遊びに誘う子供の声

 宝塚教授の言葉にありすは小首をかしげげると「よく、わかんない」と返した。状況もさることながら、言葉の意味すら正しく理解できていなさそうな気配である。いや、そりゃそうであろう。


 しかしだ──


「ありす、彼が君の父親になるということさ──なに、決して悪いことじゃない。私としては強くおすすめするね、人柄についても信用できる」

「ギミックがそう言うなら、そうする」

「ありがとう。さすがはありすだ」


 ギミックからの言葉添えがあるとまたたく間に話がまとまってしまう。こんな大事なことをあっさりと決めていいのか? と思いはしたが、部外者が口を挟んでいい問題ではないだろう。よって僕は口をつぐんでいた。


 だのに空気を読まない奴がいる。


「君はなにをガマガエルのような顔をしてるんだい?」

「いや、話しかけてくんなよ」


 ギミックが目敏めざとく声をかけてくるものだからわずらわしい。なので「この状況で、僕が考えを述べても仕方ないだろう」と言うと、宝塚教授とありすから「そんなことはない」と否定されてしまった。


「そうだな、君の意見も聞きたい」

「ガっちゃんはどう思うの?」


 そんな風に注目されると、言葉に詰まる。よって僕は……よく状況を理解できていないままに、パッと頭に浮かんだことをそのまま口にしてしまった。


「──えっと……宝塚先生には子供一人をやしなえるほどの収入が?」


 もうヤダ、おうちに帰りたい。


 咄嗟とっさに疑問として出るところが、よりにもよって『かねの話』とは……僕の貧乏根性びんぼうこんじょうは行き着くところまで行き着いてしまったようである。ありすのことを思えば、もっと色々と気にするべきことはあっただろうに……僕は恥ずかしさに、はっきりと耳が熱いことを感じている。


 すると宝塚教授がフォローをしてくれた。


「いや、それはもちろん大事な話さ。恥じ入ることじゃないよ──安心してくれ。これでも他人からうらやまれるほどにはかせぎがある。自分の子供も、二人ばかり、育てあげて自立させた。どちらも娘さ。妻もきっと理解してくれると思う」


 堂々と胸を張る宝塚教授には安心感があった。しかし、彼一人だけが良くても上手く回るとは限らないのが家庭というものである。


 例えば、父親が先走って行動をしたばかりに家族間に亀裂が入ったりはしないだろうか? それにより養母ようぼや義姉たちから、ありすがいじめられる結果になりはしないか?


 しかし、ありすの実質的な後見人であろうギミックが彼を勧めるのだから、そこは信じるしかないと納得することにした。幼い少女が一人暮らしを続けていることの方が不健全であることは間違いないのだから。


「それと……君にもお願いがあるんだ、久我哲生くん」


 すると宝塚教授が改まって、僕にも「頼みごとがある」と告げる。

 それに応える前に、ありすが目を輝かせて言った。


「今度はガっちゃんが私のお兄ちゃんになるのっ!?」

「え? いやー……僕は宝塚教授の養子になるのは遠慮しておきます」

「いや、そうではなくてね」


 僕とありすが即興そっきょうでふざけた会話をすると、宝塚教授は真面目まじめに困った顔をしてしまった。あまり洒落しゃれは通じないらしい。


「君の話は聞いているよ。他の先生のうわさでね、『雑用を率先して引き受けてくれている学生がいる』って。なんでも苦学生らしいね、そんな君の弱みにつけこむようで悪いんだが――」


 宝塚教授が言っているのは、僕が学生課のツテを通じて、大学内のあらゆる雑事に首を突っ込んでいたことであろう。なんのことはない、アルバイトの一環である。その手の労働は一般のソレよりも、学内にコネクションができるので、ときに重宝するのだ。

 

