夏と帰省と『ガっちゃん』⑥
空港に到着して僕らはまず腹ごしらえをすることを優先した。それなので繁華街へと足をのばす。もとみも旅の道連れとして同行している。高木がやたらとラーメンを主張したために、僕が知りうる限りでうまい店につれて行ってやると歓喜して口いっぱいに頬張っていた。ジャラジャラとアクセサリーを鳴らしながらのその食いざまは見た目にもうるさい。だが他の皆も舌鼓をうっていたようなので幸いであった。
食事をすませると街中をぶらりと歩き回った。僕やもとみにとっては多少の懐かしさはあれど珍しくもないその景色は、中々に好評である。同じ日本国内であるから大した違いなどないだろうと言うと「その地域の風情ってのがある、私にはそれが分かる」と意外にもかおりから諭されてしまった。生まれも育ちも東京である彼女からそう言われると少し嬉しい。そして少し悔しいのであった。
ありすはキョロキョロと首を忙しなく動かしてお上りさんならぬお下りさんである。感想を問うてみると「向こうよりも白くないね」とのことだった。言われてみると確かに大都会東京にくらべてこちらは拡張現実が少なく、実物が多い。その分、彼女は様々なものに興味をひかれていた。
「ではそろそろ疲れただろうし、我が家に向かいたいのだけれど――」
僕はぞろぞろと一団を引き連れて行くも、途中で一人に問いかける。
「えっと、うちまで来るの?」
「もちろん」
もとみは何を当たり前のことを、というかのように頷いた。
「照れているね」
「照れてるね」
「ガっちゃん照れてる」
「うっさいよそこ」
ギミック、かおり、ありすががやがやと騒いでいるのに指摘を入れる。
「っつーわけで大倉、お前は諦めろ、な?」
「仕方ないな」
男子二人も何を確認しているのか、居心地が悪くて僕は皆を急き立てるように家路につくのであった。
●
地下鉄に乗り込み、地上に出た後にバスに乗り込み十数分。繁華街から一時間弱の距離に我が家はあった。程よく都会の喧騒から離れた住宅街。少し山の方へと足を向けると田園が拡がってすらいる。ここまでくると拡張現実が街中をかっ歩する様も大変に少なくなった。
「ただいま」
僕が玄関を開けて声をかける。だが返事はない、誰もいないようだ。いないからといって問題はない。僕はさっさと各人に部屋の割り当てをすると荷物を整理して、寛いでもらうことにした。現在はリビングにて六人の人間が思い思いに足をのばしている。
「ただいま」
お茶のありかを探していたところ玄関先から女性の声が聞こえる。僕はそれに向かって声をかけた。
「母さん、お茶はどこにあるのさ?」
「あらあんた、もう帰ってたの。ぶらついてから帰るって言ってたのに」
「みんな疲れてるだろうと思ってさ」
「若いのに老人臭いことを言って――皆さん、哲生の母でございます、はじめまして」
リビングに大荷物をもって入ってきた母はそれを置くと丁寧な仕草でみんなに挨拶をした。された方はというと、互いに誰が返答するか一瞬見合った。その中で、かおりが進みでて返礼する。
「はじめまして、哲生君の友人で佐藤かおりと言います。この度はお世話になります」
その様は非常に凛としていて、さすがに神社の娘であり、礼儀というもの感じさせる。普段の彼女を知る僕としては詐欺だと大声をだしたい気分であった。
それを皮切りに皆がそれぞれに母に挨拶をしだした。母はというとそんな賑やかな様子に嬉しそうにニコニコとしていた。彼女は騒がしいことが好きなのだ。
大倉が母に「どこかで見たことがある」と声をかけた。それを高木が呆れて諫めるも母は嬉しそうに笑みを深める。僕としても自らの母親に粉をかける友人がいたのであればドン引きもいいところであるが、そうではないことは分かっていた。
母は元五輪選手で有名人なのだ。競技種目は体操。皆に説明するとどうだと言わんばかりにふんぞり返る母。加えて言うならば金メダリストなのだが、更に鼻高々になると面倒なので言わなかった。だが気づいたものは気づいたようだ。
そんな母と警察官の父をもった僕は基本的に体育会系だ。我が家のモットーは『質実剛健』だったりもするが、当の息子はこんなに軟弱に育ちましたとさ。
僕としては友人が母親と楽しくおしゃべりしている様は気恥ずかしくもあり、さっさと彼女には退場してもらいたいのだが、今回は迷惑をかけることも分かっているし、全くもって関りを失くすことは不可能であることを理解しているので、ここは我慢のしどころである。
そんな風に、羞恥に耐えている僕を尻目に彼女はどんどんと調子にのって話している。
「あら可愛らしい、お名前は?」
「桐生ありすです」
「ふむ、いい名前ね、語感がいい」
ありすの名前に対する感想が僕と同じなのが腹が立つが、何も言わずに堪えた。
「ガっちゃんのお母さん?」
「そうですよ、よろしくね、ありすちゃん」
「うんっ」
ありすはうちの母のことが気に入ったようで、元気よく頷いていた。そうして耐えること幾許か、話も一段落したのではないかと思い、僕は彼女にご退場願おうと口を開きかけた。だが、その前に母が感じ入るように述べた。
「しかしあんた、『ガっちゃん』ってまた懐かしいわね」
「そうでもないだろ?」
「懐かしいわねー、ほらあのあんたの親分、あの子につけてもらったんだって得意げだったじゃない、気に入ったのか自分から周りにそう呼ぶようにしてもらって」
母が大昔の、僕が子供だった頃の話をひきあいに出してくる。親分というのは当時、付き合いの良かった友人で、『ガっちゃん』の名付け親だ。
そんなことを言われても、そんな人物がいたなとは思いはするが、それがどこの誰かも僕は覚えていないのだ。相手だって僕のことなんか忘れているだろう。頼むから調子にのって友人たちの前で僕の過去の話をしないでもらいたい。皆、興味があるとばかりに注視してくるからなお悪い。
「ほら、名前はなんていったかしら――確か、そうそう」
早々に母の口を閉ざすために抑え込もうとしたが、腐っても鯛なのか、スルリと軽い身のこなしでかわす。僕が勢いあまってつんのめると同時に彼女はポンと大げさに手をうった。
そして母はついにそれを言い放ったのである。
「佐野もとみちゃん」
途端に場が水を打ったように静かになる。「あら」と首を傾げる母の声だけが響いた。
静寂は長くは続かないだろう。だが、誰もが先に言葉を発するのを控えるようにして僕ともう一人の彼女をみている。
僕はというと倒れそうになった体勢そのままにかたまってしまっていた。しかしあまりの場の静寂さに圧されるように、後方へと振り返った。
思い起こしてみれば、彼女だけ僕の家に来てからというもの、一言も発していなかった。
彼女はこのことを知っていたのだろうか、それならばいつから。まさか出会った当初からだろうか。そんなことを混乱する頭で考える。僕の心をうめるのは不安だった。
ただとにかく今は彼女の表情をみたい。久しぶりだという彼女は、いったいどんな顔をして僕と対面するのか。それを知りたい。
「えっと……そういうことみたい、お久しぶり『ガっちゃん』」
おそるおそると振り返り視線が合った彼女は苦笑していた。
それは悪戯がばれた子供のような微笑みだった。
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