第2話 崩壊
女の子は、イノシシが突進する前に切りかかった。すり足でイノシシに近づき、前脚を狙って後ろに構えた剣を上に振り上げる。イノシシは後ろに下がるが、切っ先が少し伸びて当たる。切っ先が伸びたのは、女の子が体を前に倒したからだ。体重は前に掛かっているので、剣に力が入っていない。しかし切り傷をイノシシに与えた。
俺と曵野は、二人でその様子を見ていた。発する言葉はない。なぜこんなところでイノシシと女の子が戦っているのか。どこかで読んだ漫画のような出来事に、訓練を受けている俺たちも反応することができなかった。だが、ここは静観が正解だろう。目の前で繰り広げられている出来事は、あまりにも異常だ。恐らく女の子を助けるのは容易い。イノシシに後続はないし、5.56㎜で貫通弾を数発与えれば倒れるはずだ。それだけで足らなければ、RASの下に着けているM203をぶち込むだけだ。古い装備だが、グレネード投擲装置としての信頼性は非常に高い。だがグレネードは破砕片をまき散らすので周囲への影響が大きい。つまり女の子は、死ぬかケガをするだろう。鎧は見た限り、耐破片を備えているようには見えない。
前脚を切られたイノシシは、少しだけ悲鳴を上げる。だが次の瞬間、怒りの瞳を女の子に向け、頭を下げた前傾姿勢をとる。イノシシはそんなに大きくないが、ある程度の速度で体当たりをすれば、女の子は吹き飛んでしまうだろう。
女の子は、先ほどの攻撃で体を崩したため、横に転がっている。左足をぐるりと円を描くように回し、その反動で上半身を起こす。剣が重いのか腕はその動きに遅れている。だが頭の位置を絶えず水平に保っている。剣の方を見ることなく、イノシシを見続け、再度後ろに剣を構えた。
ああ だめだ。
俺たちは、なんとなくこの戦いの結末を予想していた。シミュレーションした。この攻防が続いて、女の子が勝って、生きている姿が予測できない。勝つことが無理な場合は撤退すべきだ。だが撤退は難しい。走るためには背中を見せなければならない。先ほどの突進の速度から想定するに、数秒後に追いつかれ突撃を食らう。そのためには切り続けるしかないが、急所にでもあたらない限り、傾いた天秤を戻すことは難しい。前傾姿勢をとっているので刺すことが良いのかもしれないが、骨に当たれば、跳ね返され腕にその衝撃が返ってくる。眼球は目標にするには小さすぎる。
俺は、M4のセーフティをセミオートまで動かした。チャンバーに初弾は装填されているので、引き金を引けば弾丸が発射される。生きているものに向けて発砲したことはない。グリーンチップでも、その衝撃は生物には大きい。映画でよく貫通して助かることがあるが、それは多分。。ない。
確実に殺傷できる。
女の子は、汗一つかかず、イノシシを注視している。剣の先も全く震えていない。やはりかなり訓練されている。だが恐らく彼女のそれは、多数の敵を’殺さず’倒していく技術で1対1を想定したものではない。つまり殺すことが目的ではなく、けがをさせることで戦力を失わせる。戦場の技術だ。
「俺たちと同じか」
俺はつぶやく。
「えっ?」
曵野が、返事をする。曵野も同じことを考えているだろう。と思う。
そんなことを考えながらも、二人は目を合わせることはない。視線すら。そのように訓練されているからだ。
ホロサイトの中心にイノシシを捉える。イノシシから見ると俺がいる位置は、左斜め前だ。そして。
一瞬フラッシュライトを点け、消す。イノシシは視界に入ってきた光の方向を無意識に見る。女の子も視界の端に光が見えたようで構えは崩さないが、視線だけがこちらを向く。
イノシシはこちらを見ているので急所を確実に撃てる。
引き金を引いた。
人質救出作戦の想定だったのでQDタイプのサプレッサーが付いている。少し音がして、次の瞬間、弾丸はイノシシの頭蓋を破砕した。
そしてもう一発。狙いを少し外し、胸のあたりに着弾。弾丸は、内臓を破壊し、貫通。後ろの木に弾丸は当たった。
「問矢。」
「問題ない。」
イノシシは、その場に倒れこむ。断末魔を上げる時間さえない。生命活動を停止されたイノシシは、その場に骸をさらした。
俺と曵野は、銃口と視線を合わせたまま周囲を警戒し、その場で立ち上がる。そして木の陰から出す。銃口は下へ向ける。
女の子は突然の出来事に構えをとったままその場に立ち尽くしていた。イノシシが死んだことを確認すると周りをキョロキョロと見渡す。構えは取ったままだ。俺たち二人を見た女の子は、少し驚いたようだが、再び構え直す。とりあえず日本語で話しかける。
「ここでなにしているの?」
よく見ると16~18歳くらいの女の子だ。青い目が輝いて見える。鎧は、かなり装飾されていることがわかった。イノシシを殺しておいてなんともだが、あまり驚かせないように聞く。だがその問いに答えはない。英語で聞いてみるが同じ。
構えを解かずこちらを注視している。
シューティンググラスを外し、ヘッドセットを取る。2時間歩いたので汗まみれだ。少しだけ笑い再度問いかける。
「ここでなにしてるの」
女の子は、俺の顔を見て少しだけ構えを緩めた。だが何かあればすぐに切りかかれる程度。
「やっぱり言葉が通じないか。」
曵野は、銃口こそ下に向けているが、警戒している。彼女が切りかかってきたら、すぐにでも反撃するだろう。俺と違いヘッドセットを外す気はないらしい。
銃を下げているので今度は曵野と目を合わせる。
「どうしたもんかね?言葉が通じないよ」
曵野に向けた言葉だったが、
「あなたたちは誰?」
女の子が発した言葉。その瞬間に俺の脳に何かが響いた。そう何か電流が走る感じ。曵野に向けた視線を女の子に戻して。彼女を見た瞬間に。
この世界は、崩壊へ向けて進み始めた。
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