5話 デートをしましょう!(4)
手に持っていたペンを置き、はぁ、とオズワルドはため息をついた。脳裡にチラつくのは、青白く、くたりと力なく横たわった柔らかな肢体。ドレスや髪が鮮烈な色をしている分、その顔色の悪さがより際立っていた。
もう一度、盛大なため息をこぼす。昨日襲撃を受けて犯人を斬り捨てたあと、振り返ればいつも明るく気丈なアルテシアが気を失っていたのだ。その様子は見たこともないほど頼りなく、今にも命の灯火が消えてしまいそうで、ひどく不安な気持ちになった。それは丸一日経った今も続いており、大量にある執務がなかなか進まない。
そこまで考えて、首をわずかに振ることによって気を取り直し、さぁ執務を再開しようとしたそのとき、部屋の扉が開かれた。顔を上げれば、入ってきたのは先ほど医務室へ伝言と書類を渡すよう頼んだレオンだった。彼は疲れた表情を浮かべながら、「陛下」と言う。
「驚いていましたよ、ユイリア殿。いくらなんでも唐突過ぎませんか?」
「だが、二人を帰したほうがいいと言ったのはおまえだろう?」
「そうですけど……」
レオンは気まずげに視線を逸らした。
昨日の事件の事後処理がひとまず終わったのは真夜中だった。どっぷりと日が暮れて闇が濃くなったため、燭台に火を灯して昼間に片づけられなかった書類を確認していると、レオンが二人を帰したほうがいいのでは? と言ってきたのだ。まだこの国はオズワルドの起こしたクーデターの影響で安定しておらず、様々なところで不満や悪意のある噂が囁かれている。そんな国にいさせるよりは、同じくらい異常気象で疲弊しているものの、まだ治世が長く安定したレーヴェン王国に帰した方がいいのは明らかだ。
しかしそう簡単にことは運ばない。そもそも二人がやって来たのだって、レーヴェン王国がこちらに援助を求めたからだ。二人を危険に巻き込んだのだから、せめて少しは援助をした方が良いのではないか、と思い、実行しようとしたのだが、それらは側近たちに止められた。シュミル王国にもそれだけの余裕があるわけではないのだ。むしろこちらが援助を受けたいほど財政は火の車で、国内も慌ただしい。そのため、帰りの費用を負担することによって折り合いをつけ、二人を帰すことになったのだ。
それでようやく仕事が落ちつき、余裕ができた先ほど、医務室にいるユイリアにその決定を伝えに行かせたのだが……なぜか提案者であるレオン自身が不満らしい。意味が分からない。
そっと首を傾げると、ため息をつかれた。
「将軍時代、陛下が先代にいきなり出兵しろと言われたとき、どう思いましたか?」
将軍時代。懐かしいな、と思いながら、まだひと月ほどしか経っていないはずなのに遠くへと行ってしまった過去を思い返した。確かに、何年か前そのような命令を受けたことがあったはずだ。あのときは……。
「ふざけるな、と思ったな。こちらにも用意があるのだから、と、使者をその場で怒鳴りつけた記憶がある」
「でしょう? そのようなことを、陛下は今回なさったのですよ」
そう言われ、思わず目を見開いた。そんな自覚はなかったのだが、どうやらオズワルドの行動はかなり無茶というか権力に任せた横暴な命令だったらしい。じっくりと考えれば、なるほど、確かに彼の言う通り決定事項だけを伝えるのは下の者にとっては迷惑なことだろう。勝手に相手の気持ちを判断して命令を下したところで、本当に相手がそれを望んでいるとは限らないのだから。
納得しながら、だけど釈然としない気持ちがあった。
「しかし、今回はそうした方が良いのは明らかだろう?」
「そうですが、今後はこのような行動は慎んでください。また何かあったときにこんな行動をして下々の者から嫌われるのは、陛下のお望みではないでしょう?」
「そうだな」
レオンの言葉に頷く。以後気をつけよう、と心を改めたところで、バン! と勢いよく部屋の扉が開かれた。
