青年と人工知能
青年と人工知能①
今日は夢見が非常に良かった。
どんな内容であったかは覚えていないが、次に機会があればしっかりと覚えておこうと決心する程であった。だから、気分のままに用もないのに外出した。
多くの人々が僕の横を通り過ぎていく。
祖父母に諸手をつながれて歩く少年、その後方には両親らしき姿も見える。明らかに恋仲である男女二人組、彼らは仲睦まじく僕の視界の外へと遠ざかっていく。皆、心なしか幸せそうに見える。そんな彼らの様子を見て、僕はただただ憂鬱であった。
「ちくしょう、駄目だこりゃあ……」
ここに至り、僕は用もなくこんな場所に足を向けた失敗を悟る。
場所は商業ビルの中、三階。ちょうど大きな本屋と男性用のネクタイを専門にあつかうお店の中間あたりの通路。時間は平日の御昼どきである。
無性に周りの人たちの様子が気になり、向こうもこちらを気にしているかのような錯覚を覚える。一人でこんな場所をうろついている僕を嘲っているという被害妄想。実際には僕に意識を向けた人なぞいないことは分かっているが、どうもネガティブな思考をふりきれない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、謝りますから、勘弁してください」
僕は誰にというわけもなく、そう軽口を叩く。
僕こと久我哲生は二十歳の男性である。
生まれも育ちも九州、高校卒業と同時に上京、現在は都内の大学にてキャンパスライフを満喫中である。その詳細な生活状況については平日の昼間に一人で出歩いていることより色々と察していただきたい。顔はよく童顔と言われる。背は高い方だが筋肉質というわけでもなく中肉である。地元のほうの親しい友人たちからはよく「ガッちゃん」と呼ばれていたが、今はそういう風によんではくれる人はいない。
そうしてしばらく歩き回り、欲しい商品が目に入ることもないと確信する。そうなると本当にすることがないので、もう帰ってしまおうかと思いはじめた。すると視界に一つの表示が目に入る。
「そういえば行ったことないなぁ」
通路が交差する場所の天井近く、宙に浮かぶポップな見出しと枠組み、そして短い文章があった。見出しには大きく「空中庭園」と表示されている。
この表示は実際に存在するものではない、だがそこにある。
ビルの至る所に同様のものがある。テナント案内や地図、店の看板、非常口の表示など、ありとあらゆるものが確かに僕の眼に写しだされている。これらは全て拡張現実、脳内にある端末が見せる幻であった。ちなみに案内板などは指で触れるようにして操作することも可能である。
違和感はない。それは僕が生まれてから当然のようにあるものだから。
僕は試しに「空中庭園」に足を運んでみることにした。
●
ビルの屋上は広く、開放的な空間が拡がっていた。
青く澄んだ空は幾つかの夏雲を抱え込んでいるが、快晴と呼んでもよい程である。夏の日差しは凶悪で、容赦のない熱線を降り注いでくるが庭園の木陰がそれをやわらげてくれている。
立派な屋上庭園であった。流石は人々の噂に立つほどに有名な場所といったところで、現代人の求めるモノがそこにはあった。絢爛豪奢ということもなく、風光明媚であるわけでもない。だが確かに感じ入るものがこの庭園にはあった。無理矢理に言葉にするならば機能美だろうか。無駄なモノは存在せず、木の配置からベンチの向きに至るまで計算されているように感じるのだ。そのシステマチックな庭園は大都会の屋上にあるからこそ美しいのだろうと思う。これがどこかの世界遺産の王宮にあったとしても逆に興醒めだ。そういう庭園であった。
「誰もいない」
僕は周りを見渡して呟く。
こうして炎天下に外にでようとする者は稀有らしく、誰一人として庭園に姿を見出すことはできなかった。それならそれで、この庭園は僕一人の貸切だと喜び勇んで足を踏み出し、日射を自らの頬に感じた瞬間に後悔する。
暑い。
「けどせっかく来たんだし、少しは散策していかないとな」
そんな義務はない。暑ければ冷房の効いた室内に戻ればいい。けれども、そうやって自らの行動を無駄にしないために更なる無駄を積み重ねるのは、人間の性であるといえる。
しばらく庭園内をうろつくと、暑さに耐えかねて木陰のかかるベンチに座る。ちょうど風の通り道である場所に設えたのだろう、座った瞬間にヒュウと頬に風が吹きかけ、涼を感じる。
