2話 掴むのなら胃袋から!(1)
昼過ぎ、アルテシアは部屋の中央にあるソファーに足を組んで座りながら、ユイリアから簡単な報告を受けていた。どうやらこの有能な侍女は、アルテシアがオズワルドの元から戻ってくるまでの間にすべての仕事を終えていたらしい。しかも仕事の途中でさりげなく、昨夜頼んでいたこと――つまりオズワルドについての聞き取り調査をしながら、だ。なんともまあ、有能すぎる。
ユイリアはそんなふうに感嘆するアルテシアの対面にあるソファーに座って、聞き込みをしてきた内容を話し始めた。
「シュミル国王陛下は執務の最中、いつもベリーのクッキーと紅茶をお召し上がりになるそうです。紅茶の種類はその日の気分によって指定されたりされなかったりするそうですが、クッキーの方は毎日同じもののようです。あとは――」
ユイリアは話を続ける。嫌いな食べ物は特になく、料理の注文もないらしい。張り合いがない! と厨房の料理人たちがしくしく泣いているとかいないとか。あと趣味は散歩なのか、時折一人で庭園を歩いている姿が見られていて、そのたびに侍従のレオンに連れ戻されている光景が見られているとのこと。
「――と言いましても、まだ現在の国王陛下が即位してから一週間ほどしか経っていないため、城の者も分からないことが多いそうです。もともとは末王子だそうですが、将軍の位にも就いていて、王宮には成人して以来部屋はなかったとか」
「ふぅん」とアルテシアは呟いた。なるほど、見た目が武人みたいだと思っていたのだが、正真正銘武人らしい。
それにしても、
(在位一週間ね……)
それはアルテシアにも想定外のことだった。国王が交代したことを異母兄である王太子が知らなかったのならば、まだあまり即位してから時間が経っていないと思っていたが……さすがに一週間だとは思ってもいなかった。おそらくものすごく忙しい時期で、ここでしっかりと周囲の尊敬を集めることが、今後のシュミル王国の未来に関わるに違いない。そんなときに押しかけるなんてひどく申し訳ないことをしてしまったのだから、明日からは大人しくしていようか、とほんのり思う。
(いえ……だけどそれでは意味がないわ)
きっと何もしなければレーヴェン王国への援助はないままだろう。それならば彼と関わり続けるしかない。なるべく邪魔にならないよう、彼の前に現れるのは一日十分ほどにしよう。
どちらも納得のできる解決策があれば良いのだが……そんな都合のいいものなんてそうそうないだろう。
そう思ったときだった。「それで、」とユイリアが言う。
「午前中丸々かけてシュミル国王陛下の元に行っていたようですが……何か進展はあったのですか?」
「うぐっ」
思わず目を逸らした。進展なんてなかった。何とかあったと言えることは、オズワルドの侍従であるレオンと軽く挨拶を交わした程度だ。
そのことを察したのか、ユイリアがはぁ、とわざとらしくため息をつく。
「それで……どんなふうに落とそうとしたのですか?」
「…………目を合わせて、対等に話そうとしたのよ……。けど、……」
あまりにも情けない成果に言うことを躊躇う。なんとか決意をして口を開く前に、ユイリアが先に言った。
「……目も合いませんでしたか?」
「そう! すごいわね、ユイリア。エスパー?」
その瞬間、ユイリアは再度大きなため息をついた。呆れきったもので、すごく居心地が悪い。もぞもぞと足を動かすと、ユイリアがまた言葉を放った。
「今度からは行動に移す前に私に相談してください。もっと効果的なものを考えます」
その言葉に、アルテシアは思わずソファーから立ち上がった。そして机越しに彼女の手を取る。
「ありがとう、ユイリア! 実は具体的な方法がよく分からなくて困っていたのよ!」
そう言って、無邪気に笑った。具体的な方法が分からなかったのは本当で、正直これからどうしようかとかなり迷っていた。だけど世間知らずなアルテシアよりも様々なことを知っていると思われる彼女のアドバイスがあるのならば、きっとなんとかなるに違いない!
