6話 子守唄に祈りを込めて
翌日こそお茶会を開こうとしたのだが、それはユイリアに止められた。回復したとはいえ、今日は様子見としてあまり出歩かないでほしいらしい。既に昨日盛大に歩き回ったというか怒りを大爆発させたのだが、彼女にこれ以上心配かけるのはいけないだろう、と思い、大人しく一日客室で過ごした。
そしてその次の日、アルテシアは数日ぶりに厨房へと行った。そこでクッキーを作り、お茶会をするために呼びに行こうとしたのだが――。
(き、気まずい……)
執務室の前で足を止め、じっと扉を睨みつけていた。既にあのときの怒りは消えている。だからこそ怒りに任せていろいろと言ってしまったのがいたたまれないし、いざ会うとなると躊躇してしまう。我を忘れていたとは言え、他国の国王に対して暴言を奮ってしまったのだ。国を追い出されても仕方のない不敬な行為である。
しかもそのような行為は前日に続いて二度目だ。顔を合わせづらくなるのは必然とも言えよう。
うう、と心の中で唸りながら手を握ったり開いたり、あちらこちらに視線をさまよわせて突っ立っていると、突然ガチャリと音がして扉が開かれた。外開きであるため、わっ、と声を上げ、慌てて数歩下がる。
そこには不機嫌そうな面持ちをしたオズワルドがいた。珍しく青みがかった黒髪がぐしゃ、と乱れており、いつもより顔色も悪く、眼光も弱まっていた。
「ど、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ。ずっとそこにいて、だけど全然入ってこなくて……」
その声はどことなく乱暴で、力がなかった。最後の方はごにょごにょとなにを言っているのか分からないほどか細く、声がこもっていて、ぶつぶつとなにやら不満を口にしている。
明らかに様子がおかしかった。おそらく疲れているのだろう、とは推測できるのだが……それにしてもおかしすぎる。二日前に会ったときは若干疲れているようだったものの、これほどではなかったのに。
そんなことを思っていると、はぁー……と、オズワルドが重たく長いため息をついた。
「どうせお茶会だろう? 悪いが、今はそんな余裕はない。今日は帰ってくれ」
そう言うと、彼はすぐさま部屋の中にとって返そうとした。扉も閉じられそうになって、アルテシアは販社的に隙間に足を差し込む。途端、ぎらりと感情のあらわな、不満が沈澱している瞳に睨みつけられた。
ごくりと唾を飲み込む。鋭い眼光が突き刺さって、思われる足を引いてしまいそうになった。だけどそれでは結局なにも改善せず、良くないことは明らかなので、アルテシアはぎゅっと手を握りしめると彼を睨みつける。
「嫌よ。入れなさい」
「うるさい。おまえにかまってる暇はないんだ」
その場で視線だけで争う。長い時間互いにそのままの体勢で、なけなしの勇気を振り絞ってじっと目を逸らさずにいれば、「陛下」と声がした。二人してそちらを向けば、にっこりと笑っているレオンがいる。
途端、扉を閉めようとするオズワルドの力が緩まり、ほっと息をついた。おそらくレオンがアルテシアを止めてくれるとでも思ったのだろう。
しかしそうではなかった。レオンは笑顔のまま、「陛下」と呼びかける。
「アルテシア姫を入れてやってください」
「レオン!」
「たまには気晴らしでもしてください。このままでは倒れてしまいます。一時間ほどしましたら新たな仕事を届けますので」
そう言うと、レオンはにやりと笑ってこちらを見た。その表情にはこちらを後押しする感情が窺え、アルテシアは小さく笑う。そして彼の期待に応えるかのように扉を開け、部屋の中に強引に押し入った。
「おい!」
「出ろと言われても出ないわよ」
そう言い返しながら部屋の中を見回し、腕を組んだ。この部屋には執務机と大量の書類があるだけで、休めそうな場所はない。ということは、疲れたときのために仮眠室があるのは必須というか万国共通だろうから、執務机の右隣の壁にひっそりとある扉が仮眠室へ繋がるものだろうか? できることならそこで休ませてやりたいが、二人きりでそんなところに入るのは外聞が悪い。はて、どうするべきか。