「だ~っちぃ……」
うだるようにしてベンチによりかかる。
「何をしてるんだ、僕は」
暑さに耐えかねて呟くと、それにより改めて現状についての疑問を喚起させられる。
大学の講義をさぼって何をするでもなく、ダラダラと街を練り歩く。その行為に目的はなく、よって楽しみを覚えることもない。
「やっぱり趣味の一つでももってないと駄目か、しかしそんな金はない」
僕は無趣味である。
そりゃ人並みにテレビも見るし映画も見る。漫画も読めば、ふと思いついたように運動しに外にでることだってある。だが「これが僕の趣味です」と断言できるようなものは何一つないのだ。
周囲の人間はみんな今どきの大学生らしく、やれ海外旅行だ、スキーだ、キャンプだ、車だ、バイクだ、合コンだと、青春を謳歌していらっしゃるが、どれもこれも金がかかる。ならアルバイトをして金を貯めればいいじゃないかと言われるが、その度に僕はムッとして言い返すのだ。
「お前らは泣くほど腹をすかせたことがあるか?」
比喩表現ではない、事実である。
僕は周りの人間よりも比較的多くのアルバイトをこなしていた。かけもちはもちろん、学内でボランティアじみたアルバイトにも参加している。後者は割がいいとは言えないものの、参加すると学内のツテが増えて大学生活を送る上で色々と便利だ。ときには仲良くなった教授に奢ってもらうときもある。
東京の家賃はどうしてこんなに高いのだろうと思う、学費だって馬鹿にならない。それに食費に光熱費、通信費、日用雑貨、等々。日々の必要経費を稼ぐのに精いっぱいなのにどうして趣味に金をかけられる余裕があるというのか。
とまあ、こうして色々と考えると精力的に活動しているようにも感じられる自らの労働生活だが、別に好きでやっているわけではない。必要だからやっていることである。その差は実に大きいだろう。
「はあ……つまんねえ、彼女できねぇかな」
結局、いつもの結論に落ち着く。
できればお金のかからない人がいい。さらに欲を言わせてもらえるならば可愛くて料理上手、優しくてさっぱりときっぷの良い女の人ならば最高に僕好みだ。まあ好き勝手に述べさせてもらっても、そんな見通しは一切ないので悲しくなる。
しかし人生とは本当に面白いものではないと思う。どの教授の与太話だったかは覚えていないが、仏教の考えには欲しいものが手に入らない苦しみというものがあるらしい。僕がこんなにも可愛い彼女を欲しても、決して実現することはないのだ。
しょせんこの世は一切皆苦。つまらない、嗚呼つまらない。
「いかん……思考が病んでいる」
気持ちを切り替えるためにも、もう一度周りを見渡してみた。
何か面白いものでもないかと探してみたのである。そうすると先程と一つ違った点を発見できた。屋上の縁に人影が一つ見えたのだ。
「おいおいおい……マジか」
僕はだらけていた身をガバリと起き上がらせた。
庭園の縁には当然、落下防止の柵が設置されているが、人影はその先にいたからである。
つまりはその人影は今まさに飛び降りることができる位置にいるのだ。
●
僕は考えもなしにその方向へと駆けた。そして声をかける。
「ちょっと待ったっ」
影が振り返る。それにより、その人物の容貌がはっきりとした。
異様なほどに中性的な顔である。
顔立ちが整った、女の様な男性や男の様な女性というのは今まで何度か見たことはあった。テレビでみる機会もよくある。それでも、男女の区別がつかないということは流石になかった。だが目の前の人物は判別がつかない。それ故にどうにも人間臭さというのを感じない、そんな不気味な顔だった。
年齢にしても僕と同年代ではあろうが年上か年下かも判別できず、体格にしても僕よりも少し背が小さいことが分かるぐらいで、男女の特徴を感じさせるものではなかった。
「何を待てと言うのかね?」
彼もしくは彼女が答えた。どこか時代がかった大仰な口調であったが、僕は気にせず話しかける。
「えっと……何かお話ししましょう」
こういう場合、相手を刺激しないようにするというのは常套である。僕ははっきりと飛び降りをやめろと呼びかけるのではなく、間接的な方法を選んだ。
「ふむ……話か、君、名前は?」
「久我、哲生といいます」
「年は?」
「二十歳です」
「学生かな?」
「あっはいそうです」
「ふむ」
そう言って彼は顎に手をあてて何かを思案し始める。
