7話 覚悟を決めて(2)

 作り笑いを浮かべて気持ちを悟られないようにしながら、アルテシアは静かにいつもいる客室へと向かった。そして部屋に着いた途端に笑顔を消すと、不機嫌そうな、悲しそうな、複雑な表情でソファーに荒々しく座る。

「アルテシア様……」とユイリアが呼びかけてきた。しかしなにを言えば良いのか分からないらしく、何度か口を開いたりしたあと、結局口を閉ざした。

 沈黙がおりる。はぁー……とたっぷり息を吐くと、泣きそうになるのをこらえながら、「ユイリア」と今度はこちらから呼びかけた。呼びかけられた当人はくしゃ、と珍しく顔を歪めている。


「大丈夫よ。分かっていたことじゃない」


 どう足掻いたところで、このままではアルテシアがこの国の人々に受け入れられることはないだろう。ここに居場所はないのだ。そのことがひどく虚しくて、胸が切なくなる。きゅ、と太ももに置いた手を握りしめると、瞳と同じ深緑のドレスにシワができた。

 静寂がおりて、アルテシアはそっと目を伏せる。じっと、心を無にして手元を見つめていれば、「ですが、」とユイリアが声を発した。顔を上げれば、彼女は珍しく眉根を寄せ、苦しげな表情をしている。

 ふと、ここに来てからよく感情を見せるな、と思った。悪意に晒されることのない、決して無視されることのないこの国が居心地よかったのは、アルテシアだけではないのかもしれない。そんなことを思った。

 ユイリアが口を開く。


「分かっていたとしても、傷つかないわけではございません」


 あまりの苦しさに喘ぐような、喉の奥からなんとか絞り出したかのような声だった。瞳には心配の色が滲んでおり、思わず口を緩める。その優しさが、気遣いがひどく心地よい。ここにいてもいいのだと言われている気分になる。

 そっと目を伏せていれば、自然と沈黙が満ちた。先ほどとは違い、少しだけ温かみのあるものだった。ほっとする。


 ふと思い立ち、アルテシアは背後にある窓を――正確にはその向こうにある景色を見た。寂れた街と平原をくっきりと分ける城壁があり、さらにその向こうにはいくつかの山々が見えた。それらは白い雪をかぶり、静かにそこにたたずんでいる。

 ちょうどそれらはこの国の王都の南にあった。おそらく客室を与える際に誰かが気を遣ってくれたのだろう。故国であるレーヴェン王国のある方角だ。ここからはレーヴェン王国は見えないけれど、視界にある山々は向こうからも見えているだろう。


 それらを眺めながら、どうしようか、と考える。この国に居場所はない。もちろん――故国にも。それならば、どこに行けば良いのだろう? どこにも行けないのに。

 そのときだった。「アルテシア様」と呼ばれる。今度ははっきりとした、芯のある声で、そのことに驚きながらユイリアのほうを見やれば、彼女は真剣な面持ちでこちらを見つめていた。「なに?」と、どぎまぎしながら尋ねる。

 薄い、桃色の唇が開かれた。


「アルテシア様は今、選べる立場です。このままどうにかしてこの国に残るか、レーヴェン王国へ戻るか。……選ぶとは思いませんが、一応、ここから抜け出して、だけどレーヴェン王国へと戻ることなく、放浪の旅に出たり、平民たちに混じって働いたりする道もございます」


 確かに、言い方によっては選択肢があると言えるだろう。そのどれもがとても良い、というわけではないのだけれど。そう納得して頷いていると、「ですので、」とユイリアが言った。


「きちんと望みを言ってください。私がそうなるようにします。――アルテシア様の侍女ですから」


 そう告げるユイリアの瞳には硬い意志が見えた。なにがなんでもそうする、という意気込みが窺える。

 そのことに目を細め、アルテシアは「ありがとう」と言った。胸が温かく、いつの間にか強ばっていた手が緩む。ドレスから大方のシワが消えた。

 そっと目を閉じ、考える。果たして、自分はどうしたいのだろう。何を望んでいるのだろう?

 ……答えはすぐに出た。なにせ、もう以前に覚悟を決めていたのだから。


(彼の隣にいたい)


 この国にいたい。

 だけど脳裏にチラつくのは、もう一ヶ月近く前、レーヴェン王国を出るときに見た王都の光景だ。寂れた街、人通りのない街。あそこに居場所はないとはいえ、レーヴェン王国は故国だ。それに、そこに生きる人々にはなんの罪もないため、なんとかして彼らの生活も救いたいと思う。