うーん、と唸っていると、なにを言っても聞かないアルテシアに呆れたのか、はぁ、とオズワルドがため息をついた。疲れたような、それとともに魂まで抜けてしまったのでは、と思うようなものだった。そしていつもより小幅で頼りない足取りで執務机へと向かおうとする。
そうはさせまい、と、アルテシアはその手をバシッ、と掴んだ。
(外聞が悪いけど、まぁ仕方ないわよね。たぶんレオン様がここに誰もいれないようにしてくれるし。そうしたら二人で仮眠室に入ったなんて誰も知らないわ)
他の誰もが知らないのならば、それはないものと同じだ。うんうん、と頷き、アルテシアは手を掴んだまま仮眠室だと思われる扉へ向かって歩き始めた。背後で抗議の声が上がるが、無視無視。気にしてられない。
そうして扉を勢いよく開ければ、やはりそこは仮眠室だった。医務室にあったのと似たような簡素なベッドが一つと、サイドテーブルにランタンが置かれただけのシンプルな部屋だ。オズワルドらしい部屋だな、と思いながら、アルテシアはそのまま中に入り、彼の手を離すとベッドの端に腰かけた。そのままポンポン、と自らの太ももを叩く。
「ほら」
「…………ほら、じゃない。何をしたいんだ、おまえは」
「膝枕よ、膝枕」
その途端、オズワルドが固まった。「……ひざ、まくら?」と、まるで未知のものを目の前にしたかのように言葉を繰り返す。
「ええ、膝枕よ」とアルテシアは頷いたのだが、彼はそのまま動かない。ただ呆然とこちらを――というか太ももを見つめている。
……時が過ぎた。さすがにこのまま動きがないのでは休ませる時間がなくなると判断し、アルテシアはオズワルドの腕を引っ張ってベッドへと座らせる。元軍人であるためしっかりとした体幹を持っているはずの体はいとも容易く思い通りになった。そしてそのままちょうど太ももに頭が乗っかるよう位置を調整して、彼の体を横たえる。
「ほら、寝なさい。顔色悪いんだから」
「…………いや、だが……」
「いいから寝なさい。ちゃんと一時間後には起こしてあげるわ」
そう言い、アルテシアは眠るためのサポートをするためになにかをしようとしたのだが……なにをすれば良いのか分からない。膝枕なんてするのも初めてだし、されたことも今までにないから、こういうときはどうすればいいのか分からなかった。
(ど、どうしよう……)
二人分の呼吸の音だけが部屋に響く。どこからか喧騒が聞こえてくるが、それもかすかなもので、とても静かな部屋だった。寝るのには快適な環境だが、その分膝枕をしているアルテシアは手持ち無沙汰だ。
結局どうすればいいのか迷い、ちょうど良い位置にあったオズワルドの髪をいじり始めた。元軍人らしいが、その髪は思いのほかさらさらとしている。さすが王族というか国王というか、とにかくびっくりした。戦時中でもこれくらいの髪だったのだろうか? ……さすがにそんなことはないだろう。
そんなことをつらつらと思いながら、左耳の上にあった髪を三つ編みにしていく。けれどやはり男性の髪。短くてすぐに終わってしまったため、また別のところを三つ編みにしていった。
「…………おい」
「あら、起きてたの。早く寝たら?」
「おまえが触っているから眠れないんだ」
「そう。じゃあ止めるわ。だからさっさと寝なさい」
「…………」
返事はなかった。それが答えだった。
そっと体を傾けてオズワルドの顔を覗き込めば、気難しい表情をして目を瞑っていた。こんなときにまでそんな表情を浮かべるのが彼らしくて、思わず口元を綻ばせる。愛しいと、そんな気持ちが自然と溢れた。
体を起こし、かつて母に聞かされていた子守唄を小さな声で口ずさむ。なんとなくそうしたかったのだ。太ももの上にいる彼が安らかに眠れるよう、祈りを込めて声帯を震わせる。ゆったりとした穏やかな子守唄が部屋に響いた。
そうして、つかの間の優しい時間は過ぎていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます