7話 覚悟を決めて(4)
オズワルドの姿が見えなくなると、アルテシアはシュミル王国から借りた侍女たちにその場の片づけを任せ、自分はユイリアを連れて部屋に戻った。レーヴェン王国へ手紙を出すためだ。
その道すがら、ふと気になったことがあって「そういえば、」と口を開く。
「使者はどうしようかしら?」
「こちらにやって来たときに連れていた護衛騎士がいましたでしょう? 以前手紙を出したときと同じようにすれば良いと思います」
確かにそうだ。結局護衛騎士だけを帰国させることはせず、しかも連れ歩いていないため、仕事がなくて暇であるはず。それならばむしろこうした仕事を与えてやったほうが良いだろう。いろいろあって完全に存在を忘れていたせいでできていなかったが、それが本来の在り方なのだから。
ふむふむ、と頷いて、そういえばレーヴェン王国から一切連絡がないことを思い出した。もうこの国に来てからひと月近く経っている。来た初日にも手紙を書いて届けさせたのに、未だに連絡がないのはおかしい。レーヴェン王国でなにかが起こっているのだろうか? 対策について議会が二分してしまい、議論が紛糾しているのならば、まだ良い。もしかしたら手紙が紛失してしまったのでは……?
ざらりとした不安を覚え、思わず顔を顰めた。今回も書簡を送っても返事がない、ということにならなければ良いのだが……。
そんなことを考えながら移動し、部屋に着いた。さっそく机に座って筆を取り、レーヴェン王国に送る手紙を書いていく。新たな条約を結びたいとシュミル王国が言っていることや、その条件と内容だ。つらつらと迷いなく書いていったため、すぐに終わる。その手紙をユイリアに渡し、オズワルドにもらった資料とともに封筒に入れてもらった。
「じゃあ、お願いね」
「はい、分かりました」
そう返事をしながらも、なぜかユイリアはその場を離れなかった。じっとこちらを見つめてきていて、ひどく居心地が悪い。
「どうしたの?」と尋ねれば、彼女は「少し疑問なんですけれど、」と言う。真剣な瞳がアルテシアを射抜いた。ゆっくりと薄い唇が動く。
「アルテシア様は、シュミル国王陛下に告白をしないのですか?」
「こ、告白っ!?」
その口から発せられた内容に、アルテシアは思わず仰天した。……告白。つまりオズワルドに恋心を打ち明けないのか、と、そう言っているのだ。それを理解した途端、ものすごい勢いで首を横に振った。絶対に無理! 恥ずかしすぎて言えるわけがない。地面に埋まりたくなる。
するとユイリアは「そうですか……」と、眉をひそめて言った。どことなく不服そうで、アルテシアが告白をしないことに対して不満を抱いているのが分かる。だがしかし、譲れないものは譲れない。告白をするなんて、そんなのできやしないのだ。それに、夫婦になれるのだから告白なんて必要ないはずだ。きっとそう。意味のないことはしなくてもいい。
うんうん、と頷いていると、ユイリアが再度口を開いた。
「ですが、想いを伝えるのは大事だと思います。万が一、シュミル国王陛下がアルテシア様を娶らなくても良い状況になってしまったらどうするのですか」
その言葉に思わず顔を顰めた。オズワルドが好きだから、そんな状況にはなってほしくない。誰かが彼の隣に立って微笑んでいるなんて、考えるだけでも嫌だった。
けれど――。アルテシアはゆるゆると首を振った。
「そんな状況になるとは思えないわ」
「いいえ、ありえます。アルテシア様の異母姉である第三王女殿下は未だ独り身でございます。先代のシュミル国王陛下がアルテシア様をお望みになったため今の状況になっておりますが、本来、国同士で結ぶ条約の対価――人質として差し出す場合、正妃の娘である第三王女殿下のほうがふさわしいのです。アルテシア様の代わりに第三王女殿下がこちらにやって来る可能性は、思っているよりも高いと思われます」
確かにそうだ。正妃に疎まれ、社交界デビューもせず、王宮の片隅でひっそりと暮らしていたアルテシアよりは、ほとんど顔を合わせたことのない異母姉のほうが父であるレーヴェン国王に対する人質になるし、なによりアルテシアは一国の王女にふさわしい教育を施されていたとは言い難い。そのため立派な王妃になれるとは言いづらく、シュミル王国側から見ても、アルテシアよりは異母姉を娶ったほうが、明らかに利益が大きいのだ。
それは分かる。分かるけれど、どうしても告白することに踏ん切りがつかなかった。きゅ、と手を握りしめる。恥ずかしいのもあるけれど、心のもっと別のどこかが悲鳴を上げていた。
沈黙が部屋に満ちる。やがて、ユイリアが口を開いた。
「アルテシア様は、それほど想いを告げることが怖いのですか?」
――怖い。その言葉はすとん、と心の中に落ちてきた。そう、怖いのだ。告白をして、拒絶されるのが怖い。オズワルドがアルテシアのことをそういう対象として見ていなければ、これまでの関係も崩れてしまい、結局彼の隣に立つことはおろか、そばにいることさえもできなくなってしまう。もしかしたらこっぴどく振られて、腹いせに彼のことを嫌いになることもあるのかもしれない。それならば、告白なんてしないほうがマシだ。このままの関係で良いと、そう思う。
