7話 覚悟を決めて(3)
「……ちなみに、ユイリアはどんなことを話したのかしら?」
ユイリアから目を逸らしたあと、アルテシアは取り繕った笑顔を浮かべてそう尋ねた。おそらく当の伝言がこちらの意思ではなかったことは伝わっただろう。それは部下も満足に従えていないということを伝えてしまうためあまりよろしくないことだが、なりふり構ってはいられない。変なこと――たとえばアルテシアの恋心とかまで暴露されていたら、もう無理だ。逃げ出すしかなくなる。
(まぁ、ユイリアのことだからそんなことはないと思うけど……)
そうだと思えるくらい長い年月をともに過ごしてきたのだ。相手の気持ちはだいたい分かる。だけど今回のように変な気を回して言ってしまった、もしくはこれもまたありえないことだが、オズワルドが脅して無理やり言わせた可能性もなくはない。ゼロではない限り警戒するのは大事だろう。
じっと紫色に似た黒い瞳を見つめていれば、彼は一瞬目を伏せ、口を開いた。
「レーヴェン王国が協力する代わりに、様々な便宜を図ることとか、すぐに見返りが必要ならばおまえを正式に嫁に迎え、人質にすれば良いとか……そんなことだな」
「そう」
ほっと息をついた。どうやら恋心のことはバラされていないらしい。まだ心に余裕ができて、いつの間にか強く握りしめてしまっていた手を緩めた。
そっと手を動かし、音もなく机の上に置かれていたティーカップを指に引っかけ、口元へ持っていく。流れ込んできた紅茶は思いのほか甘くて、緊張はほぐれ、あとかたもなく消えた。ふぅ、と息をつく。
優雅になるよう意識して、音を立てないようにカップを置くと、アルテシアはゆっくりと口を開いた。
「私はそれで構わないわ。あなたは――というよりこの国はどう? そちらにも利益があるようにしたいのだけれど」
「それならば大丈夫だ。……さっきも言ったが、元々レーヴェン王国に協力を要請するつもりだったからな。おまえが仲介に入ってくれるのならばありがたい」
その言葉を聞いて、アルテシアは良かった、と心の中で呟いた。両国に利益がなければ、条約を結んだところで家臣らの反対にあい、結局破棄されてしまうかもしれない。事実、先代のシュミル国王が勝手に約束を取りつけたアルテシアの輿入れだってそうなった……のだろう。結婚を断られて、だけど諦めまいと頑張っていたのに、恋心とかそのほかのことでいつの間にかうやむやになってしまっていたが、今オズワルドの妃になっていないのならば、そういうことだ。
そんなことを思っていると、オズワルドがすっ、と、自然な動作で手を振った。それと同時に、侍女らと同じく少し離れた場所に控えていたレオンがこちらへやって来て、オズワルドにいくつかの書類を渡した。それを終えると、彼はまた元の位置に戻っていく。
オズワルドは確認なのか、パラパラ、と流し読みすると、アルテシアへそれらの書類を渡してきた。一番上には、何も書かれていないまっさらな紙がある。
「そこに、いろいろと書かれている」
話の流れからしておそらく、彼が進めようとしている制作のことだろう。「分かったわ」と頷きながらアルテシアは一枚紙をめくり、文字に目を落とした。
そこには最近遠い南西の国から伝来したある植物についてのことが書かれていた。ヤムと呼ばれるそれは紫色の皮を持ち、めくれば黄色の部分が出てくるという。その黄色の部分にはたっぷりと栄養が含まれており、さらに開墾をせずとも育ち、その上乾燥に強いため、近年シュミル王国等を襲っている異常気象が起こっても育てられるらしい。春に植えて秋に収穫するため、冬の保存食として活用できるだろう、と書かれていた。
紙をめくった。しかし問題点がいくつかあるらしく、その最もたる例が暖かい地域でしか育たず、シュミル王国では南部でしか育たないということだとのこと。南部で育てたものだけで全国民の食料を補うのはかなり無理があるとのことだった。
