1話 目を合わせて対等に!

 夜が明けた。

 アルテシアはぱち、と目を覚ますと、億劫げに体を起こす。ぼんやりと周囲を眺めればそこは見慣れない寝室で、そのことによって昨日、とうとうシュミル王国に入ったことを思い出した。

 嫁ぐはずだったシュミル国王が既に亡くなっていて、オズワルドという若者が新しい国王になっていたことも。


 はぁ、とため息をつきながらベッドから足を下ろした。立ち上がり、窓の外を見る。移動の疲れからかいつもよりも長い時間眠ってしまっていたらしく、カーテン越しに射し込む陽光は強い。

 うん、と体を伸ばし、アルテシアはベッドのそばにあったベルをチリン、と鳴らした。しかしいくら待っても、いつものようにユイリアが現れることはなかった。


(何かあったのかしら?)


 そう思いながらもとりあえずクローゼットを開け、昨日のうちにかけておいたドレスを取り出す。そしてネグリジェを脱いでシュミーズを着ると、その上からドレスを羽織っていった。本当ならばコルセットをつけるのが好ましいのだろうが、アルテシアは一生表舞台に出るつもりはなかったし、そもそも腹部を締めつけるのが嫌なのでつけたことはないし、今後もつけるつもりはない。


 ドレスを着終わると、しかし未だに現れないユイリアに不安が募る。もしかしてどこかで倒れているのではないだろうか? それとも何かトラブルに巻き込まれて?

 今すぐ彼女を探しに行きたいところだが、まだ朝の準備は終わっていなかった。ぴょんぴょんと跳ねている髪を、なんとか落ち着けようと櫛でいていく。けれども絡まったりした髪はなかなか素直になってくれない。


「あー、もうっ!」


 苛立たしくて、思わず叫んだときだった。ガチャリと音がしてバッ、と後ろを振り返れば、そこには珍しく髪を下ろしたままのユイリアがいた。彼女は「すみません」と言いながら部屋に入ってくる。


「どうやら疲れてしまっていたようで……寝過ごしてしまいました」

「大丈夫よ。私もついさっき起きたばかりだし。だけど……そうね、あなたも人間だもの、休みは必要よね。ごめんなさい、なかなか休ませてあげられなくて」


 アルテシアの侍女はユイリアだけだ。他の侍女がつけられたことはあったものの、彼女らは正妃に目をつけられることを恐れてなにもせず、いないも同然だったため外してもらったのだ。それゆえユイリアはずっと働き詰めで、休みをとったことがない。そのことに気づいてはいたが、必要性を十分に認識できていなかった。主失格だ。

 するとユイリアが「大丈夫です」と言う。


「アルテシア様に仕えるのは光栄なことですから――と言いたいところですが、本当はアルテシア様といるのが楽しいのです。不純な動機で、申し訳ありません」


 そう言ってユイリアが頭を下げるのだが、アルテシアの胸はひどく温かく、穏やかだった。口元が緩まってしまうのを自覚しながら、そっと告げる。


「大丈夫よ。私もユイリアといるのは楽しいもの」


 そうして笑えば、ユイリアも小さく微笑んだ。そのことに安堵しながら、「それよりも、」と手に持っていた櫛を差し出しながら言う。


「髪の毛を直してくれないかしら? やっぱりユイリアのようにはいかないのよね」

「分かりました」


 ユイリアが櫛を受け取ると、アルテシアは彼女に背を向け、近くにあった椅子に座った。彼女の手によって、そっと優しく髪が梳かれていく。丁寧に、優しく、ときどき絡まった箇所があるのならば手でほぐして、ゆっくりと時間をかけて髪を整えていった。

 落ち着いていく髪を鏡越しに眺めながら、ほぅ、と感嘆する。やはり彼女の手にかかるとこれくらいは簡単なのだろう。すごいなぁ、と素直に思った。


 やがて髪がいつものようにさらさらになると、「ありがとう」と言う。ユイリアはいつもの無表情のまま「いえ」と言い、次はアルテシアの顔に化粧を施し始めた。と言っても王妃に疎まれた第四王女、夜会に出る機会もなくあまり化粧品も持っていないため、それは髪のときと比べて早く終わった。

 アルテシアは立ち上がると、「ユイリア」と呼ぶ。


「私ちょっと行ってくるから、ベッドとかを整えていてくれる? 昼までには戻ってくるわ」

「分かりました。どちらへ行かれるので?」


 その言葉に、アルテシアはにやりと笑った。


「もちろん、あの国王陛下のところよ」




 ふんふんと鼻歌交じりに廊下を進んでいく。なぜか城の使用人たちはアルテシアが来るとそそくさと廊下の隅に寄るのだが、これは避けられているのだろうか? まぁ確かに、隣国の王女の機嫌を損ねて無理やりクビにされたり、それが外交問題にでも発展してしたりするのは嫌だ。だから避けられているのだろう。

 けれど少し寂しいのには変わらなくて。

 そこまで考えて、ぶんぶんと首を振った。


(今はそんなことを考えている場合じゃないわ。とりあえずはあの王様よ。落とすといっても、どうやろうかしら……)


 今までアルテシアは異性に関わろうとしなかったばかりか、むしろ嫌われるように意識していた。なにせ自分に好意を抱いた者はもれなく王妃の顰蹙ひんしゅくも買うことになる。それは好意を抱かれる側としてもあまり気持ちの良いものではなかった。

 ううん、と思い悩み、ふと気づく。今まで嫌われるように行動してきたのならば、それと逆の行動をすれば良いのではなかろうか?