こくりと静かに頷けば、「そうですか……」と残念そうに言われた。きゅう、と胸が切なくなる。だがしかし、リスクが高い選択肢は取るべきではないはずだ。
そこまで考え、ふと思った。
(私、なにも成長してないじゃない)
今までずっと、何もしてこなかった。レーヴェン王国にいたころもただ民を憐れむだけで、国のためになることなどなにもせず、誰かが国を救ってくれるのを待っているだけだった。ずっとずっと、自分から行動を起こしたことなどなかった。
そんな自分が恥ずかしくて、惨めで、だからこそ国のために真っ直ぐなオズワルドに尊敬の念を覚えたのだ。そんな彼の隣に立ちたいのだったら、隣に立っても恥ずかしくならないくらい誠実に行動をしなければ。
――彼が他の者に
「ユイリア」
呼びかければ、何を感じ取ったのか彼女が微笑んだ。さすが乳姉妹、と思いながら覚悟を口にする。
「私、告白するわ」
――自らの幸せのためにも。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は少しさかのぼり。お茶会のあと、オズワルドは執務室に戻ってすぐさま執務を再開した。襲撃以来、こちらに反感を抱く者たちの活動がやけに活発化しているらしい。おそらく自分たち以外にも同じような思想を持つ者が意外と多いことに気づいたからではないか、と推測できる。そのため様々な場所に密偵を放ったりしており、その報告等のせいで執務の量が増えてしまっていたのだ。
はぁ、と重たいため息をつく。早く国が安定してほしいと思うが、向こう数年は不可能だろう。愚鈍な先王の治世の元、様々なあくどい方法で私腹を肥やした貴族がかなりいる。無駄に有能な彼らを国から排除するには、十年は必要となるに違いない。
そんなことを考えていると、まだ執務室にいたレオンが「そういえば、」と口を開いた。
「陛下はなぜ、アルテシア姫に礼を言ったのですか?」
お茶会の最後のことだろう。あのときオズワルドはすぐに立ち去ることなく、アルテシアに礼を言った。その理由を問われ、思わず顔を顰める。
「別に。……ただ、なんとなくだ」
「なんとなく、ですか……」
そう呟くように言うと、なぜかレオンは口元に手を当てて考え込み始めた。いつも、たとえどんなときでも柔らかな笑みを浮かべているのに、珍しくその眉根が寄っており、気難しそうな表情だ。どうしたのだろう? と首を傾げながらも、溜まった執務を消化するため手を動かす。
しばらく経ったのち、レオンは「では、」と言った。
「アルテシア姫は陛下にとって特別なのですね。私でさえも陛下から礼を言われたことはありませんから」
思わず体を強ばらせた。……思い返してみれば、確かにそうだ。レオンに礼を言った記憶など欠片もない。ずっと自分のために働いてくれていた者にも礼を言わないなんて……なんと不誠実な主だろう。
慌てて「すまない。いつも感謝している」と言えば、なぜかため息をつかれた。どういうことだ。
「別にアルテシア姫を妬んでいるわけではありません。私が陛下に仕えるのは当然のことですから。――本題は、陛下が女性であるアルテシア姫を特別だと思っていることです」
そうレオンは言うが、話の行き先が見えてこず、オズワルドは首を傾げた。いつもなら彼が何を言いたいのかすぐさま分かるのだが、今回はまったく分からない。特別なのが、なにか重要なのだろうか?
沈黙が部屋におりた。はぁ、と、再度レオンがため息をつく。
「陛下はアルテシア姫を好ましいと思っておりますよね?」
「まぁ、そうだな」
彼女は強い。そう思う。なにせおそらく初めて人が殺される現場にいたにも関わらず、この国から出ない、と、強い瞳で言ったのだ。覚悟はできている、とも。その強さが眩しく、すごいと思う。素直に尊敬する。
「それは陛下が一人の男として、一人の女性であるアルテシア姫を、ということですよね?」
「…………そう、ではないか?」
いつの頃からかは分からないが、彼女を〝レーヴェン王国の王女〟という肩書きではなく、〝アルテシア〟という一人の女性として見ていたのは間違いない。だからオズワルドも素で対応してしまい、一つ間違えれば外交問題にでも発展しそうな乱暴なことを言ってしまうのだ。レオンの言うことは正しいのだろう。
それでも話の流れが見えてこず、内心では首をひねることくらいしかできていなかった。
「でしたら、」とレオンが言う。
「陛下はアルテシア姫に恋をなさっているのですよ」
「…………いくらなんでも、それは暴論過ぎないか? それにあいつも――」
「暴論でもなんでも構いません。ですので、きちんとご自身がアルテシア姫に向ける感情と見つめ合ってください」
「いや、だから――」
「では、失礼します!」
ぴしゃりと言い放ち、レオンは部屋を文字通り飛び出していった。扉を閉める音が大きく響く。
そんな執務室で、オズワルドはぽかん、と、間抜けにも口を開けて座っていた。
サインの途中だった書類はインクが滲み、大変なことになっていたのだが、それに気づくのはもう少しあとだった。
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