人は心が愉快であれば⑥
僕は講義が終わると宝塚教授のもとに走った。ありすを連れて。それはギミックの指示だった。面識のない教授に話しかけるのは躊躇したものの、いざ話しかけてみると彼は快く対応してくれてホッとする。
話がしたいと言うと僕らは彼の研究室へと案内された。ほかの教授よりは比較的に綺麗にしているようで足の踏み場もないほどではないが、それでも研究者らしく一般人よりかは物があふれかえっている。天高く机に積まれた資料に、人を殴り殺せそうな装丁の本が乱雑に横たわっており、部屋の隅には僕には意図のわからない機械の部品が積みあがっている。まあいたって普通の研究室だった。
「宝塚先生は紙媒体をつかう派なんですね」
「ああ、こっちはどうにも疲れるんだよね」
「僕もです、どうにも馴染めないんですよ」
僕が尋ねると宝塚は側頭部を指でつつきながら返事をした。
脳内端末が普及している現代において、電子書類ではなく本などの印刷物を使用する人間は相当数存在する。僕たちのように馴染めないからというのはもちろん。脳内端末で書物を読むことを忌避している人間もいる。特に女性に多かった。
理由は何もない中空を凝視する読書の様子が極めて異様だから。
その対策として周囲にも認識できるウインドウがでる電子書籍やら、読書用のサングラスやアイマスクなどはよく売られている。なんにせよ、どれだけ世の中が複雑化しようとも、単純な物品というのは無くならないものである。
「そういえば、ありす君の肩にいるそれはどうしてだい?」
宝塚が僕とありすを応接用のソファーに座らせると、ふと気づいたように聞いてくる。
「わざわざ投影させているようだが、珍しいね、その技術、鳴り物入りで世間に発表されたはいいけど全然普及しなかったものだ」
「まあ昔ならば夢の技術だったんだろうが、今は存在しないものを見ている時代だ、いちいち機器を必要とするなんざ、無用の長物扱いされても仕方ないだろうね」
ギミックが宝塚の疑問に答えると、彼は目を丸くする。
「あまり驚かないのだね?」
「いやいや、驚いているさ、ただ昔からあまり大仰なリアクションが苦手でね」
「ふむ、まあいいか、こんにちは宝塚教授、私はギミックという、ご察しの通り人工知能だ。そしてお久しぶりというべき……なのかな?」
「ギミック……ギミックというとやっぱり桐生君の? それじゃあ――」
「彼女の娘さ」
「なんと」
宝塚はありすを視て目をさらに大きくさせると懐かしむように目を細めた。そんな様子に話題の本人であるありすはきょとんとしている。
「宝塚先生はお母さんを知っているんですか?」
「ああ古い知己でね、そうか何となく雰囲気がとは思っていたんだが、そうか」
そのまま「そうかそうか」と繰り返している彼は両手を後頭部に添えている。どうやら彼の癖なのだろう。その様は偉い教授というよりは、まるで久しぶりに会った親戚の娘に感心するおじさんのようだった。
「久しぶりって、どういうことだよ?」
「昔、彼女がつくっていた最中の彼を見たことがあってね」
僕がギミックに疑問をぶつけると宝塚が答える。
「そうかあの頃から君は君なのかい?」
「いやその頃には私には自我と呼べるものはなかった。ただメモリーとして残っているものもある」
つまりはこういうことか。
ギミックはありすの母親がつくった人工知能であり、宝塚はつくりかけである彼を見たことがあるのだと。いや少し待て。僕はギミックが自律思考をもつ人工知能であると認めていないのだ。だが宝塚はさもありなんと話をしている。これはひょっとして――
僕が思考の大海でおぼれているのを横に、ギミックと宝塚は淡々として話を続けている。その途中、二人だけで話がしたいということになり、二人して隣室へと席を移すことになった。
残されたのはありすと僕だけである。
「ありすの母親って、すごい人だったのか?」
「わからない」
「わからないって、まあそんなものか」
僕の母親も実は著名人だったりするのだが、息子の自分としてはそれがすごいのかすごくないのかとんとわからない。だが周囲の人間は立派だというのできっとそうなのだろうと思う。だが僕からしたらただの田舎のおばちゃんであったのは間違いないのだ。
「すごいと言えばありすもすごかったな、さっきの講義、周囲の学生たちもみんな感心してたぞ」
「でも、当たり前のことじゃないの?」
「んなわけあるかい」
「よくわかんない、私は習ったこと言っただけだもん」
ぶうたれるように口をとがらせるありすは、そのじつ耳を真っ赤にしていた。褒められて照れているのだ、実に微笑ましい。
「習ったって、その母親にか」
「ううん、全部教材から、お母さんがやりなさいって言ってた」
「教材?」
詳しく聞いてみると、あの地下の屋敷にはギミックのようなものがいくつもいるらしく、ありすはそれらを教材と呼んでいた。「だって全然おしゃべりしてくれないんだもん、知ってることを教えてくれるだけ」というのはありすの弁だが、僕としては意図的にそのことについて深く考えることを避けた。
とにかく彼女を教育する仕組みが出来上がっていたらしい。それもだいぶ偏ったものだ。特に歴史関係がダメだった。
「江戸時代の初代将軍は?」
「江戸時代ってなあに?」
「小野妹子の性別は?」
「性別不明」
という感じなのに対し。
「素手でとかせる金属は?」
