ギミックをしかける⑫
「こればかりは私に文句を言われても困るよ」
「わかってるよ」
僕はふらつく足取りで外へと続く通路を歩きながら、ギミックの言葉にそう返した。しかし五日も寝ていると、人はこんなにも肉体を衰えさせてしまうものかと感心する。
「けど、ありすはあれで良かったのか?」
「うん、あの感じ。お母さんに会ったなって気がするよ」
「そうだね。どうせ自立したメッセージ機能を制作したところで満足したんだろうさ。内容なんかこれっぽっちも考えてなかったに違いない」
「まあ二人が納得してるなら、それでいいよ」
外に出る扉を開くと、都内の公園内はぼんやりと薄暗かった。日はまだ昇ってはいない。この景色が光に包まれると同時に、全人類が眠ったまま死に絶えるのだ。そうなってしまう前に僕達にはしなくてはならないことがある。
ギミックを見送ること。
最期の場所は何処が良いかと尋ねたら、彼は「空中庭園」と答えた。こいつは空が好きなんだなと、今更になって気づいた。
電車を乗り継いで目的地を目指す。それはいつかの行程と同じであった。ただ僕達三人だけのために列車が動くというのはなんとも奇妙な感覚だ。ホームに降りると待ち構えているのは次の列車だ。快適すぎて唸る。自動運転だから車内には僕達三人しかいない。
それどころか都内、いや世界中を探しても動いているのは僕達三人だけであるのだ。皆々いまだに眠りの世界についている。そのことが不思議でそして静かな高揚感を覚えた。
だれも特に言葉を発さずに移動する。
いつもはそんなに気にならないはずの電車の駆動音と振動ばかりが響きわたる。
カタンカタンと。
僕はというと、この夏の出来事を振り返っていた。
空中庭園でギミックと出会ったことから始まり。様々な体験をさせてもらった。あのときの僕はただ退屈する日々を嘆いている若者だったはずだ。それが今はどうだろう、人生がつまらない? とんでもない話だ。
世の中は面白いことに溢れている。
素敵な光景に彩られている。
こんなにも素晴らしい世界をつまらないなどと、どの口が言えるのだろう。
そしてそのことを教えてくれたのは隣にいるギミックである。
彼は今では懐かしい気もするウサギ型のマスコットのような風貌でアリスの肩に乗っている。彼は人工知能だ、人間ではない。だがそのことが僕達の関係性に何するものだというのか。
僕はなんだかんだ言いつつも彼のことを大事な友人だと思っているのである。
決して本人にそれを伝えるつもりはない。こいつなら勝手に人の気持ちを盗み見るに決まっているのだから。
そんなことを考えながら目的地に到着する。
薄暗い庭園内は夜露にまみれ、高所ゆえの強風によって巻き上げられて、ひんやりと涼しい。そして遠くの地平よりぼんやりと赤みがさしてくるのが視認できた。
夜明けは近い。僕達には残された猶予はもうないのであった。
「それでありす。私の消し方とはいったいどういう方法なのかい?」
「なんだギミック。お前知らなかったのか?」
「せっかくだから最期まで知らないでおこうと思ってね」
「なんのせっかくなんだよそれは」
「わたしもそう思うよ、ギミック」
そしてありすが語るには、ありすがギミックと接触してとある符丁を口にすればいいという。非常に単純で分かりやすい。ただそれ故に、ありすの手によってギミックが活動を停止させられることを明確に示してくれる。
二人は何も言わずに握手するようにして、手と手とを触れ合わせる。片や実体のないホログラフィであるために少しだけ手間取っていた。
「昔を思い出したよ」
「どんな?」
「君がまだ言葉もまともに話せない頃にこうして手をつないだことがあったんだ。いつか実体をもって触れ合ってみたいと願いをもったものだが――ついぞ叶うことはなかったなぁ」
「それは素敵なことだね」
「だったら、そうすればいいのじゃないか?」
僕が問いかけると、二人は疑問の視線を向けてくる。
「僕の身体を貸してもいいぞ」
