ギミックをしかける⑤
世界の終わりとは、なるほど、こういう風になるのだなと思った。
東に顔をむければ唐突に慟哭するものがいて、西へと目をむければ歌えや騒げやの乱痴気放題。そんな人々の間を駆け抜けるように、今こそ試練の時であり理性を取り戻せと声高に叫ぶ宗教家たち。心なしか彼らの目は活き活きと輝いているように見える。
皆一様にそれまで隠していたナニカをさらけだす。どうせ終わるのであれば踊らにゃ損々と、阿呆になる者ばかりであった。
そしてそんな彼らには目もくれず黙々と仕事に励む人々がいた。それどころかあまりにも生気のない無機質な瞳をした彼らは、ユラユラと幽鬼の如く歩き去っていくのだ。
そんな光景が僕の目の前にある。世界的にも有名なスクランブル交差点の上。
混沌の坩堝。
世間はそう表現して差し支えないものへと変貌していた。
ギミックと対話してから数えて五日目の今日。
あれから世界は徐々におかしくなっていった。
まず世界中の著名人たちから夢の世界へと旅立っていく。世間はそのときまで比較的に落ち着いていた。なにかが起こっていると察知しながらもどこか遠い世界の話だと、みながみな高を括っていた。しかし友人や親兄弟、身近の人物が倒れたとき、彼らの混乱は暴発するように巻きあがる。それと同期するように眠りにつく者の数も膨張した。今では世界中の約半分が目をつぶり続けている。
そうなると社会基盤というものは真面に機能しないであろうものだが、とある理由により、それは解消されていた。眠りについたものが起き上がったからである。とはいっても意識が戻ったわけではない。彼らは眠りについたまま社会における自らの役割をこなし始めた。言わずもがな、ギミックの仕業である。ぼんやりと無感動、無機質に動き続ける彼らを人々はゾンビと呼称した。僕もピッタリだと思った。
こうして世界は、黙々と社会をまわすゾンビたちと狂乱に明け暮れる人々、そんな奇妙な二層構造によって安定させられていた。それがなによりも不気味である。
僕は交差点を渡り終えると振り返る。
狂騒する人々と淡々と歩き去る幽鬼たち、そして色鮮やかな拡張現実たちが織り成すその光景はまさにこの世の終わりのようであった。
もう沢山だと、踵を返して目的地に向かうことにした。ここへは一度、世間の様子を直に確認したかったからよっただけである。
「や。ここまでなるといっそ空恐ろしいねえ、ガっちゃん」
「……」
僕の隣にはもとみの姿があり、にこにこと楽しそうに僕に追随していた。
「終末って感じだよねえ、どうする? 私達も何もかもをふり捨てて、その生の最期の瞬きを謳歌してみようか。実際いいと思うよ、アバンチュールだ」
「……」
「私、高級ホテルで素敵な一夜なんて望まないわ。あなたがいてくれればそれだけで十分幸せよ。あっでも優しくしてくれると嬉しいかな」
「……」
「ねえ、チューする?」
「よしお前ふざけんな。そこに直れ」
「おや癇癪かい? 落ち着きのない男性は嫌われてしまうよ」
嬉々として揶揄してくるもとみの姿に嘆息すると、僕は改めて『彼』に言い直す。
「勘弁してくれ、ギミック。俺がからかわれる分には今更なんだが、あんまり勝手するともとみに悪い」
「ふむ、悪ふざけが過ぎたかな。私も少し興奮しているんだ。許してくれたまえ」
もとみの姿を借りたギミックが言い直してくる。ギミックが化けているわけではない。彼女の身体をギミックが操っているのだ。すでに彼女は眠りの世界へと旅立っている。
「そうだね、こちらを信頼して身体を預けてくれたわけだ。誠実をもって対応しなければね。いやこれは本当に失礼した。私も彼女には感謝している」
「わかってくれたならいいよ」
「君たちは愛し合っているね」
「からかい方を変えただけじゃないか」
「これは本心だよ」
もとみが眠りにつく前、僕とギミックは彼女に事情を説明して、意識がない間、ギミックの実体のある身体として使用させて欲しいと懇願したのである。断られても仕方ないとダメ元で頼み込んだものだが、豪儀にも彼女は首を縦に振った。僕はそのときの彼女の真っすぐな視線に応えなければならないのだ。愛とかは関係ないはずだ。
決して照れているわけではない。
「それでは向かおうか。いや、この五日間。本当にありがとう。これからは私のしたいようにさせてもらうので、君も楽しんでくれるとよい」
「そうさせてもらうよ」
連れ立って目的地へと向かう。
道中、本当に他愛のない話ばかりをした。考えてみればギミックとこんなにあてもなく生産性のない話ばかりをするのは初めてだったかもしれない。僕達は常にどちらかが理由をもって会話していた。どうして今までしなかったのだろうなと、もうすぐできなくなるその会話を残念に思った。
そんなことをぼんやりと考えながら、目的地へと到着する。そこは都内にある某公園内、電話ボックスくらいの大きさの地下への入り口だった。つまりはありすが長らく住んでいた邸宅前である。そこには既に宝塚が待ち受けていた。
「やあ待っていたよ」
彼は朗らかな笑顔で応対してくれた。だがその様子は、髪はボサボサ、目は充血し、肌はカサカサ。まさに徹夜して仕事をしたという風体だ、朗らかには程遠い。しかしその表情だけは満足感であふれていた。
「宝塚教授、あなたにもお世話になった。改めてお礼を述べさせてもらう」
「いやいや、やめてくれ。君と僕の仲じゃないか」
「今後ともありすのことをよろしく頼む」
「そこは任せてくれたまえ」
ギミックが頭を下げると力強く宝塚は頷いた。僕はここにいるべきもう一人の所在を尋ねる。
「それで教授、ありすは?」
「先に中に入って待ってるよ、上の娘がついてくれている。妻ももう片方の娘も既に寝ているからね」
