謁見

 翌朝遅くまで寝ていた私はコーエンに叩き起こされた。

「早く準備をして並ぶぞ!」

 顔を洗い、歯を磨く。今日はなぜかいつにも増して急いでいるコーエンがいた。


「王様への謁見は、朝の九時からだったでしょう。そこまでお急ぎにならなくても」

「今八時前だ。昨日身分を証してるんで、朝一の公算が高い。腹がへってるので、この宿屋で軽食でも食べて行くとちょうど九時前に王の間につく。食い物は、もう頼んである。サンドイッチしかないらしいのでそれをつまんでから出立するぞ」


 私は髪をとかし、薄いピンクの口紅を塗った。コーエンに口紅以外化粧は禁止されている。お前はありのままが一番美しいと。


 サンドイッチが運ばれてきた。三つも食べると腹にたまる。残りはコーエンががつがつ食っている。


 八時二十分宿屋を出た。昨日さんざん迷ったお陰でルートは分かっている。まずは昨日の市場へいき隅にある階段を登る。そこから百メートルほど上がると廊下の間に出る。そこには長椅子に座った人の群れがあった。


 九時が来た。

「デミアン様ー!コーエン・デミアン様ー!」

 私達は並んでいる人達を尻目に一番で王の間に通される。


 門が開く。先々代に穀倉地帯のマーズを占領されてからは、実質敵国なのだが、そこに従者だけを連れて乗り込んできたのには相当の覚悟がいる。


 コーエンがうやうやしく礼をする。軍服に身をつつんだマガディ・カロネ王はまだ三十才前後。聡明な若者と聞いている。


「今日は本人と衛兵だけで乗り込んだ、その勇気にまずは敬服する。用向きはなんだねぇい」

 王もこのへんちくりんな方言を使うのかと思ったら途端に可笑しくなってきた。改めて用件を述べる。


「このバベルの塔には気病を治す唯一の医者がいるとか。その人物を貸して欲しいんです」

「ワンエンのことか。貸してやりたいところだ。が、こっちも王子がまだ治療中だねい。とにかく呼んでみようぞ。おーい」

 側近の一人がおずおずと出てくる。

「ワンエンを呼んでこいねぇ」

 すると足早に階下に降りていった。


「あの病は残酷でな。とにかく人から食欲を奪うねぃ。最初は酢の物なんか、食欲が出るものを食べさせたりしていたのであるが結果は同じ。すぐに吐き戻すようになって、見るまに痩せていきおった。ミルクセーキというのか?牛乳と卵を混ぜた物を作って飲ませて命を繋ぐこと数ヶ月、これから現れるワンエンに治療させてみたところすぐに食欲が戻り粥が食べたいと言うではないかねい。気病を治す手際のよさは一級品だよ。ただし少々値がはるがね」

 最後に少しだけ笑ってみせた。心配性のいいお父さんだ。


 しばらくしてワンエンと呼ばれる男が上がってきた。白衣の上にはぶすりとした三十男の顔があった。あまり印象の良くない顔だ。なにか一物持っているに相違ない。


「御用は何ですかな」

 低いくぐもった声で言う。


 コーエンが訴える。

「うちの第三王子、ゲーテが死の淵をさまよっています。もう時間がございません。どうか治療に来てくださってはまいりませんか」

「私がここを離れる事はできません。王子を治療中なもので。しかし弟子を向かわせる事はできます。スーリア!」

 陰に隠れていた背の低いじゃがいものような顔をした男が姿を表した。

「優秀な弟子でございます。きっとお役に立つかと」


 まんじりとした時間が過ぎていく。なるべくなら師匠のワンエンを連れていって、治療が終わったら尋問したかったのだが……


「よろしくお願いする」

 コーエンはスーリアと握手をする。ここが妥協点と思ったのだろう。


「それでは失礼つかまつる」

 コーエンが言うと、

「スーリア、礼を失するなよ」

 と師匠らしい送り言葉。


 王座を去ると途端に「あー!」と緊張が解けてゆく。そういえば王の回りに衛兵がいなかった。みんな剣を持っていた。よほど腕に自信があるのか、それともコーエンの強さを知らなかったのか。とにかく第一関門突破だ。


 まだまだ関門はある。このスーリアという男がゲーテを本気で直そうとするのか、それとも治療と称して死に導くかは、やってもらわないと分からない。もし黒幕がいるとしたら所詮この男など捨てゴマなのであろうけど。


 私はまたパンと干し肉をぎちぎちに詰める。四日分の食事だ。船が停泊している所へ行く。さあ、出発だ!


