青年と人工知能②

 拡張現実技術が一般に普及するようになり、それについて制限がかけられるのは当然の事柄であり、悪用されればもちろん法律により罰せられる。その法律の中に、『特別な許可なく人型を模したモノを拡張現実として用いてはいけない』というものがあった。

 理由を簡潔に言うと紛らわしいからである。

 そういう述べ方をすると大した事柄でもないと思われるかもしれないが、これは存外に重大であった。

 想像してもらいたい。例えば、道路で車にひかれる間際の子供を助けるため身代わりとなったとしよう。その子供は実は拡張現実であるのだ。そんな極端な状況を想定することがおかしいとする人もいるだろうが、それに類するトラブルはかつて頻出したらしい。

 そして人型を創り出せるということは群集を創りだせることだ。つまりはそれを意図的に操作することにより、群集心理を先導することさえできてしまう。それではいけないと慌てて法規制がなされたという話は、現代の語り草である。


「別に、通報しようとは思っていないんだけど、あんた、アバターだろ?」

「違うというのに、疑り深い奴だな」


 僕が何度もくりかえす問いかけに同じ答えが返ってくる。それはもう、ただの押し問答である。


「どうして君はそう思う?」

「あんたが言うことは突飛すぎるので、ありえそうなことを仮説している」

「なるほど」


 僕は自分を人工知能だと言い張る彼、ギミックの主張を認めていなかった。それよりも彼という拡張現実を遠隔地から操作している人間が、僕と会話している相手だとする方が容易に納得できる。

 現代において信じる者は騙される。


「では君は、このように――自然に動作している私を遠方からどのように操作していると?」

「そんなのわからんし、そこはどうであれ一緒だろう?」


 実際に彼の姿が、現実に存在するわけではない。彼の目や耳はただの幻であり機能はしないのだ。だから僕の声や周りの状況を彼がどうやって取得しているかはわからない。そうすると遠隔から操作をするなどは不可能な話だ。だがもし本当に人工知能なのだとしても話は一緒だ。彼を構成するなにかが世界のどこかにあるはずだった。そいつが僕の脳内端末に作用して『ギミック』という拡張現実を表示させているのだから。


「確かに、こうなると私の言うことを信じさせる材料がないことに気づかされたよ」


 僕の言い分も苦しいことは理解していた。一緒にここまで移動したが、その間、彼の動作はとても自然であった。何よりそんな面倒なことをする動機を思いつかない。だがそれでも、彼の言い分よりは幾分マシな話である。


「あのー、議論が熱くなってるところ悪いんだけど、大丈夫?」


 そんな折、横合いから声をかけられる。そこには喫茶店の制服に身を包み、珈琲サーバーを手に持った女性がいた。僕は珈琲のおかわりを彼女にお願いする。


「さっきから久我君ばかり飲んでいるけど、そちらの人は?」

「ああ、お気になさらずにお嬢さん、ほら私はこのように――」

 

 そう言ってギミックは、おかわりを注がれテーブルに置かれた僕のカップに手を伸ばす。そしてスカリとすり抜けた。


「あら……」


 彼女は目を丸くして黙り込んだ。それを見て先程の僕もこんな顔をしていたのだろうかと思案する。なるほど滑稽で面白味があり、笑みを禁じえない。

 彼女の名前は佐野もとみという、僕と同じ大学に通う学徒だ。喫茶店「のもと」でアルバイトをしている。学内では特に接点があるわけではないが僕がこの店の珈琲の味に惚れこみ、常連客であることから話すようになった。実は僕と同郷だったということもあり、こちらでの数少ない気のおけない友人の一人である。ちなみに彼女がこの喫茶店でアルバイトしている理由は店長の名前が「のもとみさ」で親近感がわいたからだと笑って言っていた。僕は最初にこれを聞いたとき、彼女は一体何を言っているのかと一週間ぐらい悩むはめになった。