そう言って宝塚は大きな欠伸をする。そのまま「私もそろそろ休みたいかな」と呟いた。彼はこの五日間における最大の功労者である。いや五日間のみではない、ギミックと出会ってからこの方、彼の依頼を受けてずっと準備を続けてきたという。そんな様子に僕は改めて彼の人の良さに舌を巻いた。
「そうか、それでは私達も急ごうか」
「そうだね」
そうして三人で地下通路を抜けていく。その場所は初めて訪れたあの時から何も変わっていない様に思われた。変化があるとすれば消えていた電灯が発光するようになっていたことぐらいだろう。コツコツと三人分の足音が響くのみである。
「ガっちゃん! もとみちゃん!」
通路を抜けて邸宅内に入るとありすと一人の女性が迎えてくれる。女性の方は初対面であり彼女が宝塚家の長女なのだろう。知的な感じのする女性でこちらに視線を向けると会釈して後方へと下がる。どうやら今は僕達だけで会話してくれということだ。
「ごめんなさい、私がきちんとギミックとお話ししなかったから」
世間がこんな風になってしまったと、ありすが言う。彼女は未だギミックが何をするつもりなのかを伝えられてはいなかった。ただ彼が姿を消してからというもの悶々と自問する日々が続いたはずで、僕はといえばそんな彼女の様子に罪悪感を覚える。まったくなんでこんなことの片棒を担ぐことになったのか。しかし意外なことにあまり反省していない自らの心持に気づいて、どうやら僕もギミックのことをとやかく言う資格はないのだと痛感した。
心内でありすに謝りながら僕は口を開いた。
「ありすには黙っていたんだが、俺たちはギミックと接触していたよ」
ありすが驚く様に目を丸くする。
そうして彼女に今までの五日間、なにをしていたのかを説明する。それはありすに内緒でギミック発案の、ある装置の組み立てをしていたのだということ。その部品の数々は宝塚が前々から制作していたものである。
「もとみちゃんも?」
ありすの疑問にもとみの身体を借りたギミックは頷くだけで返答する。どうやら中身が自分であるとは言いだすつもりはないようだ。ギミックの発案であるが故に、やはり実体のある身体が都合よく、そうした理由によりもとみに身体を借りていたのだ。
「それでガっちゃん達が造っていたものって、なに?」
「そうだな、まずは見てもらったほうが早いだろう」
そうして僕達は移動することにする。目指すは大きめの面積ある一室。五人で中に入ろうとも悠に余裕がある。だが部屋の中の家財は全て片付けられてなにもない。唯一あるものといえば、部屋の中央にドシンと構える大きな座席だ。
その座席は一人掛けソファーに近く、長時間座っていても身体に負担がかからないようにしてある。そして最大の特徴として、ちょうど頭部が収まるであろう場所に設えられたヘッドギアがあった。だいぶ昔に流行ったというVRヘッドセットというものが一番近い物体であろう。そんなゴテゴテの機械が設置されたその座席は、まるでなにかのコックピットのような趣であり、まるで拷問器具のようでもあった。
そして有体に言ってしまうと殺風景な部屋にこれが一つだけという様は、後者の連想を強く抱かせるものである。仕方ないと言えば仕方のない話である。なにせ時間がないという事柄と合わせて、これを組み立てたのは実用性を第一に考える研究者と、専門外の男子学生、そして人工知能だ。いざ使用という段に入るまで見た目の考慮というものはすっぽ抜けていた。そしてこれにありすを座らせようとしていると伝えたならば、宝塚の長女が強い眼差しで睨んできたのがありありと感じられた。その視線を受けて僕と宝塚は縮み上がる想いだ。特に宝塚の顔は壊れた玩具の様にひきつっている。もう少し、幼い少女に使ってもらう配慮をした方がよかったのかもしれない。
しかし肝心のありすは気にしなかったようで一言「格好いい」と呟いていた。彼女の言を受けて長女はこの場でとやかく言うことは勘弁してくれたようだった。ありすが人と違う感性を持っていてくれて本当に助かった。
「これはなに?」
「ありすがギミックの作った仮想空間を体験できるようにする機械だ」
「わたしが?」
それは彼女にとっての脳内端末である。外部からの情報入力により彼女は僕達と同じ空間を共有できるようにしてある。そのことを伝えると、彼女の鼻がひくひくと動いたのが見て取れた。どうやらワクワクと期待を膨らませているようだ。
「そこにギミックがいるの?」
「ああ、お前に見せたいものがあるんだって、そう言ってたぞ」
「わかった、わたし行くよ」
ありすは即断すると座席に歩み寄る。それを宝塚の長女から止められていた。彼女はそのまま宝塚の方に近寄ると、実の父に向って乱暴な口調でその安全性を問いただしていた。
そしてある程度の納得が得られると「いい、危ないと思ったらすぐにやめなさい」「大丈夫だよ、だってお父さんとガっちゃんが造ってくれた物だもん」「だからじゃない」と散々なことをありすに言い含めていた。
僕とギミックはその光景を無言でジッと待ち続けて、そしてありすが座席に座るのを待つ。そして彼女がチョコンと座り込んだのを確認すると、ギミックに目線を送った。彼は任せてくれというように深くうなずいた。
「それじゃあ、ありす。向こうでまた会おう」
「うん、わかった」
そうして彼女は仮想世界へと旅立っていく。
それと同時に、僕の視界も暗転した。
このときついに、全世界の人間がいつ覚めるかもしれぬ夢の中へと入り込んだのだった。
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