ハゲの幕開け
古川
ある朝、鏡の前にて
内藤は、認めざるを得ない。
朝、出勤前の洗面所で、ほとんど諦観に似た感情の中、鏡の前に立っている。
不思議と悲壮感はない。そのことが内藤を、幾分か喜ばせた。少し笑みを浮かべてしまうくらいには、自分を可笑しく感じることができている。つまりは、客観的な視点に立つことができている。
バランスを崩しかけたものを支える労力から、今、解放されるのだ。そこに清々しさを感じるのはきっと、何もおかしな心理ではない。骨折した足のせいで松葉杖生活を余儀なくされた人間が、ようやくそこから二本足での歩行に復帰した時のような状態である。棒を使うよりも、己の足で歩く方がより人間的であるはずだし、人間であるという尊厳も取り戻せるに違いないのだ。
つまりは、不自然が、自然へと収束したのである。それだけのことだ。そうであるべき本来の姿で生きてこそ、その生命は輝くはずである。
そのような結論を、内藤は得た。そして、認めた。認めざるを得ないことを、認めた。
内藤は、ハゲてきている。
仕事は忙しい。しかし、働かなければ食ってはいけぬ。未だ養うべき家族はおらず、自分一人だけが生活できればいい状況ではある。しかし、社会的な居場所の確保のため、あるいは惰性により、あるいは消去法的思考の果てに、労働は継続しなければならない。それに伴うストレスも、物理的時間的制約により生まれるあらゆる不摂生も、これを回避する手立てはない。すべてが必然なのである。
つまり内藤は、必然的にハゲてきているのである。
また、そうした後天的要素が作用する以前の段階として、先天的な、つまり遺伝的な観点に立ってみるとなお、その手立てのなさがより一層明確なものとなる。内藤の父もそのようであったし、その父であるところの祖父もまたそのようであったのだ。それは、必然性が意味するところの不可避性、または超自然性なるものが完全に真理へと昇華し得ることを意味する。
つまり内藤は、真理的にハゲてきているのである。
これは、捉えようによっては幸運なことでもある。己の失敗によって得た損失よりも、己の力の及ばない場所からこうむった損失の方が、慰めを生む余地があるという点においては、むしろ歓迎して然るべき損失であるように思われる。息継ぎの失敗で溺れ死ぬより、予期せぬ波に飲まれて死ぬ方が、その魂にとっての慰めになり得る。圧倒的な力で叩き付けられる宿命を前に、人間はただ黙るしかないのである。
つまり内藤は、宿命的にハゲてきているのである。
さて、足を骨折して松葉杖をついたこともなければ海で溺死したこともない内藤である。
朝の洗面所にて展開されるこうした思考のすべては形のない戯言であるし、一時発生的な雑音、あるいはバグやエラーの類であるかもしれない。しかし、それを加味した上で内藤は、この清々しさを胸一杯に吸い込んでおきたい気分なのであった。
精神的にも肉体的にもとても快調と言えるものではないし、ネクタイを引きちぎって再び布団に潜るという選択肢もあることにはある。しかし内藤は歯を磨き、顔を洗い、ネクタイを締め、出勤する。いつも通りに、それをこなすつもりでいる。
そこに、きのうまでの内藤はいない。この朝における内藤は、自分に起こりつつある事象について、はっきりとした意識の変容を認めている。それはまるで、自分自身がさらに高度な生物に生まれ変わったかのような、鮮烈で真新しい感情を呼び起こした。単に変化と呼ぶには劇的過ぎて、成長と呼ぶには革新的過ぎる。それはもはや、生命における進化としか言いようがないのだった。
つまり内藤は、進化的にハゲてきているのである。
人生とは、あらゆる段階を経て、死へと向かっていく行為である。そこには、物語としての起承転結など存在しない。ただのランダムな曲線としてだけ表現されるものであり、結果的にそれが面白いものになる確証などどこにもない。お約束の展開も、やがて回収される伏線も、気の利いたオチもない、書き手不在の物語である。
そのただ中に立ち、それに翻弄されるだけの存在にすぎない内藤はしかし、自分が今、新たな局面を迎えていることを感じている。偶発的な現象の連続である日常を、物語的に語ることなどナンセンスではある。それはわかっている。しかし今だけは、その無慈悲とも言える連続を、比較的楽しいストーリーとして語ることができるような気がするのだ。つまり、内藤にとってこれは、この朝は、新しい章の始まりであるのだ。
ハゲという名の新章である。
当然のことながら、この先ハゲがどのような展開を見せるかなどまるで読めたものではない。ハゲには、お約束も伏線もオチもないのである。あるのはただハゲてきているという事実のみで、抗う方法を試すことは許されているとしても、そこから逃げ出すことは不可能なのである。なぜならハゲとは、生きていくことそのものであるからだ。
この先、どんなハゲが待ち受けているのか、内藤には知る由もない。それは骨折よりも溺死よりも過酷で悲惨なハゲかもしれない。ハゲを憎み、ハゲを恨み、ハゲてさえいなければと涙を流すこともあるかもしれない。いっそハゲごとこの世から姿を消したいと思うことも、ひょっとしたらあるかもしれない。それでも、と内藤は思う。
それでも、ハゲを全うしよう。
内藤はすべての準備を済ませた。シェーバーを当てた部分を指の腹でひと撫でし、替刃の成果を確認する。濡れないように胸ポケットに突っ込んでおいたネクタイを出し、形を整える。それから、鏡の中の自分を見る。
きのうまではできなかったことが、今朝の内藤にはできる。額の終わり、つまり生え際を、見る。立ち並ぶ細い髪の、その密度の薄さを、真っ直ぐに、見る。
ハゲてきている。紛うことなき、ハゲの進行である。形状的に後退と言うべきかもしれないが、勢力においてこれは、確かに力強い興隆である。素晴らしい、と内藤は思う。生きている、と思う。
自分の額の上で生まれつつある生命の脈動、つまりハゲを、ハゲの誕生を、濁りのない心で祝福することができる。そんな自分を誇らしく思う。自然と笑みがこぼれる。鏡に映るその顔を、悪くない、と思う。
人生は、素晴らしい。
かつてこの世に生み出されてきた物語の中、何度も使い回されてきているであろうそんなセリフを吐く自分が可笑しい。
ハゲを全うしよう。
人生はきっと、そうするに価する。
内藤はドアを開け、洗面所を出る。心なしか、踏み出す一歩がいつもよりも大きい。そろそろ春が来るだろうと、唐突に、そんなことを思う。ハゲの幕開けの朝のことである。
ハゲの幕開け 古川 @Mckinney
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