ギミックをしかける②

 僕は東京の賃貸アパートの扉をくぐると、いつものように歩道橋と跨川橋を越えて最寄り駅へと向かう。しばらく電車に揺られてやってきたのは大学のキャンパス内にある学生食堂であった。


「おー久我君、こっちこっち」


 僕の姿を見つけて手をふるのはかおりだ。その他にも高木に大倉、そしてもとみの姿がある。彼女と視線を交わすなり周囲がニヤニヤと口元を緩めるものだから鬱陶しくて仕方がない。


「かおりさんとここで遭遇するなんて新鮮ですね。今日は休みです?」

「そうなんだけど、君たちは普段こんなところでせっせとお勉強しているわけかー、羨ましいね」


 かおりは相変わらずキャンパスライフというものに憧れを抱いているようで、そのことについて在学生である僕達からなにか申すことは難しかった。だが、彼女とも気心が知れない仲ではないので、思ったことをそのまま言ってみる。


「ただじゃないですよ」

「やーほんと、久我君にそう言われるとぐうの音も出ないねえ」


 彼女はとくに気にした風もなく笑った。そしてそのままの調子で尋ねてくる。


「それでありすは?」

「今日は宝塚教授に連れられてくるそうです」

「そっかー」

「最近元気がないねって、みんなで心配してたんだよ」


 かおりの言葉を継ぐようにもとみが言う。


「やっぱりギミックがいないからかね?」

「いったいどこに行ったんだろうね、あのウサギは」


 そして高木と大倉もそれに追随する。

 僕達が九州から帰ってきたその日、ギミックはしばらく姿を伏せると言ってきた。そして宣言通り、以来姿を見せたことが一度もない。そのこと自体はそれほど問題ではなかった。だが、それからというもの目に見えてありすの気持ちが落ち込んだのだ。なにか遊びに誘おうとも了承することはない。僕のところに顔を出す機会もめっきり減ってしまった。それは周りの誰もが心配するほどであり。今日こうして旅行のメンバーが集まってくれたのも、彼女を慮ってくれてのことだった。


「宝塚教授にもそれとなく聞いてみたんだけどね、まだ帰ってきてないみたいだ。今は仕方ないから普通に接してやってくれって言われたけど」

「お、噂をすればなんとやら、おーいありすー」


 かおりが僕を見つけたときみたいに席から立ちあがり、大きく手をふる。みると食堂の入り口に一人の男性と小さな女児がいた。そしてその小さい方、ありすがそれに気づいてトコトコと早歩きで近づいてくる。


「かおりちゃん久しぶりー」

「おーう久しぶりー、元気だったか、このー」

「きゃー」


 かおりが彼女に大げさなスキンシップをとる。ありすもそれにおどけるようにして応えていた。彼女らは旅行の際、僕ともとみを二人きりにする関係上、よく一緒に組まされることが多かった。そのために今ではこうして仲良くじゃれあう間柄となっている。

 しかしその微笑ましい光景も、どこかちぐはぐに感じられる。

 ありすの笑顔がどこか無理をしているように感じられるのだ。この小さな彼女がそういう子供らしくない遠慮をするというのはここにいる誰もが分かっていた。だからこそ心配なのだ。


「やあみんな、今日はありすのためにありがとう。ところで今日はどういう目的の集まりなのかな。聞いても教えてくれなくてね」


 ありすに遅れてやってきたのは宝塚皆人教授だった。青みがかったシャツに汗ジミをまとわせて現れた彼は、幼い娘にふりまわされるただの休日のお父さんにしか見えない。


「旅行の写真を現像したんで皆に配ろうかなと」

「現像?」


 高木が答えると宝塚は「珍しいことするね」と不思議そうにする。そしてすぐさまに理解したように頷いた。


「ああ、そうか確かに。私もまだまだ気配りというものが足りない。君は親切な学生さんだ、私も見習わなければならないな」

「いやあ、そんな褒められると照れるっすよ」


 手にもった紙の束を各人に渡していく高木に宝塚が感心したような声を出す。確かに、写真なんて画像データ、脳内端末をもつ者にとっては息をするように宙空へと投射できるものである。部屋の片隅に固定して表示させることもできる。昨今では現像や印刷するものは珍しい。


「お父さん、よくお姉ちゃんたちに怒られてるよ」

「へえ、それは楽しそうだね」

「私もそれを楽しめれば言うことないんだけどね」


 ありすの言葉ともとみの相槌に冗談を言うように宝塚は笑う。僕としてはそこにどこか悲哀のようなものを感じてしまった。

 そうこうしているうちに写真はすべて各人へと行き届いた。僕もそれらを眺める。つい最近の出来事なのであまり感慨などはわかない。こういうのは時間がたち忘れ去ったころにふりかえるのが趣というものであろう。そもそも僕はあまり写真というものに価値を見出していない男だった。それでも他の皆は、あれはこうだそれはどうだと、楽しそうだったので、下手なことは口走らないことにした。