「君はそんなにしてまで、ありすと触れあいたいのかい?」
「そりゃ、お前のことだろうが」
「違いないけれど――」
そうしてギミックは考え込むようにして黙り込んでしまった。ありすが確認するように問いかける。
「できるの、ギミック?」
「可能だね。ただ、もとみ嬢のときとは話が違うよ。彼女は言うなれば私が外部から遠隔操作していたような状態だったんだ。私という存在がありすと触れあうという条件を満たすには、ガっちゃんの脳内端末の中、ひいては心の中に私という全てを凝縮する必要がある。大量の情報を短時間とはいえ過密して、しかも強制消去しようというのだ。どんな影響がでるか分からないよ?」
「そんなに危ないことなのか?」
「いや十中八九、大丈夫だろうけども」
「ならいいさ、あとはギミックが決めてくれ」
「ではお願いする」
決まってしまうと話は早い。ギミックは一度、ありすから離れて僕の方へとよってきた。
「思えば、君は不思議な男だったよ」
「なんだよ急に」
「いいから素直に聞きたまえ。最後なんだから」
「最後なんだから普段通りにしないというのは好かん」
「そう言って、平静を保とうとするのは涙ぐましいがね。泣きたいのなら思い切り泣いたっていいんだよ、胸を貸してあげようかい?」
「ほっとけい」
僕は決して泣きそうになどなっていなかったが、胸が原因不明の詰まりを起こしたために声が出ない。
「君は不思議な男だった。こんなに先の予想がたてにくい男は初めてだった」
「そうなのか」
「ああ、単純な行動規則しか持ち合わせていないくせに妙なところで捻くれている。まったく君という人間は天邪鬼だよ。私にそっくりだ」
「前々から思っていたが、俺はお前との似ている部分なぞ欠片も思いつかん」
「そうだろうさ、だからこそさ」
「お前の話は本当にわからん」
「わからせるつもりで話していないからね」
「ゴチャゴチャとうるさいな。いいからさっさとしろよ」
「はいはい、それでは失礼して」
そう言ってギミックはもう一歩僕の方へと近寄る。僕はその寸前に一言だけ彼に伝えておいた。
「じゃあな、ギミック」
「ああ、ガっちゃんも元気で」
そうして僕は意識を失った。
世界が暗転している間のことは、何一つとして覚えてはいなかった。ただ、自分の中に大きななにかが入り込んで、そしてパッと消えてしまったという感覚だけ。余韻も何もない、大変に潔く、大きなそれは僕の中から消え去っていった。
気がついたならば、世界は明るくなっていた。
「眩しいな」
煌々と照らしてくる朝日を見つめながら、僕は呟いた。大都会のビル群の海が、赤い光に照らされていく。膝立ちで屈みこむ僕のことを、大事な何かの様に、抱きついていた少女が答える。
「もう朝だよ、ガっちゃん」
彼女はもう彼はいないと気づいても僕を放そうとはしなかった。それどころかギュウとさらに強い力を込めてくる。
まるで失った体の一部を必死で埋め合わせようとしているように。
「あいつは?」
「笑ってたよ」
「ああ」
僕はニンマリと笑む、まるで悪だくみをする小悪党のような姿を思い浮かべる。だが「ううん」とありすが首を振った。彼女のフワフワの髪の毛が首筋をなでてくすぐったい。
「とっても楽しそうに笑ってた」
「想像つかないな」
嘘だった。そんなの簡単に予想がつく。
本当に簡単なのだ。
あいつは人間というものが大好きだった。
人が笑っているのを見るのが好きな奴だった。
そのくせに人が嫌がることをするのだ。
矛盾した奴だ。
人のことを愚かだと言っていた。
だからこそ素晴らしいと思っていたのだ、あいつは。
「『世界はこんなにも楽しい』って言ってた」
「そうだろうな」
その日、地球史上初となるであろう、意志を持つ非生命体が消えた。
同時に、未曽有の大虐殺は回避されて。
仕掛けのない世界のみが残された。
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