 しかし、どうすればいいのかが分からない。アルテシアにはどうしようもないことばかりだ。

 とりあえずその気持ちを素直に口にすれば、ユイリアもうーん、と唸った。


「そうですね……レーヴェン王国も救うとなると、私たちでは難しいです」

「そう、よね……」


 視線を手元に落とした。そんなの我儘だ、欲張りすぎだという自覚はある。それでもこの二国ともの状況をどうにかしたかった。

 きゅ、と手を握りしめると、「ですが、手がないわけではございません」とユイリアが口にした。え? と思って反射的に顔を上げれば、彼女は小さく笑みを浮かべていた。


「簡単なことですよ。アルテシア様ご自身がおっしゃっていたではございませんか。シュミル国王陛下が何か政策を考えている、と。それにレーヴェン王国が協力……というより今後便宜を図る代わりに教えてもらえば良いのです。そうすれば条約を結ぶことになります。そこにアルテシア様がシュミル国王陛下の元に嫁ぐことを加えていただければ、万事解決です」

「でも……」

「大丈夫です。なんとかなりますから」


 そう言うユイリアの表情は、どこか自信に満ちていた。まるでそうなることが決定事項であるかのように、絶対にそうなると確信しているかのように伝えてくる。

 そのことを訝しげに思いながらも、アルテシアは頷いた。ユイリアの案はシュミル王国がレーヴェン王国の協力を本当に求めているのか、とか、どうやって条約に加えてもらうのか、など曖昧な部分があったが、それ以上の案は思いつかなかったからだ。もし失敗してしまったのならば諦めればいい。今までがそうだったのだから、今回もできるはずだ。

 ……きっと。できることならば、そうなってほしくはないけれど。


 そうと決まれば善は急げ、ということで、アルテシアはさっそくオズワルドの元へ手紙を届けさせた。なるべく早く会いたい、という内容の手紙だ。同時に今日のお茶会はクッキーを作る暇がなかったため中止だという伝言も頼む。

 さすがに忙しいだろう、と思って気長に待っていたのだが、意外なことにすぐさまユイリアが取って返してきた。その手に返事をたずさえて。


 手紙を見せてもらえば、そこには明日のお茶会のときに人払いをしたうえで話を聞く、という内容が書かれていた。やはりお茶会や執務だけで手一杯で、時間があまりないなのだろう。どれだけ忙しいのか、と思いながら了承の返事を書き、またユイリアに届けてもらった。

 帰って来たとき、その手にあった手紙にはただ一言、「無理はするな」と書かれていた。それを見てくすくすと笑いながら、アルテシアは「あなたもよ」と書く。

 ひどく胸が温かかった。




 そして翌日。アルテシアは数時間後に迫ったお茶会にわずかに緊張しながら、いつも通りクッキーを作っていた。もう手慣れたものだが、今後の運命が決まるというとてつもない緊張のためか、少しだけ形が不格好になる。そのことに眉を寄せながらも、すぐさまその場を離れてお気に入りの紫色のドレスに着替えた。そうして、お茶会の場である庭園へ向かう。

 早く着きすぎたのか、やはりオズワルドはいなかった。とりあえず椅子に座ってやって来るのを待つ。

 ……しばらくしても、彼はなかなかやって来ない。思わずぽつりと呟いた。


「……暇ね」

「そう言わないでください。緊張したアルテシア様が急かしたからじゃないですか。自業自得ですよ」

「分かってるわよ。だけど暇なのだから、仕方ないじゃない」

「大丈夫です。これからそんなことはなくなりますから」


「どういう意味?」と問いかけようとして振り返ると、ユイリアが別の方向を見ているのに気がついた。そちらを見れば、レオンを連れたオズワルドがこちらへ向かってきている。確かに暇だなんだと言ってる暇はない、と思いながら立ち上がった。


「早く腰かけて。話しましょう」

「……ああ、そうだな」


 どうしてか安堵の息をつきながらオズワルドが座った。アルテシアも椅子に座り直す。

 平静を装ってはいたが、心臓はバクバクとしていた。じんわりと手汗が滲んでいて気持ち悪いし、声も出しづらい。だけどそれらをおくびに出すことなく、さっと手をひと振りしてユイリアを含めた侍女らを遠ざけると、さっそく話を切り出した。


「私からの提案よ。昨日も聞いたけど、どうせあなたのことだから国のこの現状をなんとかするための政策があるんでしょ? それに――」

「条約のことだろう? 俺にとっては異論はない。元々おまえ――レーヴェン王国に協力を要請したかったからな」

「…………はい?」


 なぜかこれから提案しようとしたことを先に言われ、しかも納得されていて、アルテシアは思わず首を傾げた。その反応を訝しんだのか、オズワルドがすっと目を細める。


「昨日、侍女に伝言を頼んでいただろう? シュミル王国と条約を結びたい、と……」


 それを聞いた瞬間、アルテシアは勢いよく後ろを振り返った。昨日届けさせたのは手紙だけだ。伝言など頼んでいない。それなのに彼は伝言を聞いたという。犯人は一人しかいなかった。

 遠目に見るユイリアは少しだけ笑っているようだった。


(なにやったのよ、ユイリア!)


 アルテシアは望み通りになったことを喜べば良いのか、はたまた勝手な行動をした自らの侍女に対し怒れば良いのかよく分からず、とりあえず心の中で叫んだ。

 どこからかピーヒョロロロ……と、トンビの鳴き声が聞こえてきた。

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