「ギミックはあいつ写真にうつるんだな」


 僕は一枚の写真にでかでかと写った墨絵ウサギを眺めながら呟いた。これらの写真は脳内端末の一機能によって撮影されたものであり、人が視覚したものを記録するものである。よって拡張現実であろうとも撮影できるため、彼が写りこむのは当然だった。そんなことを考えていたならば大倉が怪訝な声をあげる。


「ん、ここどこだ?」

「なにが?」

「これなんだけど。誰が撮ったのかわかるか?」


 彼から一枚の写真を受け取ってそれを見る。そして僕は驚きに目を見張った。

 縁日の様子だ。

 ただそれはこの場にいる皆と出かけた、夏祭りの会場ではなかった。


「久我君、これって」

「ああ」


 横から覗き見てきたもとみに頷く。それは彼女と迷い込んだ、あの不思議な空間の写真だった。縁日の屋台を前に走り回る二人の人物。僕ともとみの二人だ。撮ったのは一人しか考えられない、ギミックだ。


「こうして改めてみると」


 あの空間は確かに存在していたのだと突き付けられる。そしてギミックという存在がいかに規格外であるのかを痛感した。いくら脳内端末であろうと、人の幻まで映し出すことなぞ不可能であった。だからこの写真はギミックの異常さを示す証拠そのものなのである。

 そろそろ見て見ぬふりをするのも限界なのであろう。

 これまで僕は意図してギミックとありすの事情に踏み入ることを避けてきた。彼らが常人には予想もできない事情を抱えていることは間違いない。これまでの交流で僕は確信していた。そしてそれに向き合う意欲が今までの僕にはなかったのだ。


「なあありす――」


 僕は決意をもってありすに話しかけようとする。だがそれは唐突な「えっーマジか!」という大声で遮られてしまった。それは高木の声だった。


「なんだい突然」


 かおりが尋ねると彼は食堂の一画へと指を向ける。そこには白い大きな一枚壁。正確にはその少し前方に浮き上がるように放映されているテレビ画面だった。高木と同じように驚きの表情をもってそれを見つめている人々がいる。


「あっ、ちょっとまってまって」


 ありすがみんなの視線に慌てた様にして、その可愛らしい鞄より一つの板のような物体を取り出す。それは携帯端末と呼ばれる脳内端末よりも先の時代に流通した電子機器。ギミックが不在の今、彼女はその代用としてそんな骨董品を持ち歩いていた。


「えーと、『脳内端末除去手術失敗か?』」

「なんか字面で見ると祝詞呼んでるかのような漢文だね」

「いやかおりさん、そこじゃないでしょ」


 ありすに合わせるようにして、皆が食堂の大画面から彼女の持つ小さな画面へとわらわらと集まりだした。僕はトンチンカンなことのたまいだすかおりに一言告げてから、画面へと目を戻す。それは一種のゴシップニュース、それとも事故の話だった。

 海外の有名映画女優が脳内端末除去手術を公表したということ、そしてその手術が未遂に終わったということである。理由は彼女が現在、意識不明の昏睡状態にあるからだ。原因は不明。そしてそのニュースに様々な人々が意見を述べている。実は手術は行われており、その際のミスにより彼女は眠っているのではないかと。


「なんだか怖いね」

「本当に、というか俺めっちゃっファンだから普通に心配だわ。手術ミスってそりゃないだろう」


 もとみがポツリと呟いて高木が大仰に嘆く。


「まあ、でもあれだろう。要は意識がなくなったから手術ができないって話だろう。それなら周りが変に勘ぐってるだけじゃないか?」

「ならなんで昏睡状態なんて重大なことになってるのさー?」

「そもそも、どうして脳内端末を外そうなんて思ったのかが謎だわ」


 そしてそれを皮切りに皆であれこれと憶測を交えて意見を述べる。そしてそんな会話に参加せずにジッと沈黙を続ける者が二名いた。ありすと宝塚だ。

 もしかしてと僕は思う。

 本当に根拠もない憶測なのだが、これは姿を消しているギミックに関係していることなのではないかとそう邪推してしまう。そんな想像をしてしまうほどに彼らの表情は硬く、緊張につつまれていたからだ。


「なあありす」

「なに? ガっちゃん」

「話があるんだ、おまえとギミックのことについて」

「うん」


 そして再度、決意を込めて話しかけると、彼女は思ったよりもすんなりと頷いてくれた。


「なにが知りたいの?」

「僕が知っていい事柄、全部」

「わかった。私もすべて話すね、ギミックと私と、そして私のお母さんの話」


 そうした約束を取り付けると、その場にいる皆と別れて、僕とありすは二人だけで場所を移動することにした。

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