なるほど、とひとつ頷く。
「レーヴェン王国でなら育つ可能性が高いのね」
そう言ってオズワルドのほうを見れば、彼は「ああ、そうだ」と頷いた。レーヴェン王国はシュミル王国の南に位置しており、ここよりも温暖な気候だ。育てられる可能性は高いだろう。
彼が何を求めているのか分かり、アルテシアは最後まで見終わった書類を軽く整えながら尋ねる。
「この資料、レーヴェン王国にも送っていいかしら?」
「無論だ。……それだけの分量で十分か?」
「ええ、おそらく。あと、なにか先に伝えたい要求とかがあったら同封する手紙に書くけど、……なにかある?」
「そうだな……。とりあえずの要求はおまえをこちらに嫁がせることと、十年間はヤムの関税をほぼなしにすること。それくらいだな」
「分かったわ」
頷きながら、アルテシアは離れたところに控えているユイリアに合図を送った。こちらに来てもらい、書類を預けるのだ。しかしそのとき、「だが……」とオズワルドが口にした。おや? と思って彼のほうに視線をやれば、真摯な瞳に射抜かれた。胸がざわつき、居心地が悪くなる。
ゆっくりと彼の口が動いた。
「おまえは本当にそれでいいのか? 俺に嫁ぐことになるのだぞ」
さぁ、と風が吹き、オズワルドの髪がさらりと揺れた。しかし一切揺らぐことなく、強い光をたたえた瞳で彼はアルテシアを見つめてくる。
……もしかして、心配してくれているのだろうか? これがアルテシアの意に染まない結婚になるのでは、と、思ってくれているのだろうか?
そう思った瞬間、胸が温かくなった。思わず笑みがこぼれる。それをこらえようと口元を引き締めながら、アルテシアは「大丈夫よ」と告げた。
「これは私が望んだことだから」
――だって、あなたが好きだもの。
そう心の中で付け加えながら微笑んだ。さすがにそんな心情なんて言えやしない。恥ずかしくて死んでしまう。
オズワルドは安心したように「……そうか」と呟いた。わずかな変化だが、口元がほころんでいる。
受け入れられたことに安堵しながら、アルテシアは「それで、」と口火を切った。
「時間は大丈夫? あなた、ここ最近すごく忙しいんでしょう?」
「まぁな。……だが、今回のことで問題が一つ片づいた。礼を言う」
「……どういたしまして」
ぷいっとそっぽを向いた。お礼を言われたことがすごく嬉しい。頬が熱くて、唇が緩んでしまう。必死に引き締めようとしたが、それができていないのは自分でも分かっていた。
うう、と心の中でうめきながら悶えていると、オズワルドが立ち上がった。
「戻る。レーヴェン王国への連絡は頼んだ」
「ええ、任せて」
自らの主の動きを見たのか、レオンが静かに駆け寄ってきた。自然とお開きの雰囲気が伝わったのか、侍女たちもやって来る。
オズワルドはそのまま立ち去ると思ったのだが、意外なことになかなか去ろうとはしなかった。なぜか立ったままアルテシアをじっと見つめている。
まだ話すことがあっただろうか? と思って首を傾げれば、たっぷりと間があったあと、彼が重たい口を開いた。
「その…………いつもありがとうな。先ほどのこともだし、この茶会も」
じんわりとした熱が胸から生まれ、全身をめぐった。泣きたくなってしまって、手もわずかに震えたが、それを見せないようにこらえた。「……別に」と返すだけで精一杯だった。
のどかな雰囲気が周囲に満ちる。今度こそオズワルドはくるりと踵を返し、自らの執務室へと戻っていった。
その背を、アルテシアは少しだけ目を潤ませながらじっと見つめていた。
嬉しくて、幸せで、涙が溢れてきた。
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