 彼女はその人好きのする笑顔を困ったように変化させる。


「えーと……通報する?」

「僕は面倒事はごめんだから逃げるよ」

「あーそんなこと言う、それなら私も気づかなかったことにしよう。お客様、ごゆっくりしていってくださいね」

「ああ、ありがとう。可愛らしい、お嬢さん」

「あはは」


 大仰すぎるお世辞に苦笑して彼女はカウンターの向こうへと去っていく。僕は仕切り直してギミックへと話しかける。


「話は変わるけどアンタはあそこで何をしてたんだ?」

「あそことは?」

「屋上の縁で、僕はてっきり飛び降りでもするのかと思った」

「そうかもしれないじゃないか」

「あんた飛び降りて死ねるのか?」

「そんなわけない」

「だろうさ」


 だったら何をしていたのか。好奇心から聞くが、こちらは誤解させられたのだからいいだろう。


「考え事を少しね。これから人に会おうと思っていたんだが、さて、どうやって会ったものかと思案していた」

「会いにくい理由でもあるのか?」

「おそらく君が言っている意味ではない。だが、このままじゃ会えなくてね」

「もっと分かりやすく言ってくれると助かる」

「私がその人に会うのを躊躇しているという意味ではなく、会うこと自体が不可能なんだ」

「ああ」


 確かに言葉の妙である。だが、会うこと自体が不可能とは中々に想定しがたい状況だ。


「どこにいるのか分からないとか?」

「いや居場所も特定できている、ただ私一人じゃ無理なんだ。彼女には私の姿が見えない」

「それはどういうこと?」

「彼女は脳内端末を有していない」

「そりゃまたこのご時世に……何でまた?」


 昨今、脳内端末をもたずには生活さえ不自由すると言っていい。僕は生きた化石、具体的にはシーラカンスを想像しつつ問い返す。


「彼女の母親がそう望んだからかな」

「ふーん……まあいいや」


 返答から疑問はとけなかったが、見ず知らずの人間の家庭状況を知りたがる気はない。ここは話を流すのが吉だろう。


「それじゃあ、どうするんだ、そんな根本的な話だったらその彼女とやらに新しい端末を移植でもしてもらうのか」


 脳内端末というのは基本的に生後間もないころに埋めこまれ、そのまま生涯にわたりもち続ける物だ。脳内端末の前身ともいえる携帯端末の時代においては新機種が発売される度に買い替える者も多くいたそうだが、現代においては少数派である。理由は常用における利便度は大して変わらないからだ。昔ならいざ知らず性能が倍になろうとも一般使用する範囲においては大した違いなどでない。わざわざ頭を切り開いてまで替えたがる者はいない。

 故に脳内端末とは長時期に渡り使用されることが想定されており非常に壊れにくいものである。だがそれでも全く故障することはないということはなく、その憂き目にあったものは新しい物と交換することがある。


「いやそうしなくても、方法がないわけではない、ただどうしても最初は仲介役が必要になる、そこでだ、それを君に頼みたいのだがどうだろう?」

「え、僕が?」


 僕は自分でもわかるぐらいに頓狂な声をあげる。


「ここまで話をさせておいて、嫌というわけはあるまいね」

「いや、まあ、そう、でもある……わけ、ないんだが」


 確かに、ここまで話を聞いたからにはそれぐらい手伝ってやろうというのが人情ではある。どうやら他にあてがある様子でもないし、困っているのだろう。

 だがしかし、特に促したわけでもないのにペラペラと喋ったのはそちらであって、こっちが無理やり問いただしたかのような言い草は甚だ心外である。


「まあ、べつに今日は暇だし、いいけども」

「そうか助かった、感謝する。では行こうか、ここの御代は私がもつこととしよう」


 言うや否や、ギミックは席を立ち、奥に控えていたもとみを親しげに呼び寄せていた。彼女のその苦笑気味の笑顔を眺めながら、一体どうやって支払いをするのかと気になってみていたら電子マネー決済だった。

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