ギミックをしかける⑨

 『快楽の園』にて受けた衝撃を僕が未だに引きずっていたならば、宝塚から連絡が入ったことに気づいた。宝塚の家族がありすに会いたがっているので合流したいという旨であったが、どうにも宝塚自身はギミックに用があるようである。それを二人に伝えると了承される。そのまま一つの世界へと足を運んだ。

 そこは『温泉郷』だった。

 名前の通り、温泉がたくさんあるという世界である。世界の名だたる鉱泉がそろっているというのは非常に魅力的ではあるが、『魔法』の世界の湧き上がる興奮や『快楽の園』での怖気立つ狂気に比べたら、いささかパンチに欠けるのは否めない。しかし一休みできるというのは今の僕にはとてもありがたい話である。


「やあ、よく来てくれたね」


 到着するなり宝塚がいつもの人好きのする笑顔を向けてくる。そのまま彼の家族を紹介された。長女とは面識があったものの、奥さんと次女とは初対面であった。皆キリリとした目鼻立ちの美人である。どうやら娘さんたちは奥さんの血を濃く継いだに違いない。


「来たわね、ありす。それじゃあお姉ちゃんたちと裸の付き合いをしましょうか」

「えーでも、もうちょっと遊びにいきたい」


 次女が大仰にありすに抱きついて小さな体をひょいと抱えあげると、ありすは不満そうに呟く。「仮想空間でお風呂に入る意味なんてないんじゃ?」とブツブツと言っている様は彼女には珍しく、どうやら姉妹仲は良好なようであった。


「だめよ、あんたはそれでなくても身体が弱いんだから。一度ゆっくりしなさい」

「うん? ちょっとよくわかんない。元気だよ?」

「今は元気でも昔は違ったでしょうが、あんたが赤ん坊の頃なんてすぐに熱を出して、お姉ちゃん本当に大変だったんだから」

「いや、昔から元気だったよ。そしてその頃はお姉ちゃんとは面識ないよ?」


 ありすは次女の言葉に冷や汗をかいているようである。怯えるようにビクリと身体を揺らしていた。


「またそんなこと言って。血を分けた姉妹なんだから、遠慮せずにお姉ちゃんを頼りなさい。いいわね」

「わけてないよ!?」

「照れちゃって、可愛い」

「目が怖いよう」


 ありすが鬼気迫る様子で「ガっちゃん、ギミック、助けて!」と叫んでいる。宝塚家の次女はどうにも変わったお人柄のようだ。すると宝塚の奥さんが「まったくおかしなことばかり言う娘で、お恥ずかしい」とこちらに釈明してきた。別に見る分には楽しいので構わないと思う。「わたしはかまうもん!」と手をシャカシャカと上下させながらありすがわめいていた。

 そして奥さんは姦しい娘たちを伴って先に行ってしまう。ありすの救助要請は絶えず鳴り響いていたが、大人しく傍観することにした。


「最近どうにも、ありすくんの元気がなかったからね、戻って嬉しいのだろうさ。それじゃあ僕達も行こうか」

「はい」

「お供するよ」


 そのまま男三人組で温泉郷を歩く。

 ここはどこの温泉街をイメージしてつくられた場所なのだろうか。古風な日本家屋が連なる街道の中央に小さな小川が流れている。それを横目に見てカラコロと周りの人々が鳴らす下駄の音を聞きながら歩いていくと、ふと頬に冷たい感触があるのに気づいた。ヒラヒラと雪が舞い散り始めていた。どうやら季節というものは関係ないらしい。


「これは凄いね、風情というものがある」

「気に入ってくれて何よりだよ」


 考えてみれば現実に温泉旅行に出たとしても、このように幻想的な風景に出会うというのは稀であろう。何処にだってその時々の時風というものがある。そうそう都合よい巡り合いというものはない。そう考えると、ここは仮想世界なのだなと、実感する。

