振り下ろした――が、その拳は当たらない。避けて当たらないのではなく、当たるはずの拳がすり抜けた感覚だ。

「パンチのあらへんパンチやな。今度はわしの番や!」

 拳に加えて拳。やられたらやられた数だけやり返すなんて、そんな堅い考えはない。喧嘩は殴り合って最終的に立っていた方が勝ちなのだから、相手より強い拳を、相手より多くたたき込めた方が勝つ。

 俺の拳は当たらなかったのに、あいつの拳は俺の体中にちゃんと当たった。

「ぐえぇ」

「かっこ悪い声やな。そのままえずかんといてや!」

 拳、拳。その次は蹴りだった。膝蹴りだ。俺の肩を持って腹を膝で蹴る。胃液が口から飛び散る。肩から手を離したと思えば、左足の蹴りが入った。それも腹に直撃し、俺は後退って腹を抑えた。痛みと気持ち悪さがこみ上げる。

「これで終わりかいな。おもんないな。もっと手応えがあるやつや思ったけど、勘違いやったみたいやわ」

「うる……せえ」

「もう止めた方がええんちゃうのか? かっこ悪いとこ、女に見られたないやろう」

「そん、な……プライド、俺にはねえ」

「かっこええな。そないなボロボロやなかったら、惚れとったわ」

「なめてんじゃねえ!」

 俺は再び拳を握り、殴りかかった。が、また拳が当たることはない。のらりくらりとかわされていく。そして、できた隙に拳をねじ込んでいく。顔。顔。顔。胸。腹。さらに蹴りも。横腹に脚が食い込む。

 気付いたときには、反撃できるほどの体力は残っていなかった。両膝が地面につき、息が荒くなっていた。傷だらけで、冷たい空気が傷口に染み込んで、痛くてもう立てない。何か言いたけれど、声が出ない。唇から血が出て、口の中で血の味が広がる。たまった唾液とともに吐き出した。

「さっき降参しとったら、こないにはならへんかったのに。勝負は引き際が大事なんやで」

「………………」

「あんた、殴ったりするの、久々やったやろ。拳を交えれば分かるんやで。そないなやつがわしの喧嘩を買うたりしたらあかんよ」

 やつはゆっくり近づいてくる。避けられない。動けない。

「傷だらけで可哀想やなあ。そこのお嬢はん、こいつを手当てしたってや」

 三留を呼んだらしい。

 俺は三留に抱えられるようにして、ようやく立ち上がれた。足に力が入らない。五十キロ台後半の体重を全部三留に支えてもらうのは申し訳ないけれど、彼女を松葉杖にしないと立っていられない。

「これでわしらの喧嘩は終わりやで。わしの勝ちや。もういっぺん来てもええけど、また負けんで。わしは喧嘩を止めへん。あいつが来るまでは……」

 そいつはひょいっとジャンプして、もといた木の上へ戻って行った。疲れて顔を上げられないけれど、目で彼の姿を確認した。傷一つない、彼の姿を。

「早う帰れ。ここはわしとあいつの神聖な場所や。血を垂らすな」

「……待てよ。喧嘩は終わっても話は終わってない」

「話? そないなのしてへんかったで。わしらは拳で語り合うたんや」

「じゃあ、さっきとは違う話だ。聞け。お前は一体誰なんだ。どうして喧嘩を売り続ける?」

「――そないなの聞いてどないすん? なんとかしてくれるんか?」

「分かんねえ。お前に興味を持ったのは、俺じゃなくてこの三留って女だからな。俺は付き合わされただけだ」

「じゃあ、そこのお嬢はん。何をしてくれるんか?」

 俺は三留に目をやった。まさかこいつが何か深いわけを持って、俺と陽菜にこんな話をしてきたなんて考えられない。ただの興味だ。でも、こいつの興味がここで絶えるなんて、しつこく毎日プレゼントをもらっている俺は、思えなかった。

「『あいつ』って方を探して、連れて来ます。時間はかかるかもしれないけれど、必ず連れて来ます」

 と、言った。

「無理やなあ」

「無理でもなんでもやってみせます。だから、いろんな人と喧嘩するのは、もう止めて下さい」

 三留の方を見ると、その目は真っ直ぐと木の上のあいつのことを見ていた。

「ははは。はははは。ははははは――おもろい女の子やな。君に免じてしばらくは喧嘩しいひんでおくで。そうやなあ、三日くらい我慢すんで。三月三日まで待ったる。それまでにあいつを連れて来い」

「分かりました」

「ほな、首を長うして待ってんで」

 そいつは木の上に器用に横たわって、目をつぶった。あの喧嘩のあとで呑気に昼寝なんて、ふざけた野郎だ。

 三留は俺を抱えながら公園の出入り口へ歩いて行った。

「……悪いな、三留。こんなことさせて」

「いいのいいの。一斗いちとに頼られるなんてこの上ない幸せだよ」

「――ちょい待て」

 あと一歩で外に出るというタイミングで、寝たはずあいつが声を掛けた。振り返れるほど余裕がなかったので、その続きは背中で聞いた。

「軽う自己紹介をしたる。そこのお嬢はんが気に入ったんや。ちょいとしたヒントってことで、まあ聞いて行け」

「……ああ」

「いっぺんしか言わへんさかい、よう聞け――わしの名前は都筑つづき碧希あおき。あんたらとおんなじ、私立七星ななつぼし高等学校の生徒や」

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