閑話1 レーヴェン王国にて

 レーヴェン王国王太子、フェルディナンド・レーヴェンは王宮にある自身の執務室で仕事に忙殺されていた。次々とやってくる書類に目を通して処理をするのは大変な作業だ。しかもいつのころからか国王の分も回されるようになった上、大臣らも不認可の基準を緩めたのか、上がってくる書類の量が全体的に増えた。そのため私事の時間はまったくと言っていいほどなく、起きている時間はほとんど書類整理をしていた。


(そもそも、大臣らがもっと厳しくすれば……)


 これほどまでの負担にはならなかったであろう。しかしいくら注意しても彼らは勤務態度を改めたりしない。それならばとこの国で唯一人事の決定権を持つ父に大臣らを罷免するようかけ合ったのだが、結局彼らはそのままの地位にいる。

 大きなため息がこぼれた。正直、無能な国王や大臣に仕事を全部押しつけて逃げ出したい。けれどそうしたところでどうせ彼らは仕事をしないだろうし、そうなれば被害を受けるのは罪のない平民たちだ。そんなことできるはずがなかった。


 何度か首を横に振って気持ちを切り替え、フェルディナンドは再度書類に向かい合った。ちょうど手に持っていた書類、それに目を通し、……顔を顰めた。


(何を考えているんだか、このバカ将軍は)


 そう思い、すぐさま不認可にする。

 そこには北のシュミル王国と戦争をすべきだ、という内容がつらつらと書かれていたのだ。提案者は軍部所属のヴァイス将軍。理由づけとしては国王が変わったばかりで国が弱っているからだとか、あちらにはレーヴェン王国にはない豊かな雪解け水があり、それを使って小麦を生産すればきっと国を救うことができるのかだとか様々なことが書かれていたが、おそらく当の将軍はただ戦争をしたいだけだろう。以前剣を教えてもらっていたことがあったのだが、そのときにそんな人物だと思ったものだ。


 まったく……と思いながら、次の書類に手を伸ばす。そこにも同じような内容が書かれていて、よく見ることなく不認可にした。同じような内容のものは何枚も上げてくるな、とつい先日、とうとう耐えかねて大臣らに言っていたのだが、案の定無視されたらしい。


 椅子にもたれかけながら、フェルディナンドは背後にある窓を見た。そこからは美しい王宮の庭園に寂れた王都の街並み、無骨な城壁、さらにその向こうには豊かな自然などが見え、はるか地平線の先には雪を被った山々がうっすらと見えた。シュミル王国にある山だ。もう二週間も前、異母妹が嫁いでいった国。


 ふと、彼女は今どうしているのだろう、と思った。王妃から疎まれ、信頼できる数少ない人たちとともに王宮の片隅でひっそりと暮らしていた彼女は、シュミル王国に行って幸せになれたのだろうか。……そんなはずはない。なにせ嫁いだのはあのシュミル国王なのだから。好色で多くの子供を持っているあの国王に嫁いで幸せになどなれやしないだろう。


(もし彼女を送り出さなければ、どうなっていたのだろう)


 いやあのときだけじゃない。彼女の存在を知ったときや出会ったとき、哀れだと思ったときに逃がそうと思い、それを実行していたならば。

 そこまで考え、フェルディナンドは力なく首を振った。そんなことを考えたところで意味はない。結局彼女を逃がさず、シュミル王国へ送り出した。それだけが唯一の現実なのだから。


 ため息をつく。憂鬱だが、それでも気を取り直して執務を再開させようとしたところで、ぽと、と天井から書簡が降ってきた。おそらく一ヶ月ほど前に隠密部隊に頼んだ、国内貴族の調査結果だろう。そう判断してとりあえずそれを開くと――。


「…………は?」


 虚ろな声が、部屋にこぼれた。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ほーう……」


 一人の男が、頬杖をつきながら手紙を見ていた。そこにはシュミル国王が代替わりしていたこと、そして条約が破棄されそうになったので王宮に留まってなんとかする、ということが書かれていた。

 シュミル王国に着いてからすぐにアルテシアの出した手紙だ。それはいろいろな人の手に渡り、最終的に彼の元へとたどり着いた。


 ――レーヴェン国王、クリスティアン・レーヴェンの元へ。


 彼はそれを読み終わると、ぽいっと投げ捨てた。ひらひらと宙を舞ったそれは、机を越え、絨毯の敷かれた床に力なく落ち、そして拾い上げられた。

 手に取ったのはこの国の宰相だ。六十近い彼は、シワの多く浮かんだ手で手紙を軽くはたくと、「読んでも?」と尋ねた。

 クリスティアンは答えない。それが肯定だと勝手に読み取り、宰相は手紙に目を落とした。そしてくつくつと笑い出す。


「これはこれは。あの女の娘もたまには役に立つものですね。予想通りの展開だ」

「ああ、そうだな」


 そう相づちを打ちながら、クリスティアンは窓の外を見た。その瞳には諦観の念が色濃く浮かんでいて、生気が感じられない。

 ふぅ、と息をつき、クリスティアンは口を動かした。


「では、頼む」

「分かりました」


 くるりと踵を返し、宰相が去っていこうとする。しかし扉の前でぴたりと足を止めると、そのまま振り返ることなく尋ねた。


「手紙は? こちらで処分しても?」

「ああ、それでいい」

「分かりました」


 そして宰相は部屋を出ていった。中には疲れきった国王ただ一人が残った。

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