 そして宝塚教授は心苦しそうな顔をしながら言った。「夏休みの間に、君にアルバイトを頼みたいんだ」


「あ、はい。それはもちろん──あ、でも、どんな仕事ですか?」


 さすがに業務内容の把握もせずに安請け合いすることはできず、確認する。すると宝塚教授は「簡単に言えば……子守こもりになるかな?」と言った。


「子守ですか……? まさか──」


 宝塚教授の依頼とは、そのまさかであった。


「夏休みの間、可能な限り、ありすくんと共に過ごしてくれ」


 そして、ありすには分からないように脳内端末を通じて送られてきたメッセージがある。そこには「報酬ほうしゅうとしてはこれだけ出す」というむねと、その金額が記載されていた。

 僕はそれを見て興奮に赤くなり、やがて青くなった。


 それは、僕が予定していた『夏休みの貯蓄目標額』、そのままであったから。


「養父になった娘に、最初にしてやることが『遊び相手を雇うこと』というのは、なんとも情けないとは思うのだが──のっぴきならない事情がある。どうかよろしく頼みたい」


 その後にも色々と問答はあった。


 困惑する僕に、そこをなんとか説得しようと試みる宝塚教授。そして僕という遊び相手が確保できそうな事態に、キラキラと目を輝かせているありすに──ニヤニヤとした嫌らしい笑みを崩さないギミック。


 それぞれが言いたいことを言い合って収拾がつかないと感じられた話し合いの末、僕は彼らの意向について「了承します」と答えてしまった。


 かくして僕は、大学入学してより初めての『労働から解放された長期休暇』を手に入れたのである。


 ─

 ──

 ────

 ────────


 時は進み、僕は自室のカレンダーを前にして感慨にふけっていた。


 日付を見ると、研究室で宝塚教授たちと話した日から、それなりに日数が経っている。あれから、試験にレポートにアルバイトと、それなりに大変な日々が続いたのだが……それも『明日からのこと』を考えると乗り切れた。


 そう、明日からは『夏休み』なのである。


 その言葉の響きには、大学の夏季休暇という意味だけではない妙味みょうみがある。

 

 ──いつ以来だろうか? 休日を心の底から待ちわびる、この気持ちは……


 期待に溢れた日々はあっという間に過ぎ去ったような気もするし、逆に今か今かと焦がれてしまい遅々として進まなかった気もする。


「──人は心が愉快であれば、か」


 ふといつだったか、喫茶店での会話を思い出す。

 それは佐野さんから授けられた格言であった。


 思わず苦笑する。「本当にそうだった」と実感してしまったからだ。


 人の暮らしとは『気持ちの持ちよう』によってここまで変わるものかと、驚いてしまう。振り返ってみても、以前と何一つ変わらなかったはずの日々は、キラキラと輝いていた──というのは言い過ぎである。

 どうやら僕は浮かれているらしい。


 ──しかし、浮かれてばかりではいけない。


 夏に予定していたアルバイトは大幅に削減されこそすれ、その全てがキャンセルされたわけではない。雇う側にだって都合はあるのだ。

 それに、思いがけずに手に入った『夏休み』であったが、その名目とてアルバイトであるのだから──


「まあ……依然として釈然しゃくぜんとしない気持ちはあるがなぁ……」


 僕だって幼気いたいけな子供をダシにして食い扶持ぶちを稼ぐのは気がひける。だからこそ「友人と遊ぶだけのことにお金なんていただけませんよ」と格好良いことを言いたい気持ちもある。あるのだが……そこまではできない僕はヘタレである。


 しかしそれでも、精一杯に努めようという気持ちは変わらない。とにもかくにも、あの幼い友人に、これまで体験したことのない『夏休み』を過ごしてもらおうと努力するのみである。


 僕は意気込んで就寝した。

 中々に寝付けず、これはよっぽどだなと苦笑した。


 ──

 ──


 翌朝、まどろみの中で、誰かが僕の名前を呼ぶ。


「ガッちゃーん、あーそーぼー!」


 子供らしく甲高い声が玄関の向こうから聞こえてきた。

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