心が浮き足立ち、その場で小躍りしたくなる気持ちを抑えていると、ユイリアが「そうですか」と口にした。いつもの抑揚のない声だが、どことなく呆れているような声色をしている気がする。しかし彼女の顔を見ても、その表情から感情は読み取れなかった。
「呆れているの?」と尋ねようと口を開いたところ、それを音にする前にユイリアが言った。
「とりあえず、次の作戦です。たとえばですけど――」
そうして彼女の口から紡がれた作戦に、アルテシアは口端をつり上げた。
アルテシアがユイリアを連れて王宮の厨房へ行き、料理長を呼ぶように言うと、料理長がびくびくとしながらやって来た。五十ほどの、
「そ、それで、なん、なんの御用でしょう? りょ、料理に関してなら、へい、陛下に言ってくださらないと……」
「ああ、そうじゃないわ。食事は別にいいの。ただ、少しお願いがあって……」
アルテシアがそう言うと、料理長はさらに身を震わせた。まるでオオカミに睨まれた子ウサギのような、見事な怯えっぷりだ。これほど怯える人はなかなかいない。
なんとなく少しだけ面白くなってきて、何を言わずに料理長を眺めていると、後ろからユイリアに肘をぶつけられた。振り返れば、じとっとした目でこちらを見つめていた。どうやら料理長が可哀想だと思ったらしい。もう少しだけからかっていたかったな、と思いながらも、アルテシアはコホン、と咳払いをし、素直に口を開いた。
「別に、そんなに難しいことじゃないと思うわ。ただ少しだけ、材料と調理場の一角を貸してほしいのよ。ほら、簡単でしょ?」
そう言ってアルテシアが微笑むと、料理長はあからさまにほっと胸をなでおろしながらも、視線をわずかにさまよわせた。何か言いたいことがある様子だ。アルテシアがにっこりと笑いながら次の言葉を待っていると、料理長はこれまた怯えた様子で尋ねてきた。
「えーっと、そのぅ……王女様がご自分で、何かを作るのでしょうか?」
「ええ、そうよ。私が作りたいと思っているのはベリーのクッキーなんだけど、材料はあるかしら?」
それを聞くと、料理長は「ベリーのクッキー……」と呟く。そういえば、とアルテシアは思った。料理長ならば自らの主が執務中につまむものも把握しているだろう。だったらアルテシアがベリーのクッキーを選んだのには何かあると察するだろうし、怪しみもするのは当然だ。
納得しながらも、必要以上に探られるのは嫌だと思い、ただ思いついただけだと言い訳をしようとして、はた、と気づいた。そもそも、否定をすることに意味はあるのだろうか? どうせオズワルドの元へ持っていくのだから、もう最初から素直に話したほうがいいのかもしれない。
そう思い、アルテシアは口を開いた。
「ええ、そう。実は陛下に差し入れをしたいなと思ってね」
するとまたもや後ろから肘つきをかまされた。抗議をしようとまた振り返ると、ユイリアは半目でこちらを見つめていた。……何かやらかしたのかもしれない、と、アルテシアは身を震わせた。こういう目をするときは大抵、やらかしをしてしまったときだ。あとで説教が待っている。
嫌だなぁ、と思いながら視線を前に戻すと、料理長がなにやら考え込んでいた。ぶつぶつと一人で呟いていたかと思うと、唐突に「わか、分かりました」と言う。
「それならば、た、たぶん大丈夫です。では、こちらへ……」
そう言って料理長はアルテシアを案内しようとする。その途中ではた、と立ち止まり、恐る恐るとでもいうように尋ねた。
「し、失礼ながら……お、王女様は料理をなさったことがおありで?」
その質問に、アルテシアはふん、と鼻を鳴らした。
「そんなこと決まってるじゃない。私を誰だと思っているの?」
料理長は「お、王女様です……」と言う。よく分かっているじゃない、と心の中で呟きながら、年のわりに小さな胸を逸らして告げた。
「だったらないに決まっているでしょう? だけど私は王女。きっと一発で成功させるに違いないわ!」