 スーリアという若者には、最後に空いているベッドに寝てもらう。これで十人ピッタリ収まった。


 雨はまだまだ強烈に降り続いている。出航の時はきた。碇をあげ、濁流の中をしずしずと進み始める。

 バベルの人々がびしょびしょになりながら手を振っている。私も大きく振り返す。船がスピードをあげ始めた。この大洪水が終わればどうするのであろう。砂を掘り返すのか。手作業でやるのは何年とかかるのであろう。しかしやるしかない。自分の住みかを見つけるために。




 みんながまたトランプをやり始めた。私は、昼飯を食べながらみんなの所へいく。


「姫様もやりませんか」

 ドームが変わってくれた。やっていたのはセブンブリッジだ。みんな金を賭け始めた。だからこんなに盛り上がっていたのか。


 私は、コーエンから何かあった時に使えと渡された十万ルピア硬貨をとりだしこれで勝負だ。一回目大当たり。私がトップで抜けた。みんなの賭け金を回収する。しかしビギナーズラックだった。それからは負けたおし結局は五万ルピアを残したところでギルと交代した。


 ――やんなきゃよかった。おこづかいが……


 ギャンブルは身を持ち崩す。もう二度とやるもんかと思いながらベッドに入った。




 帰路についてから三日目、ようやく長かった大雨が止んだ。しかもピーカンの快晴である。七日七晩の試練に打ち勝ったのだ。


 予言の雨は去った。しかし帰りつくのにはまだまだかかる。結局はみんなに混じってポーカーに興ずるのであった。


 私は今マスト近くで寝っ転がっていた。服を着たまま乾かしているのだ。後一日、船上で我慢すれば、懐かしの我が家だ。


 十月といえど日にあたれば暑い事は暑い。やがて服も乾いてきた。そこへコーエンの登場だ。無口に濁流を眺めている。

「お前には世話になりっぱなしだったなあ、ほれ、ボーナスだ」


 出された酒はいかにも高そうな瓶につめられていた。それをグラスに注ぐこともなく、なんと口を着けて飲み始めたではないか。口を拭い瓶に入ったその液体を私にくれると、私はこわごわ口をつける。


 火がつくつくような感じだ。名前を訊くとブランデーというそうだ。強い酒なのに華やかな香りがして飲みやすい。コーエンはそのブランデーなるものをみんなに配っている。すると、半分ぐらいが、二度寝した。


「時には褒美をあげないとな」

 コーエンは左目でウインクをしてみせる。


 国境はもう越えているはず。すでにクワイラの領土だ。故郷に帰ってきたのだ。嬉しくない筈がない。行き道と同じようにドックのある川へ向かう。川はまだ濁流である。ゆるゆると進む。


 ドック付近まで来た。すると明らかに斥候と思われる騎馬が一頭こちらを確認して去っていった。ドックに入ろうとすると、なんと矢が打ち込まれてきたではないか!


「お前らは誰の指図で動いているんだ!兄者の差し金かー!」

 明らかに黒い騎士団である。そして、最後はリューホの登場である。


「お前はこの事態を想定してなかったのか?間抜け過ぎて笑いも出んわ」

「汚ないぞ兄者!もしかしてガージェルの地も占領しているとか」

「白い騎士団などたわいもなかったぞ。戦に関しては所詮素人の集まりよ。全滅させてあげたわ!」


「なんだとー!」

 コーエンは怒りで肩をわなわな震わせている。兄弟げんかどころではない雲行きだった。

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