「ガリウム」
即答であるからして。
「命が惜しくないならセシウムとかも?」
「そうなの?」
追加情報さえもつけくわえてくる始末である。
そうやって二人でクイズのように問答をして過ごしていたのだが、しばらくするとギミックと宝塚の二人が戻ってきた。二人とも、いやギミックはマスコット姿のままだったのでよく分からないが、まじめな雰囲気をしていた。ありすはというと肩にギミックの姿が戻り、安堵したようである。
「ありすくん、唐突なんだが、僕の養子にならないかい」
宝塚の言葉に僕はあまりの唐突さにおったまげて何も言えなかった。
ありすの方は小首をかしげると「よく、わからない」と返答した。そりゃそうであろう。
「ありす、彼が君の父親になるということさ、なに、悪いことじゃない、私としては君に強くすすめるね、人柄についても信用できる」
「ギミックが言うなら、そうする」
「ありがとう」
放心している間にあれよあれよと話は進んでいく。僕としてはこんな重大な話の間に居合わせてしまってよかったのだろうかと疑問するぐらいだ。
「君はなにを梅雨時期のガマガエルのような顔をしてるんだい」
「いや話しかけてくんなよ」
「そうだな君の意見も聞きたい」
「ガっちゃんはどう思う?」
ギミックが不必要にも話の先をこちらに向けると、宝塚とありすもそれに便乗してきた。僕はよく状況を理解できていないながらにもパッと頭に浮かんだことをそのまま言葉にした。
「えっと宝塚先生には子供一人を養うほどの収入が?」
もうヤダ、おうちに帰りたい。と僕は思った。
この期におよんで金の話とは、僕の思考は行きつくところまで来てしまったようだ。はっきりと恥ずかしさで耳が熱いことを感じる。
「いや大事な話さ、心配しないでくれ、これでも人から羨まれるほどにある。子供も二人ばかり育てて自立させた。どちらも娘さ。妻も理解してくれるだろう」
本当だろうか。
父親が先走って行動したばかりに家族間に亀裂がはいったり、養母や義姉たちからありすが虐められたりしないだろうかと、色々と不安になる。だが、実質的にありすの後見人であろうギミックが勧めるのだから、そこは信じるしかない。このままありすが一人暮らしを続けている方が不健全なことは間違いないのだから。
「それと君にもお願いがあるんだ、久我哲生君」
「ガっちゃんがお兄ちゃんになるのっ」
「えいや僕は遠慮しておきます」
「いやそうではなくてね」
僕とありすが即興でふざけた会話をすると宝塚が真面目に困った顔をする。あまり洒落は通じないらしい。反省する。
「きみは学内じゃ有名人だからね、特に講師陣に、なんでも苦学生らしいね、そこで君の弱みにつけこむようで悪いんだが――」
そこで本当に申し訳なさそうな顔をする目の前の人物は、確かに誠実さを感じた。僕はそう思ったまま次の言葉を待つ。
「アルバイトを頼みたいんだ」
「あ、はいそれならもちろん、どんな仕事です?」
「夏休みの間、出来得る限りありす君と過ごしてやってくれ、金額としてもこれだけだす」
「へ?」
ありすには分からないように脳内端末を通じて送られてきた数値が視界に表示される。
僕はそれを見て、驚き興奮して赤くなり、最後には青くなった。
それは僕の夏休み中の目標貯蓄金額、そのままであった。
「養父になって最初にしたことが金で雇った遊び相手をつくるというのは、なんとも情けないのだが、どうかよろしく頼みたい」
その後、色々と問答はあった。そんなことを頼む理由もわからない。だがそれもうやむやにされて、結局のところは話をうけることで合意する。
かくして僕は入学後初めて、労働から解放された夏休みを手に入れたのであった。
●
時は進み明日から夏休みである。
僕は自室のカレンダーの前で今までのことを振り返る。
あれから試験やレポート提出やアルバイトと、色々と大変な生活は続いたが、それも明日からの生活のために乗り切った。
思えばいつ以来だろうか、こうして長期休暇を心の底から待ちわびた日々というのは。
期待を持った日々はあっという間に過ぎ去ったような気もするし、逆にいまかいまかと焦がれる日々は遅々として進まなかった気もする。
僕は浮かれていた。
「人は心が愉快であれば、か」
本当にそうだったなと思う。振り返っても以前の生活と何一つ変わらなかったはずなのに、全然違った。心の持ちようで人生かわるとはよく言うが、実感するとしないではまた趣きが違った。
しかし、浮かれてばかりなのはいけない。
確かに予定していたアルバイトは大幅に削減したが、全くないわけではない。雇う側の方にも都合はある。それにそんな自由な日々もまた金をもらったアルバイトなのである。
そこについては僕なりに咀嚼して捻じ曲げて解釈したのだが、お小遣いをもらったから友達と遊ぶぐらいでとらえていた。
僕だっていたいけな子供をだしに食い扶持を稼ぐのは気がひける。
とにもかくにも、決して誰かを残念に思わせる結果に終わらないように努力するのみである。
僕は意気込んで就寝した。中々に寝付けず、これはよっぽどだなと苦笑した。
翌日。
まどろみの中で誰かが僕を呼ぶ声で起床する。
「がっちゃーん、あーそーぼー」
そんな可愛らしい声が玄関の向こうから聞こえてきた。
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