ギミックをしかける③

 移動中、ありすは一つの希望を僕に伝えてきた。

 それは脳内端末の電源を切ってくれということである。

 僕は素直にそれに応じた。

 二人で電車に乗りながら移動をする。その行程にどこか既視感を覚えて思案した。そしてそれはすぐに思い当たった。ありすと初めて会った日のことだ。彼女を都内の空中庭園に連れ出した際に、こうして彼女と同一の光景をみたのである。

 電車に揺られながら、僕はその白い光景を見送っていた。

 白いと表現しているが厳密には白いものばかりではない。

 空白。

 人込みの中にぽっかりとした空間があった。それはまるで生き物のように移動している。人々がなにもない空中を見上げる。そこから何が出ているのか多くの人がうっとりと感じ入るように目をつぶり、ときには楽しそうに小躍りしていた。

 不思議な光景ばかりだった。まるで所々ピースの抜けたジグソーパズルを見ているような。そしてそれがどんな絵画かわからない、どんな世界なのかわからないのだ。きっと端末の電源さえ入れたのならばその疑問は氷解することだろう。しかしそれは為されることなく、不思議な世界は不思議のまま流れ去っていく。


「ガっちゃんはこの光景をみてどう思った?」


 彼女はそんな語り口で話を始めた。どうやら道中から始めるようだった。僕が「不思議だなと思う」と答えると「うんわたしもそう思うんだ」と彼女は言う。

 そこからとても多くのことを話してくれた。

 ありすのこと。

 彼女の母親のこと。

 そしてギミックのこと。

 ありすがどうして一人で東京の地下に住むことになったのか。母親がどんな研究をしていて、結果、なにを残してしまったのか。そして残されたギミックがどんなに危険でそして大事な人物であるのか。

 話が僕とありすの出会いの段に入ると、胸が痛んだ。

 僕はあのとき何も考えず、ただ呑気に、彼女が外に出て喜んでいる様を良かったと、そう捉えていた。もちろんそれは間違いではない。彼女は如何に星が綺麗だったのか、とても嬉しそうに語ってくれたから。ただそれだけではなかった。

 僕とギミックが訪れたあの日、それは彼女にとって、もう母親が自分を迎えにくることがない、そのことを認識してしまった日と同義であった。

 覚悟はしていたと彼女は言った。母親の言いつけ通りに僕の動向から目を離さず、そして僕と別れてから彼女は泣いた。そしてそれが出来たことに安堵したと彼女は言った。

 僕は隣に大人しく座るありすのことを想う。

 話の最中に、とっくに目的地にはついていた。いつか僕とありすとギミック、三人で絵を描いた大学近くの公園。別に電車なんて使わなくてもちょっと頑張って歩けばたどり着ける大きな公園。そこには彼女を疎外する白い光景は少ない。けれどまったくないということもない。

 彼女はずっとこの不思議な光景を見続けてきた。

 かつてギミックはありすが孤独であると、そう言った。

 それは現在もそうなのかと問いたくなる。

 周りの人々すべてが、自分には見えないものを見ている話している。それが孤独ではないのか、彼女は独りぼっちではないのか。そう問いたくなる。

 しかし天邪鬼な僕は本当に聞きたいことも聞かぬまま、話の一番重要な部分について問いかけた。


「それでありすは、どちらを選んだんた。ギミックと俺達」

「もちろん、ガっちゃん達だよ」


 彼女は口元を緩めながら答える。その笑みは慈母のような微笑みで、決して彼女の年齢の子供がしていい笑いではなかった。けれどその返答に心底から安堵した自分に気づいて、嫌になる。


「いいのか?」

「うん。だってね絶対に認めないと思うんだけど、ギミックってば本当にガっちゃん達のこと大好きなんだよ」

「そうか? あいつなら俺らをからかうために好意の言葉くらい平気で向けてきそうなものだけど」

「そうでもないよ。私がそんなこと言うとね『どうだろうね。私は彼という人物を好きでいる自分が好きなだけかもしれないよ』なんて言うに決まってるもん」

「ああ、それは想像つくな」


 妙に特徴をとらえた口真似をするありすに納得する。人の言うことを素直に肯定する様が、あの人工知能には簡単に想像できない。ついに僕は、彼という人物が人間ではないとそう認めたのである。


「ほんとうに天邪鬼」


 頬を膨らませて可愛らしくプリプリするありすの様は、少しだけ普段の調子の彼女らしかった。けれどそんな様子も束の間に、彼女はまたもやしおらしくなって語る。


「ギミックは怒ってるかな」

「なんでさ」

「だって」


 言いつつ涙目になる彼女はそれでも涙は流さない。


「わたしはギミックに消えてほしいって言っちゃったんだよ」

「そうだな」


 僕はそんな彼女に言葉をかけてあげられなかった。気の休まる甘言さえも、この口からは何一つ出てこない。そんな自分をただただ不甲斐なく思うばかりであった。

 やがて、宝塚が迎えにきてありすは帰路につく。

 僕はといえば、相変わらず公園の地面に座りこけていた。

 もうすぐ日が暮れようとしている。

 初夏のころにはどんな時間帯であろうとそれこそ殺人的な熱波を放っていたこの空も、今の時分になるとだいぶ優しい一面を見せてくれる。それはなんだか終わりが近づいてきているからこその優しさのように感じられる。だから晩夏の夕空というのはこんなにも哀愁ただようものなのだろう。

 僕の頬にどこかに隠れ潜んでいた涼しい空気がひゅうと吹く。視界も段々と薄暗いものへと変わっていく。そろそろ立ちあがらなければ夜冷えするかもしれない。だが僕の足は一向に動く気配がなかった。


「世界の終わりか」


 そんなものてんで想像などつかない。僕にできるのは精々こうして夏の終わりを惜しむことぐらいなのだ。だから実感などない、あるはずがない。

 ふと、では世界にそんな兆しなどはあるのだろうかと疑問に思う。僕の知らないところでなにか重大な事件でも起きているのではないか、そんな想像をする。だから脳内端末の電源を入れた。すると目の前に一人の人物がいることに気づいた。


「やあガっちゃん、よい夕暮れだね」

「ギミック」


 そいつは件の人工知能であった。もはや見慣れてしまったいつものウサギ姿ではなく。最初に出会ったときの中性的な人間としての姿だった。


「今からお暇かな、なにかお話しよう」

「わかったよ」


 わざわざ最初に出会った頃の姿をして最初の僕の言葉を述べる、そんな彼の酔狂を理解する。そしてそれが出来てしまったことに苦笑すると、僕は重かった腰を起こした。

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