7話 覚悟を決めて(1)

 一度強引に寝かせてやって以来、オズワルドはそれなりに睡眠時間を取っているようだった。偶然レオンとすれ違ったときに聞いた話によると、どうやら夜中遅くまで執務をしようとするオズワルドに対し、「またアルテシア姫に寝かせてもらいたいのですか?」と言うことによって無理やり寝かせているらしい。「幾分か健康的な生活になりました」と嬉しそうに語っていたが、それほどまで寝かさせられるのは嫌なのかと、思わず遠い目をしてしまった。ちょっと悲しい。


 そんなこんなでアルテシアの日常は穏やかに過ぎていった。あの襲撃などなかったかのように、以前と同じようにクッキーを作ってお茶会をする毎日だ。だけど少しだけ違って、襲撃直前や直後にあった気まずい雰囲気がまったくなくなっていた。おそらく一度怒りをぶちかましたうえ、寝かせるときに自然な雰囲気だったからだろう、と思っていたら、ユイリアに「恋心を受け入れたから、ということもあると思います」と言われた。……確かにそうかもしれないけど、面と向かって言われるのはすごく恥ずかしい。地面に埋まりたい。


 閑話休題。とにかくそんなぬるま湯のような毎日を過ごしていたのだが、寝かせてやってから一週間後、珍しくオズワルドの方から呼び出しを受けた。どうせ刺繍くらいしかやることなくて暇だし、ということでアルテシアは彼の執務室へと向かう。

 道すがら、後ろに付き従っていたユイリアがぽつりとこぼした。


「なんでしょうかね? 珍しく――というか初めての正式なお呼び出しでしたけど」

「さぁ? ただ、今回のように当日になって呼びつけるのはやめて欲しいって言わなくちゃね」


 そう軽口を叩きながらも、アルテシアの鼓動はいつもよりも早く、そして大きかった。こちらから突撃を繰り返していたため、幾度も会っていたにも関わらず、今まで一度もなかった正式なお呼び出し。嫌な予感しかしない。


 先日怒りに任せて怒鳴ったから、国に帰れとは言われないはずだが、もしかしたら、という予感は拭えなかった。なにせ他国の国王を一喝するなんて、送り返されても文句は言えないことだ。オズワルドは意見を汲んでくれてそのままいさせてくれようとしたのかもしれないが、側近たちや大臣らに押し負けてそうなってしまう可能性はある。彼はまだ在位ひと月ほどの国王なのだから、発言力はそれほどないだろうし、先代の行為を省みて、議会において国王の発言力がさらに小さくなっている可能性もあるのだ。きゅう、と胸が切なくなった。


 そんなことをつらつら考えているうちに執務室の前に着いた。正式なお呼び出しだが、いつものように扉の前には誰もいない。アルテシアはその場で深呼吸を数回して、今日はいつもと違うから、とノックをして返事を待つ。

「入れ」と、くぐもった声がドア越しに届いた。「失礼します」と言いながら部屋の中に足を踏み入れる。

 部屋の中には意外なことにオズワルドとレオンの二人しかいなかった。正式なものだからもっと他の側近たちなどがいるのかと思ったが、違うらしい。若干拍子抜けしながら足を動かし、珍しく書類の塔が建設されていない執務机の前に立った。ちなみに代わりと言わんばかりに床の上に塔が建設されている。相変わらず忙しいらしい。

 そんなことを思っていると、オズワルドが口を開いた。


「十日前の襲撃について、やっと裏が取れたから報告だ。ここに書かれている」


 そう言って、オズワルドは一枚の書類を差し出してきた。それを受け取り、目を通す。

 襲撃者であるあの男の名前やら過去やら、好物などどうでもいいことまで書かれていた。ふーん、と心の中で声を出しながら流し読みをしていく。正直、もう随分と経っているから襲撃犯のことなんてさほど興味はなかった。それならば今現在目の前にいるオズワルドについていろいろと考えたいと思うのだが、それは薄情だろうか?