彼が僕に他愛ない質問をする。普通ならば逆であろうそのやりとりを経て、僕は違和感を覚えた。彼は非常に落ち着いていた。とてもじゃないが今から飛び降りようという気配は感じられない。
「あの、そこで一体何をしているんです?」
「人はどうして生きるのだろうということを考えていた」
その返答を聞いて、僕は気を引き締め直した。屋上の縁にて人生の意義を考えるなんて、まともな精神状態とは言えないだろう。
「生きていれば、何か楽しいことがあるからじゃないかな?」
何と、まあ。
自分で言っていて情けなくなる台詞を、僕は口にする。
それはどこかの小説やテレビで聞いた様な常套句であり、さっきまで人生がつまらないと嘆いていた男が発するには、あまりにも説得力のない言葉だ。だが人間、自らを棚においてでも綺麗事を述べなければならない事態もあろうと開き直ることにする。
ちなみに口調をフランクにして話しかけてみた。これで少しは心を開いてくれるかもと期待してのことだが、逆にふみこみ過ぎて警戒されないかとも懸念する。
「楽しいこと、か、具体的には?」
「えっと」
幸いにしてそんな懸念も、彼は気にした風もない。
だが、返す言葉に僕はキチンとした返答をできない。
「友達と遊んだりとか、彼女作ったりとか」
「君は友人や恋人と一緒にいるのが楽しいのかい?」
「……ごめん、ちょっと待って、今のなし」
適当に話をするものではないと実感する。すべて我が身にかえるので。
そうして改めて、真面目に考えだす。
ふと気づいたが、僕は一体何をしたくてこんな問題に頭を悩ませているのだろうと思った。だが、飛び降りを止めさせようとしている相手はこちらの話を聞いてくれる様子である。この話にケリがつくまでは安心であるはずだった。
「具体的にと言われても、やっぱり分からないな」
「そうかい」
「すまない。けどきっと何か面白いことがあると思うんだ、というよりそうあって欲しい」
「そうだね、それは理解できる」
彼はそう言って腕を組み、空を仰ぎ見た。つられて僕もその視線を追うも、そこには雲のない青い空が澄みきっている。
青い空はどこまでも拡がっているように感じる。
「これでも私なりに色々と考えてみたんだ、どうして人は生きるのか」
彼は空を見ながら話し続ける。フェンスを隔てて僕はそれを聞き続ける。
「どうしても分からないから、少しとっかかりを変えてみた。人生の意義とは、何を為せば人は死んでいいんだろうかって。いちばん単純な解は子孫を残すことかな、もうこれが正解でいいとさえ思える、けど私はわけあって子孫は残せないからな、他の解を求めたんだ。そうなるとこれが中々に決まらない」
そこまで言うと彼は私に向き直る。
「私は今それを探しているんだ」
彼の言葉は淡々としていた。
そしてどうしてか僕にはその気持ちが少し分からないでもなかった。
「とりとめのない話になってしまったね」
「いや、いいよ。もっと話を聞かせてくれ」
「そうかい、それじゃあ、お言葉に甘えるとしよう。しかしずっと立ち話もなんだし、場所を変えようかな」
彼はそう言うと、こちらに向かって歩いてくる。僕はそれを確認してほっと安堵の息をついた。だがそれも束の間に、驚愕に目を見張ることになった。
僕と彼との間には落下防止用の柵があったが、さながらゴーストのように彼はそれをすり抜けてきたからだ。
「驚くのも無理はない」
口を開いて呆けていた僕に彼が声をかけてくる。その口調はからかいを含んでいるように感じた。
「今、君は……フェンスを……いつの間に、こちら側に?」
「落ち着きたまえ、君が見たことは正しい。そうだな、握手でもしようか」
そう言って彼は手をさしだしてきた。僕は呆然としながらもそれに対応する。すると不思議なことに、僕の手は彼の手を掴むことができなかった。彼の掌をスカリとすり抜けてしまうのだ。
「これは、どういう……」
「遅れてしまったが、改めて自己紹介しよう」
彼は僕の驚く姿をニヤニヤと楽しみながらに口を開く。
「私の名前はギミック。人工知能だ、人間じゃない。そして君が今、対面しているのはただの拡張現実だ、君の脳内の情報端末が見せる、実際には存在していない幻さ」
僕はただただ自らの正気を疑うのみであった。
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