「そうだな、じゃないわよ!!」
そこにいたのは未だ意識を失っているはずのアルテシアだった。どういうことだ? と思いながらレオンの方を見れば、彼はぽかん、と口を開けて間抜けな顔を晒していた。その様子から、どうやら彼も王女が目覚めたという報告を受けていなかったというのが分かる。
動揺する男二人をそのままに、アルテシアは荒々しい足取りで部屋に入ってきた。その後ろには侍女が一人、静かに従っている。
執務机のすぐそばに立ったアルテシアは、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「私の意見を一切聞くことなく、これが望みだろうと勝手に判断してそのために行動するなんて、バッカじゃないの!? いったいいつ私が帰ることを望んでるって言ったのかしら?」
新緑の瞳が爛々と輝いており、オズワルドは反射的に後ろへ下がろうとした。しかしその前にアルテシアがこちらに距離を詰めてくる。
ぶつかりそうなほどの距離で怒りに染まった視線を浴びながら、視線をさまよわせた。この近さはまずい。外聞的にかなりよろしくない。が、今言ったら火に油を注ぐ結果になることは明らかだったため、距離を意識しないようにして、尋ねた。
「だ、だが、そうだろう?」
「そんなわけないじゃない!」
大噴火だ、と心の中で思った。目の前で火山が噴火している。しかもものすごい激しさで、だ。正直この場から逃走したいが、少し離れたところで待機している侍女の視線も鋭く、隙がなくて、なかなかできそうになかった。
そう思っていると、ぐいっと首元の服を引っ張られ、視線を無理やり合わさせられた。そしてその行動のせいで彼女が椅子に乗ってきたため、彼女の足が自分の股の間に挟まることとなった。これはまずい。まずすぎる。
「あーっと……その、退いてくれないか? せめて足を……」
「黙りなさい!」
ぴしゃりと一喝され、思わず口を噤んだ。怒り心頭のアルテシアには鬼気迫る勢いがある。戦場にいるときとはまた別種の恐怖が身を包んでいた。
「そもそもね、あなた何様よ! 偉そうなこと言わないでちょうだい! 私の未来は私が決める。だから勝手にこうしたいだろう、とか押しつけるなっ!」
その叫びとともに、服を掴んでいた手を離された。ふんっ、と再度鼻を鳴らされる。
そしてアルテシアは椅子から降りると、ビシッと勢いよくこちらを指さしてきた。文字通り目と鼻の先に彼女の指先がある。
「私はこの国に残るわ。それくらいの覚悟はできているもの」
そう言い放ち、くるりと踵を返して歩き始めた。しずしずと侍女があとを追う。
そうして部屋を出ようとしたところで、アルテシアはぴたりと足を止め、こちらを振り返った。そこに怒りの色はあるものの、少しは落ちついたらしい。先ほどとは違い、苛立ちの薄れた声が鼓膜を揺らした。
「えっと……今回私を巻き込んだこと、あんまり気にしなくていいわよ。仕方のないことだし。……そもそも、クーデターを起こしたのだって正しいと思っているんでしょ? なら過去の行動に胸を張りなさい。救われた人だっているでしょうし」
その言葉に、どきりと心臓が跳ねた。自分の心情が見透かされているようで、ちょっと落ちつかない。知らず知らずのうちに手に力を込めていた。
その後、「それだけ。じゃあね」と言ってアルテシアはそそくさと部屋から退散した。嵐の去った後のような部屋で、オズワルドはレオンと顔を見合わせる。彼は笑みを浮かべていた。
「強い御方ですね」と彼が言う。それが誰を指しているのかは明らかだった。オズワルドは小さく頷き、賛同の意を示すと、椅子に深くもたれかかる。
胸の内は、まるで台風一過のように澄み渡っていた。
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