ギミックをしかける⑩

 あれからありすと愉快な仲間たちは、つまりは僕達のことであるが、様々な世界を駆け巡った。宇宙にて無重力を楽しんだ後に絵画の中へと旅立つ。宇宙遊泳や騙し絵の部屋の中に長時間滞在したせいか、平衡感覚というものが馬鹿になっている、踏みしめる大地の力強さがありがたかった。その他にも、既存の物語や作品の世界にも潜り込んでいった。その数はそれこそ星の数ほどに拡がっており、すべてを網羅することなぞ不可能である。だが各々の好みの作品へと入っていき、互いにああだこうだと感想を述べあうのはとても楽しい。僕はSFが好きで、ありすは怪獣特撮、ギミックは時代活劇。誰もファンタジーや児童文学を嗜まないので、ありすの元ネタにはたどり着けなかった。

 これでいいのかと思いはしたが、これがいいのだ。

 途中で様々な人間とも出会った。

 気の良い男性がいた。現実で精神的に追い詰められていた女性がいた。ありすと仲良くなった少年少女たちがいた。この世界をなんとかしろと政府関係者すら追いかけてきた。それらすべての出会いを含めて楽しかった。皆々、最後には笑顔で別れた。いつか現実においても同様の気持ちで再開しようと約束したのだ。

 そんな邂逅が仮想世界のいたるところで繰り返されていた。

 そうして時間を忘れて旅を続けること幾日。この世界群には一日という概念がないために経過時間はあやふやである。だがはっきりとギミックがその時間を告げたのだ。


「これが最後の世界になるね」

「もうなのか?」


 それに対しありすは何かもの言いたげな顔になるも「うん、わかった」と素直に頷く。そのまま僕達は目的の世界へと向かう。最後の世界としてギミックが選んだのは『もしも』の世界であった。そこにはありすに見せたいものがあるのだという。


「前にも話に出ていたけどどういう所なんだ」

「そうだね、まずはその目で見てもらってから説明しよう」


 赴いたその世界はなんと一つの部屋であった。その面積は狭く、四畳半ほどしかないであろう。その部屋の中央には卓が一つ置いてあり、金属で出来た大きな花弁のような機器がある。パラボラアンテナのような朝顔のようなその機器は名前が分からないが、どこかで見た旧い機械だというのは分かった。


「こりゃなんだ?」

「蓄音機だよ」


 聞いたことがあった。かつて録音という機能がなかった時代。この機械の登場とともにその言葉は生まれたのだ。


「これに向かって、願いを言ってごらん。そうするとこの部屋に出たときに君は望んだ世界を手に入れることになるだろう」

「なるほど」


 つまりは各個人の願いをオーダーメイドする世界なのだ、ここは。それはなんとも夢がある、そして無情な世界である。願いを叶えるとは人類の夢見る最果てであり、それ故に努力や気概そして希望、およそ多くの人が尊ぶそれらを台無しにしてしまうものであった。


「なにか願いはあるかい?」

「そう言われてもなあ」


 ここに来るまでに僕の欲望というものはある程度、満足しているのである。およそ俗人の域をでない僕の願いなど、一般向けに開かれた世界によって解消できてしまうくらいのものであった。

 そうして願いを絞り出すようにして考えていると、部屋の外から来訪者があった。いや、この世界においては扉をくぐってこの部屋にやってくるのは帰還者であるはずだ。


「あら哲生じゃない」

「久我君?」


 戻ってきたのは僕の母親ともとみの二人であった。奇妙な組み合わせで、その関係性のハブが僕ということもあり、説明できない不安を感じる。


「どうして二人が一緒に?」

「あら、気になるのかしら。いいじゃない、私がもとみちゃんと仲良くしていたって。あんたにも都合がいいでしょうに」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるのは母だ。息子の恋愛事情を知る母親というのは厄介だ。もとみはというと気恥ずかしそうに微笑んでいる。


「ギミック、知っていたなら教えろよ」

「はて、何でもかんでも私の仕業にされても困るな、二人とは偶然出会ったんだよ?」

「ウソをつけ」

「まあまあ、ギミックさん。素敵な世界を造ってくれて、ありがとうございました」


 いつものやりとりを開始しようとした僕を遮るように、母がギミックの前に出た。そして彼女は非常に折り目正しく頭を下げたのだ。僕の知る限り、それは母にとって最大限の礼をつくした所作であった。


「おかげでいい夢を見させてもらいました。私はこれ以上、何も言うことはありません」

「いったい、何があったんだ?」


 母のその様子を疑問に思い尋ねた。顔をあげた彼女の顔を見る。すると目じりに薄っすらと涙の跡が見える。しかしその表情はじつに満足気で、爽快な笑顔であった。


「お父さんに、会っていたのよ」

「親父と?」

「ええ、出来ることならば、あんたと一緒に再会したかったのだけれど、それは思いとどまったのよ。あそこにいたあの人は、私の知ってるお父さんだったから。あんたの知る父親では決してなかったと思うの。でも一人であの人に会うのは気恥ずかしかったし、もとみちゃんに一緒に来てくれるようにお願いしたの。おかげで彼女を紹介できたわ。お父さんね、すっごく悔しがってたわよ。息子にこんな可愛い彼女が出来たんかって。まったくもって失礼だと思わない?」

「そうか」


 母は頬を紅潮させて喋るものの、息子たる僕としてはそんな一言を口に出すのが精一杯であった。まったくもって気の利かない息子だ。


「ガっちゃんも父親に会ってみるかい。時間ならまだあるよ?」

「いや、いいよ」


 ギミックの話を聞いていた限り、会えるのは僕が知っている父親の姿なのだ。それは僕が小学生の頃の父だ。どんな人だったのか、それを知りたい。そしてもう一度会いたいという欲求は確かにある。だが、今は会う時ではないのだと感じてしまった。今を逃したら次なんて絶対にない。それは分っているが、感じてしまったものは仕方ない。そんなところが僕が天邪鬼だと言われる所以なのだろう。


「しかし、そうか。ここはそういう所なんだな」

「あくまで一つの使い方としてだがね。そして私たちの目的もそれにあたる。心の準備はいいかい、ありす?」

「お母さんと、会うの?」

「その通りさ」


 ギミックは説明をする。元々、この世界群の始まりはこの世界からであったと。

 ありすと彼女の母親を邂逅させる。その目的をもってギミックが作成し、宝塚にそのための道具を依頼した。その後、後付けの理由をもってギミックが全人類のための娯楽世界群を創造したのだ。

 ありすは不安そうに顔を下に向けると、即座に顔をあげる。「わかった、会う」と気丈にも首を縦に振った。


「ガっちゃんも来て欲しい」

「僕もか?」

「私としても異存はないよ」


 僕としてはありすたち家族の話であるから同席は遠慮しようとしていたところでのお誘いであった。戸惑っていると「お願いします」とありすから改まって言われてしまう。そこまでされて断るわけにはいかなかった。


「ではありす、その機械に向かって言ってごらん」

「うん、わかった」


 ありすは蓄音機の前に進み出た。そこで一度ふりむいて母に尋ねる。


「ガっちゃんのお母さんは、お父さんと会えて嬉しかったの?」

「ええ、もちろんよ。ありすちゃんもきっと大丈夫だから、安心しなさい」

「うん」


 ありすが頷くと、もとみが一歩前に出てギミックに話しかけた。


「ねえギミックさん。これでお別れなのかな?」

「ああ、もとみ嬢。これでお別れさ。名残り惜しいね、君には随分と世話になったよ。ありがとう」

「私も、ありがとう。あなたに会えて良かったよ」

「うむ、ガっちゃんのことをよろしく頼む」

「どうして俺はお前によろしく頼まれにゃならんのか」

「あはは、分かったよ。頑張る」


 そうしてもとみとギミックのお別れは済んだようだ。それを確認してありすが改めて蓄音機へと向き直る。そして一度、大きく息を吸うと言った。


「お母さんに会いたい」

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