 やっと足がかりが掴め、思わずパン、と手を叩いた。廊下の隅にいた使用人たちがびくりと肩を跳ねさせるが、気にしない。達成感が湧きあがり、小躍りしたい気分になった。さすがにそれではレーヴェン王国の名に泥を塗ることになるためしないが、それくらい嬉しいことだったのだ。

 意気揚々と鼻歌の音量を上げながら進む。変人を見るような目で見られたが、気にならな……くはないけど、とりあえず意識の外に追いやった。今はそれよりも優先すべきことがある。


 さて、だいたいの方向性は決まったものの、具体的にはなにをしようか。嫌われるためにやったことはいくつかある。たとえばすごくわがままに振る舞ったり、目と目を合わせることなく下僕扱いをしたり。


(だったら、まずは目と目を合わせて、対等に話すことかしら?)


 それならば簡単にできるし、何も用意することなくできる。いいアイデアだ。

 ふむふむと頷きながら、アルテシアは立ち止まった。あたりを見回す。


「…………ここ、どこかしら?」


 小さくつぶやいた声は、予想よりも大きく廊下に響いた。

 初めての城は、案内なしに進むにはあまりにも広すぎたようだ。




 それから使用人たちに怯えられながらもオズワルドの居場所を尋ね、そして部屋を出てから一時間ほどしてやっと彼の執務室に着いた。普通なら扉の前には衛兵がいるはずだが、どうしてだか誰もいなくて、アルテシアは首を傾げる。一国の王がこんなに不用心でいいのだろうか? そんなことを思いながら扉を叩いたものの、いくら待っても返事はない。

 これは入ってもいい、ということだろうか? と悩みつつ、しかしこのままここで突っ立っていても何も変わらない、と思い、アルテシアは意を決して勢いよく扉を開けた。


「失礼するわ!」


 黒や白、茶色などの落ち着いた色合いで統一された部屋の中、奥に置かれている執務用だと思われる机の上には、アルテシアの身長よりも高い書類の塔がいくつも築かれていた。その光景に思わず度肝を抜かれる。ところどころ崩れかけたりしながらも絶妙なバランスで建っているそれは、ある意味芸術だった。

 困惑しながらも、とりあえず部屋の中に足を踏み入れ、扉を閉じる。そのときだった。


「帰れ」


 たった一言、冷淡な声が書類の向こうから聞こえてくる。アルテシアはすぐさま言い返した。


「嫌よ」


 そのままズンズンと歩みを進め、塔というかもう壁ではないのだろうかと思われるほどの量の書類が乗った机の横に立った。そこまで来ると書類の裏側に隠れていて見えなかった男の姿が目に入る。

 オズワルドは椅子に座り、ペンで何やら書類に書いていた。そしてそれが終わると、彼から見て一番右にある塔のてっぺんに書類を置く。すると次は一番左の塔から書類を抜き取った。おそらく国王としての執務をしているのだろう。


 邪魔するのも悪いかと思ったが、ここまで来てすごすごと引き下がることはできない。少しくらいは彼を惚れさせなければ。

 そう思い、アルテシアが来たにも関わらず執務を止めないオズワルドをじっと見つめた。彼はこちらに目をやることなく淡々と執務を続けている。完全に存在を無視されているようだった。

 内心ではそのことに若干の不安を感じながらも、見つめることは止めない。逸らしては負けだと思った。


 …………やがて正確にはわからないがかなりの時間が経ったころ。なんの前触れもなく執務室の扉が開かれた。


「陛下、終わった書類を回収しに……って、え!? アルテシア姫!?」


 アルテシアがそちらを見れば、オズワルドと同い年くらいだと思われる男性がいた。金色の髪にエメラルドの瞳を持つ人物で、何やら慌てている様子であたふたとしている。両手が意味不明な動きをしていた。

 そのとき、はぁ、というため息の音が耳朶を打った。オズワルドが執務ををやめ、呆れたように額を手で押さえながら「レオン」と言う。

 その途端、男性――レオンはビシッと直立不動になった。そして先ほどまでとは一変して、うやうやしく礼をとる。


「お初目にかかります、陛下の侍従のレオン・マルガータです」

「え……ああ、アルテシア・レーヴェンよ。よろしく?」

「はい、よろしくお願いいたします」


 アルテシアがあまりの切り替えの早さにたじたじになりながら応えると、彼はゆっくりと体を起こした。そして体の向きを少しずらすと、「陛下」とオズワルドに呼びかける。


「書類を持っていきます」

「ああ、頼んだ」


 オズワルドは頷くと、すぐさま執務を再開した。レオンはアルテシアにぺこりとお辞儀をして、一番右端にあった書類の塔を器用に取ると、あっぷあっぷしながら歩いていく。これでは部屋から出られないだろうと扉を開けてやると、彼は軽く頭を下げながらえっさほいさと廊下を進んでいった。はたから見るだけでも大変そうな様子に、思わず眉根を寄せる。


(もっと人員はいないのかしら?)


 それはこの部屋に入ったときからずっと感じていた違和感だった。国を運営することはかなり大変なことだ。けれどもあの書類の量からしてオズワルドはほとんどのことを自分一人で抱え込んでいるし、補助をする人もいない。それではいずれガタが来てしまう。

 そのとき、ふと、彼が元々王太子ではなかった、ということを思い出した。もしかしたらまだ周囲を信用できていないのかもしれない。


(うーん……これはユイリアの調査待ちね。とりあえず今日のところはここまでにしましょう)


 そう思いながら、アルテシアはちらりとオズワルドのほうを見た。彼の姿は書類に隠れてしまって見えないが、きっと今も執務に励んでいることだろう。そんな姿が目に浮かぶようだ。

 アルテシアは音をなるべく立てないようにして扉を閉め、与えられた客室へ向かって歩き始めた。


 ……その後また迷ってしまい、結局やっとのことで部屋へたどり着いたときには、珍しくユイリアが鬼気迫る表情を浮かべていたのは余談である。

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