人は心が愉快であれば⑤
噂をすれば影という言葉があるが、あれはどういう現象なのだろうかと疑問に思う。噂をするから言霊というべき力で対象の人物が引き寄せられるのか、はたまたその人物が近づいているのを第六感で察知して無意識に話題にしてしまっているのか。まあ、夢のないことを言えば、すべては偶然であり、その現象に出くわせば強く印象づけられるから言葉としてある、というだけのことであろう。本質として『かつ丼を食えば勝つ』などといった根拠のないげんかつぎと同種のものだ。
さて現在、僕の前には昨日に噂した人物達がいる。
それ自体は不思議なことではない。そういうこともあるだろう。問題は彼らのいる場所と時間であるのだ。
「ギミック、何しにきたんだよ?」
僕はおそらく主導者であろう人物に声をかけた。
「いやなに、ありすに世間のことをもっと学んでもらいたくてね」
「ここじゃ世間のことは学べんぞ、ある意味、世俗から浮いてる人物ばかり集まる場所だ」
「あの、やっぱりダメ?」
「ダメってことは……どうだろうか?」
僕はありすの言葉に対してうなる。
そうして周りを見渡した。多くの人物がこちらを気にして視線を向けてきている。僕と同年代の学徒達。その多くは疑問と興味と喜悦で満たされていた。
ここは僕の通う大学の講堂である。もう五分もしない内に講義が始まるのだ。
「厳密にいえばダメだろうが、まあうーん」
講堂であるからしてその人の多さにより部外者が紛れ込んでいたとしてもバレはしないだろう、だがしかし、ありすは年齢が問題だ。事実、たった今ものすごく目立っている。幼い子供がたった一人で講堂にいれば誰だって気になるだろう。ギミックは以前のマスコット姿で彼女の肩に乗っているので尚更だ。
僕が答えを出せずにうなっていると講堂の扉が開かれて講師が現れる。僕はとっさにありすの隣りに座ってしまい、何かあれば説明しなければならないかと少し憂鬱になる。講師の男性はすぐにありすの存在に気づいたようだったが、少々困ったような顔を見せてから何も言わずに講義を始めてしまった。これには意外だったものの、その堂々とした態度に浮ついていた周囲もそんなものかと次第に落ち着いていった。だが時折チラホラとこちらを窺っている視線は依然にして残ったままだ。
しばらくは男性の講義する声のみが構内に響く。こうしてつつがなく時間は過ぎていくかと思われた矢先のことである。ありすが勢いよく片手をあげて立ち上がった。
「質問があります」
講堂内が一気にざわついた。
僕はもちろん頭を抱え込み、周囲の人間は何事かと歓喜し、講師の男性はもはや苦笑するしかないようだった。ギミックは腹立たしくもニヤリとした笑みをくずしていない。質問とやらはこいつの差し金ではなかろうかと僕は邪推する。
「なんでしょうか、小さいきみ」
「はい私は桐生ありすといいます、まず先生のお名前を教えてください」
「桐生?」
どうしたことか男性はそこで何かを思い出すかのように視線を上向かせる。
「あいや、失礼。私の名前は宝塚皆人といいます。タカラヅカと書いてホウヅカ、みんなヒトでミナトです」
「皆人先生、先生はさきほど『現代のようにただ漠然と脳内端末を持つのは危険だ』と仰いましたけどそれはどうしてですか?」
宝塚皆人教授。年齢は五十台前半。情報工学の権威らしい。というのも僕は工学部ではないから聞き伝えでしか彼の凄さは知らないし、違う畑であるからよく分からない。学生には人気の高い教授であるそうだが僕とはあまり関りがなかった。ちなみにこの講義は基礎一般教養の一科目であり『現代社会における現状』というテーマのもと毎回違う分野の講師が自由に講義していく。そのためあらゆる学部の学生が入り混じっている。
宝塚は見事に生えそろった白髪の後頭部を片手で抑えながらひととき思考して答えた。
「ふむ、ありすくん、君はバスの運転手という仕事をご存知かな?」
「はい、もちろん知ってます」
そこで周囲が少し騒がしくなる。「運転手、バスに?」「知ってる?」などといった疑問の声だ。それを構いもせずありすが話を続ける。
「三十年ほど前まで多くの公共交通手段は今のように完全な無人運転営業を行うことはなく運転手ないしは補助運転員といった業務が存在していました。最後のバス運転手が退職したというのは当時の新聞記事にものりました」
「その背景にはどういった経緯があったかまではわかるかな?」
「自動運転機能の大幅な向上、つまりは人工知能の安全性が認められたことによります」
「正解だ。それにしてもありすくん、きみはハキハキと話すね」
「ありがとうございます、でも習ったことを話しただけですから」
「ふむ実に立派だ。周りの学生諸君も見習ってくれよ、では話を戻そう、どうして
脳内端末を漠然と持つことが危険につながるかだったね――」
そうして宝塚の話は続いた。
曰く、バスの運転手のように機械に仕事をとられるのは人間史において度々起こりうることなのだと。曰く、近年においては人工知能の技術向上によりそれは起こったのだと。曰く、その人工知能の技術はもちろん脳内端末に使用されているのだということ。曰く、今度は脳内端末に仕事をとられる心配があるということ。人間の大事な仕事をだ。
「つまり先生は脳内端末が危険なものであると考えてるんですか?」
「いやそうじゃない」
そこまで話して今度は別の学生から質問がとんでいる。ありすの質問から始まった脱線した話であったが当初に話されていた講義内容よりも面白く、大勢が興味深く聞き入っていた。
「脳内端末も人工知能もそれ自体はそう危険なものではない。きちんと安全対策が整ったものが流通されているから。問題は悪意ある人間はどの時代にだっているということだ。ところで君たちは当然のように端末を使いこなしているがそれはどうやって操作しているんだい、手も足も使わずにどうやって?」
そこで宝塚は一人の学生に質問した。あてられた学生は曖昧に答えた。「無意識に何となく」と。
「何となく、そう何となくだ。君たちの何となくの無意識を確固たる操作入力に変換しているのが人工知能だ。彼らは確実に君たちの思考をみているし聞いている。それを端末という機械にわかる言語に置き換えているのが彼らの仕事だ。けれど知りえたそれらを彼らが利用することは決してない、どうしてか、そう作られているからだ。はっきり言おう、その前提条件を持たない人工知能をつくることは可能だ」
そこで教室中がザワザワと騒ぎを増す。そこで宝塚は少々興奮しすぎたかというように後頭部を抑えてコホンと咳ばらいを一つした。そうするとざわついた講堂も静かになる。
「まあ、可能というのはつくるだけなら可能ということだけで、それを規制の目をかいくぐらせて流通させたり、社会全体に蔓延させることは不可能ということはもちろんだよ。そんなことが可能になるのは映画に出てくる陰謀論だけだろうさ。とにかく私が言いたかったことは人が道具を使う際にはそういう危険性もあるのだということ忘れてはならないということさ。趣味のオートバイで交通事故にあう人間もいれば料理の際、包丁で指を切る者もいる。間違っても非正規品の脳内端末を自らの子供に与えたりはしないよう」
そこまで語ったところで時刻を告げるチャイムが鳴った。宝塚はそこではっと気が付いたように。
「なんてこった、予定の内容が半分以上ちがう話になってるじゃないか」
そのコントのような滑稽さにドッと笑いが起こったのは言うまでもない。
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