ギミックをしかける⑪

 気がつくと水面の上に立っていた。

 不思議な空間で海上に立っているようだった。しかし海ではないことはわかる。何故ならば水中を決して覗くことができない。海面は鏡の様に大空を映しているのだ。まったくもって綺麗な表層でそれが水なのだと理解できたのは足を動かすたびに波紋が広がるからに他ならない。視界一杯に拡がっている青と白のコントラスト。よって世界は大空の真っ只中にあるように感じてしまう。僕は現実においてそんな光景があるのを知っていた。ウユニ塩湖。それの足元まで鏡になった場所だと表現するのが近いのかもしれない。

 最初にこの世界群に訪れた、丘陵地ばかりが拡がる空間。その対極にある世界の様に僕には感じられた。


「ギミック、どうしてこんな世界にしたの?」

「彼女に大空を一杯見てほしかった。そんな私の願望だね」

「お母さんは空を見たかったの?」

「いや、毛ほどもそんな気持ちは持っていなかったよ」


 ギミックは「結局は私の感傷の問題だ」と語る。「だろうねえ」とありすは訳知り顔に頷いていた。そんな風に言われてしまうありすの母親とはどんな人だったのだろうと僕は疑問に思うばかりだ。

 だが、そんな疑問はすぐに解決することになった。僕たち三人の少し先に、一人の人物が立っていることに気づいたからだ。


「お母さん」

「あら、ありす。久しぶりね」


 その人はありすに似ていた。サラサラとした細い茶髪は完全に同じで、眉目鼻筋などは、大人になったありすを容易に想像させる。ただ、雰囲気のみが違っていた。ありすがフワフワ活発と表現できるなら、この女性はフラフラ胡乱気だろう。表情のそれは完全にギミックである。


「私ね、お母さんに謝らなくちゃならないの」

「あら、なにかしらね」


 再会の余韻というものもなく、ありすが語る。ありすの母、あおいさんというらしい。彼女も大人しくその言葉を聞いていた。


「もうお母さんに会えないって聞いたときね。わたしは自然と涙は出てこなかったの。悲しかったんだよ、それでもね『ああ、そうなったんだなあ』って簡単に納得できちゃって。おうちに帰って頑張って泣こうとして泣いたの」

「あら~」

「薄情な娘でごめんなさい」


 ありすはペコリと頭を下げる。それは彼女にとっての心のしこりだったのだろう。それを解消するための行動は推奨されるべきだろうが、死別した母娘の再会の形として、これはどうなのだろうか。結局、部外者の僕にはわからない。


「別にいいわよ、そんなこと。我が娘にむせび泣いてほしいと思って死んだわけじゃなし」

「そっか」

「そうよ」

「けど、そんな風に言ってくれるお母さんは、私の願望から生まれたんだよね?」

「違うわよ」

「え」


 そこでありすがキョトンとした驚きの顔を見せる。僕も同様の気持ちだった。ギミックの話であればここはそういう場所であったはずだ。あおいは責めるような目つきでギミックへと向き直る。


「ちょっとギミック、ちゃんと説明しなかったの?」

「まずは会ってみてから、それの方が理解はしやすいだろうに」

「あんた意地が悪いわ」

「きっと親に似たんだろうね」


 あおいはギミックの馬耳東風のその様子に「ふん」と一息だけつくと再びありすへと顔を向けた。


「いい、ありす。私も命の危機というものを察知していたぐらいなのだから、我が娘に何かしらを残しておこうと思うぐらいの親心は持ち合わせているわ、そしてそれが私」


 彼女はふふんと偉そうに鼻息を荒くする。そこは自慢げにするところではないと思うのだが、随分と愉快な性格の母親であるようだ。

 そして彼女が語るところには、この世界において唯一願望ではない虚影、それが自分だというのだ。


「まあ、ギミックみたいに人格を確立しているわけじゃないから。よくできたビデオレターとでも思っておきなさい。基本的に私が言いたいことを言うだけなのだから、そっちからの質問は受け付けないわ。ボロが出ちゃうからね」

「まあ、そういうことだね。では、ご高説を拝聴するから早く話して欲しいものだが」

「そこなのよ」

「はい?」

「娘に残すべき言葉っていったい何だと思う、ギミック」

「はあ、相変わらずだね君は」


 あのギミックが呆れた様に息を吐いているのである。その二人の様子を見て「あはは」とありすが笑った。「本物のお母さんだ」彼女は泣き笑いのように声を震わせていた。


「ところでそちらの方は誰かしら。ありすの彼氏さん?」

「いえ、友人です」


 聞き捨てならないことを言い出したので即座に訂正する。すると彼女は露骨に舌打ちをすると「違うのか」と残念そうに呟いた。


「それじゃあ仲良くしてあげてね。それとありす、あなたが選んだ相手ならお母さんは何の文句もないから好きなようにしなさい。一度の人生、面白おかしく生きなきゃね。それじゃあ」


 そして口早にそう告げると、彼女が「バイバイ」と手をふった。彼女は何を言っているのだろうと疑問に思うと、僕は唐突に目が覚めたのだ。


「え」


 天井が高い部屋。寝台に横たわった僕はそう戸惑いの声をあげる。しばらくは現状が分からない。しかし段々と覚醒すると理解する。ここは東京の地下。かつてのありすの邸宅の一室なのである。


「これで終わりかい!」


 あまりにもあんまりな夢の結末に、僕はそう嘆かずにはいられなかった。

 あの幻想的で、素晴らしい世界群達が恨めし気にこちらを見ているような気がした。

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