 そんなことを思いながら目で字を追っていき、あるところでぴたりと止めた。少しだけ戻って、再度読み返す。

 そこには犯行動機と思われるものが書かれていた。どうやら彼は常日頃からオズワルドに対する不満を口にしていたらしい。クーデターを起こしながらも結局あまり改革を行えていない彼を「親殺し」と蔑んでいたようだ。


 ぎゅっと手を握りしめる。確かに彼は親を殺した。兄弟を殺した。それは事実だが、蔑む理由にはならないと思う。以前もオズワルドに対して言ったが、仕方のないことなのだろう。直接現場を見ていないため正確には分からないが、それくらいしか道はなかったのだと思う。それならば賞賛されこそすれ、蔑まれるなんてもってのほかだ。


 それにあまり改革を行っていないことにも不満を口にしていたようだが、こんな短期間で大規模な改革を一つや二つ行うことなんてできやしないだろう。むしろ行ったとしても、改革を行うのならば相応の根回しは必要なため誰もついて来られず、ただ時間や金、人員を無駄にする結果になるのは明らかだ。なにもやっていないように見えるだろうが、今は根回しの期間なのだろう。

 苛立ちを押し込めながら残りの文を読み、オズワルドに返した。彼は受け取ると、少し目を逸らして口を開く。


「改めて、悪かったな。巻き込んで」

「別にいいって言ってるでしょ。覚悟はできてるんだし」


 すると、オズワルドは不思議そうな表情で目をしばたかせた。わずかに首を傾げ、尋ねてくる。


「前々から聞こうと思っていたのだが、その覚悟とはなんだ?」

「そりゃあもちろん――」


「あなたの隣に立つ覚悟よ」と言いかけ、慌てて口を噤んだ。そんなこと言えるわけがない。本気で地面に埋まりたくなってしまう。もしくは記憶の消去か。とにかく恥ずかしすぎて無理。

 視線をさまよわせ、なんとかごまかそうとしたのだが、すっとオズワルドの視線が鋭くなった。おそらくこれから何か言い募っても信用してくれないに違いない。あたふたしながら、それならば話題を変えようと思って考えたのだが、なにも思い浮かばない。「あー」とか「うー」とか言いながら必死に頭を動かしていると、やっとこさ良い話題が閃いた。その内容を精査することなく、アルテシアは口にする。


「そ、そういえばあなたのことよ! どうせ、この国のためになにか政策でもやろうとしてるんでしょ? それってどういうのかしら?」


 途端、オズワルドが目を見開いた。予想外のことを訊かれた、とでも言うような表情だ。実際そうなのだろう。話題転換の仕方が下手だった自覚はある。

 シン、とした沈黙が部屋に満ちた。こちらを見ていたオズワルドはなぜか複雑な感情を瞳に浮かべると、そっと目を伏せる。パラ、と前髪が落ち、彼の瞳を覆い隠した。

 どうしてだか微妙な雰囲気になったことに首を傾げれば、オズワルドの代わりに控えていたレオンが口を開く。


「申し訳ありません、アルテシア姫。それらは我が国の機密事項ですので……」

「あ……」


 思わず声を漏らした。そうだ。アルテシアはレーヴェン王国の王女で、シュミル王国からすればただの客人だ。そんな人間に今後の国の行く末を決めるとも言える政策の内容など言えるわけがない。

 きり、と唇を噛み締めた。同じ空間にいても、気安く接していても、アルテシアとオズワルドは違う。二人の間には明確な溝があり、決してすべてを共有できるわけではない。

 ――他国の者なのだから。


 さらに歯に力を込めそうになったが、それをこらえ、アルテシアはにっこりと作り笑いを浮かべた。唇の代わりと言わんばかりに、こっそり右手を力強く握ることによって自らを痛めつけながら、それをおくびに出すことなく「ごめんなさい」と軽やかに謝罪する。


「無理なこと言ってしまったわね。……じゃあ、用が済んだことだし、帰らせてもらうわ。ユイリア、行きましょう」

「はい」


 これ以上雰囲気を悪くしないよう、努めて明るい声色で挨拶をしたが、結局はそれも虚しく、アルテシアが言葉を紡ぐたびに空気が重たくなっていった。それに耐えられず、部屋を出ようとする。

 一瞬顔を歪めながら、けれどもすぐに表情を取り繕ってレオンが見送りをしてくれた。

 オズワルドがこちらに視線を向けることはなかった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 いつもとは違って静かに閉じた扉を見つめながら、オズワルドはぽつりと呟いた。


「言えればいいのだがな」


「そうですね」とレオンが同意する。

 はおそらく、レーヴェン王国の――アルテシアの協力なしでは成功しないだろう。だが、まだ言える段階ではなかった。なにせ実現のためには二国間で正式に条約を結ばなければならないのだ。そのためには、彼女にはこの国の王妃となる覚悟が必要となる。それを先ほど尋ねたのだが、結局ごまかされてしまった。それならば彼女に覚悟はないということだろう。彼女のためを思うならば、無理強いはできない。

 はぁ、とため息をつきながら窓の外を見る。そこには春らしい陽気と、それには似合わない寂れた街が広がっていた。

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