アルテシアの言葉に、料理長は呆然としている。ぶふっ、とどこからかこらえきれない笑い声が聞こえ、ユイリアのため息がやけに大きく聞こえた。
調理場の一角を借り、料理は重労働だからドレスではちょっと……という料理長の助言に従って、アルテシアはユイリアのメイド服を着て立っていた。ちなみにメイド服を貸した本人は必死に笑いをこらえている。けれどそんなことは気にせず、料理長がありがたく書いてくれたレシピを元に調理を始めた。
金属製のボウルにバターと砂糖を入れ、すり混ぜ始める。ここからもうかなりの重労働で、アルテシアは料理長の助言に感謝した。ドレスだったらひらひらと揺れる袖が中に入ってしまうだろうし、何しろ動きづらい。きっとそのままだと何倍も疲れていたに違いなかった。
ある程度混ぜると、ふぅ、と息をついて泡立て器を置いた。ポケットからハンカチを取り出し、額に滲んだ汗を拭う。厨房は火を使うから熱気がこもってしまうし、普段使わない筋肉を使って運動をしているからか、自然と暑くなってしまうのだ。
ハンカチをしまうと、アルテシアは材料の入ったボウルを見た。少しまだ塊が残っているように見えるけど、まぁ大丈夫だろう。満足げに頷きながら、料理長が代わりに割ってくれた卵をかき混ぜる。本当は全部自分だけの力で作りたかったのだが、卵の割り方が分からなかったので頼んだのだ。ちなみにユイリアにも手出しは無用と言ってある。
そんなことを考えながら溶いた卵を少しずつボウルに加えて混ぜていく。ある程度混ざったかな、というところで腕を動かすのをやめ、アーモンドパウダーと薄力粉をふるいにかけたあと、ボウルに加えた。そして今度は泡立て器ではなくゴムベラで混ぜ始める。
「あの、アルテシア様……」
ユイリアが後から話しかけてきた。その声はどこか案じるような響きを帯びていたが、アルテシアは背を向けたまま拒絶をする。
「だめよ、ユイリア。手出しも口出しも無用って言ったでしょ?」
「……そうですか。では、私はどうなっても知りませんから」
そう言うと、ユイリアは再び黙りこくった。どうしたのだろうか? と思いつつも、作業を進める。
しばらく手を動かし続け、もう大丈夫かな、というところで手を止めると、絞り袋に生地を詰めこんでいく。そして薄い紙のシートを敷いた天板の上で、丸を描くように生地を押し出した。
けれど。
「あら?」
上手くできなくて、円というよりはいくつかの点になった。直さなくちゃ、ということで円を繋げるように隙間に生地を絞り出す。
けれど。
「あらら?」
今度は出すぎてしまい、一部分だけ盛り上がってしまった。うーん、と唸ったあと、仕方なしにそのままにして、今度はもう一つの円を作る。
けれど。
「あららら?」
またもや綺麗な円は描けず、継ぎ足すことに。そんな感じにぶきっちょな円を十個ほど描くと、丸の中央にベリージャムを落とした。全体的にたっぷりとなってしまったが、きっとこっちの方が豪華に違いない。
やっぱり私には才能あるわね、と思いながら、次にジャムの周りにまた生地をぐるっと絞り出す。また円が途切れてしまったので継ぎ足しながらやっていくと、五個目を終えたところで生地がなくなってしまった。
(まぁ、これでも十分でしょ)
ふふん、と鼻歌でも歌うように、オーブンへと向かった。天板の上のクッキーを見て料理長は顔を真っ青にしたが、アルテシアは気にせずにオーブンに入れる。
「それじゃあ、よろしく」
「は、はい……」
危ないから、と言われたためオーブンを料理長に任せ、ユイリアの元へ向かった。
そして二十分後。アルテシアに言われて料理長がオーブンから天板を取り出すと。
「あら?」
その上には、クッキーと思わしきボロボロの物体が乗っていた。
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