 適当な湯屋に入り、脱衣所を抜けて、湯船につかる。身に染みるような温かさに思わず間の抜けた息を吐いてしまった。


「いやこの年になると、目新しい刺激に興奮ばかりしているのが辛くてね、たまにこうして気を休めなければとても持たないよ」

「そういう人間も多いね、今までなかったものや実現できなかったものを望むよりも、懐古主義で今までに通り過ぎたものこそを尊ぶ気風だ」

「いやいや、私とて研究者のはしくれだ。古い慣習にしがみついて新風を疎み過ぎるというのはよくないと理解しているよ。まあそれでもね」


 僕がぼんやりと湯の温かさと雪模様の空の寒さを楽しんでいたら、宝塚とギミックは会話を弾ませている。この二人はどうにも馬が合うようで楽しそうに会話することが多い。


「ところでこの世界群には『もしも』の世界なんてものはあるのかい?」

「もちろんあるよ、けれど――」

「必ずしもそうなったとは限らないと」

「そういうことだね」


 二人の会話の意図がつかめなかった僕は説明を求めた。すると『もしも』の世界は存在しているものの、そこには「こういう風になっていたに違いない」といった願望が色濃く反映されているものであり、どういう過程をもってすればそこにたどり着けるかは分からないということである。あくまでも望む結果のみを見せるものなのだと。


「いや、安心したよ。そこまで出来てしまっていたならば、それは神様と同じだからね」

「そうだね。私はそんな大それたものじゃあない。自らの分はわきまえているつもりだ」

「けれど、この世界群はとてもいい。本当に良い。何故ならばこれらが存在する意味を、あまり感じないからだ」


 そこで宝塚は感嘆したようにそう呟いた。そして独自の見解を述べる。


「機械が動くにはね理由がいるんだよ。電源が入ったから起動する。入力があったから、条件がそろったから、システムに基づいて動き出す。そいういものだ。そして同じように人間にもそれが言える。理由がないとね、大抵の人は動かないものさ。理由をもって、目的をもって、望む結末を想像する。結果、違ったものになったのならば過程を吟味する。そうして問題点を修正したのならばもう一度試行する。人生はね、その繰り返しなんだ。僕も研究者とはいえ教育者の身でもあるのだから学生によく言うのさ。『それはどういう意図をもって』『何が狙いで』行うのかとね。それが明確でないとよい研究というものは行えないものだ。今でもその考えに違いはない。けれど一人だけ、そんな僕の考えを反対した人がいたんだ」


 宝塚はそこで苦笑を見せると話を続ける。


「彼女は僕が若い頃の教え子でね、頻繁に反発してきた困った生徒だった。研究の目的を聞いたならば『そんなのはない』と豪語されて絶句したのを覚えているよ。自らの感性のままに、気になった探究をするとね。そのまま二人で口論さ、いやはや私も若かった」

「その人というのは?」

「ありすくんの母親だよ」


 後頭部に手をやりながら宝塚は懐かしむように目を細める。


「僕は自分の考えに疑いをもつことはないけれど、今ではこう思うときがあるんだ。彼女の言い分が一面の事実を現しているのではないかってね」

「いや、その場の思い付きを語っただけだろうから。そんなことはないだろうさ。きっと本人も次の日には逆のことを言っていたはずだよ」

「はは、違いないかもね。けど確かに彼女はね、正しかったんだ。あらゆることに理由を持たせて動いていくなんて、人には出来ないんだよ。人はね、機械じゃない。それをしたならばいつかこういう風に考えてしまう。『どうして人は生きるのか』ってね。生きることにさえ理由を持ってしまう。本当に『そんなものはない』んだ。生きるのに理由なんていらない。それでもどうしても考えてしまう。そうしないと動けないからだ。ギミックくんも同じ疑問に行き当たったときいたよ。そして答えを出したともね」


 宝塚は感心したように言う。


「君は立派だね」

「やめたまえ、照れるではないか」


 そういうギミックは本当に照れくさいようでウサギ耳を垂らして面を覆い被せてしまう。珍しいこともあったものだ。それだけ彼にとって本心に近い話なのだろう。


「『世界中の人を楽しくする』か、そこに目的はあるのかい?」

「もちろん、あるわけなんてないよ」

「違いないさ」


 そこで宝塚は嬉しそうに立ちあがると、声高に述べた。


「ああ、今日は本当にいい日だ。この出会いに感謝しよう。人もウサギも、隔てなく楽しく日々を過ごすのがいい。それが世界を少しでも良くする第一歩に違いないよ」


 秘部をモロダシにして語る宝塚の滑稽さに、僕とギミックは「教授、いきなりなにをしてるんですか」と笑った。宝塚もにやりと悪戯小僧のように笑った。温泉の湯気立ちのぼる寒空の下、僕達は三人で少年のように笑い続けた。


「今日は存分に語り合おうじゃないか、いやこの世は楽しいことばかりだ!」

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