第三章 決着

気病をめぐって

 降りしきる雨の中を五人衆とコーエン、私とクオークが馬を進めている。雨はまだ本降りではない。しとしととまるでこれからの旅路を暗示するかのように体を濡らしていく。


 今、私達はクワイラの地に向かって歩を進めている。ブトレマイオスの予言の日、666年10の月がやってきた為だ。


(ん?…私?…一人称が私になってる!…ま、いっかその方が今の俺にはぴったりくる……)


 馬は懐かしのネーゼの街へと入っていく。大通りを通ると、皆が手を振る。相変わらずコーエンの人気は高い。


 城に到着した。我が家へと帰って来た、そんな郷愁を感じる。しかしここを出たのはまだそれほど月日は経っていないのだ。


 侍女の案内に従って王座の間へと通される。デミアン王に片膝をつき、頭をさげる。


「只今戻って参りました。これから、ゲーテの気病を直す医者を探しにバベルに行ってまいります!」


「うむ、頼んだぞ。ゲーテはあれからさらに痩せ衰え、悲しくなるほどの状態じゃ。とにかく飯を食わんのじゃ。このままでは餓死してしまう。今はミルクを飲ませて命を繋げている状態じゃ」

 王は悲痛な顔をしている。末っ子である。一番かわいいにちがいない。藁にもすがりたい心地なのだろう。


「まだ予言の通りに大雨が降っているわけではない。七日七晩の途中、そうじゃのう、大雨が降り始めてから一日後ぐらいに出立するが良い。船は帆船の少し大きいやつを建造した。これなら濁流にも飲み込まれずにしっかり舵を切れるじゃろうて」

「七日の途中ですか……」

「そうじや。水先案内人に聞くところによると帆船で風があれば最低でも四日はかかるらしい。七日間の真ん中辺りにつけば申し分ないであろう」


「それではゲーテと会ってきます」

「あまり無理をさせるでないぞ」

「分かっております」

 コーエンは礼をし、立ち去った。


 門をくぐり抜け離れへ向かった。廊下を進み、右に曲がればゲーテが療養している部屋がある。


「ようゲーテ。遊びにきたぞ」

「お久しぶりです。兄さん。はぁはぁ。僕が生きているうちに、はぁはぁ、今生の別れを言いにきたんですね」


 少し皮肉っぽく言うゲーテ。水色のパジャマを着て、もう起き上がれないようだ。

 肩で息をしている。顔は骸骨のようにやつれ、見る影もない。

 コーエンが涙ながらに言う。

「待ってろよ、ゲーテ。いまにその病気を直せる医者を探しにバベルまで行ってきてやるからな。そして、お前を追い詰めた奴をこの手できりきざんでやる!」

「ありがとう、はぁはぁ兄さん……お姉さんも長旅で疲れているでしょうはぁはぁ。今宵は久しぶりに郷土の料理など楽しんでいって、はぁはぁ下さい」


 コーエンがゲーテの頬に自分の頬をつけて言う。

「もう、しゃべるなゲーテ。体力を消耗してしまう」

 コーエンはゲーテの両の手を胸にあて、毛布をかけてやる。

「面白い話をしてやろう、ゲーテ。バベルの塔は高さが五百メートルの所までしか建造できないらしい。それより高く石を積み上げると、強烈な落雷が落ち、工事部分が壊れるそうだ。無理して工事しても今度は人間に落ち死んでしまうらしい。神の住む天界へ行こうとしてもどだい無理な話なんだと」

「やはり人間は、はぁはぁ、神には勝てないんでしょうね、並ぶ事すらできないはかない存在です……」


 そう言うか、言わないかのうちに、ゲーテは眠ってしまった。


 コーエンは、目に涙をためながら、顔の静脈を浮かび上がらせ肩をわなわな震わせて「許さん」と一言だけつぶやいた。


 ここはいつもの食堂、風呂上がりコーエンがリューホに挨拶をしても、「おう」と無表情で返すだけだ。


「領地経営は上手くいきそうか」

 デミアン王は、心配そうにコーエンに杯を傾けながら訊く。

「もちろんです。父上。こちらの地方では石炭という燃料が取れます。これにて火をおこせばあっという間に鉄が溶けまする。木炭の数倍の威力があるかと。これを鍛冶に使わせれば、もっといい武器が作れるようになるのではないかと研究中でございます。それに、秋の収穫も豊作で皆が潤いました。全てが順調と言っても過言ではございません」

 コーエンがワインを一口飲み、口を潤す。


「ところで……」

 リューホが、やっと口を開いた。

「あの気病というもの、どうにかならんものか!」

 テーブルを拳で叩く。

「何のやる気もおこさないようにし、最後は食欲まで奪い餓死させる。なんとも陰湿な暗殺法よ!」

「俺が必ずなんとかする。そして犯人はこの手で切り刻んでやる!」

「頼んだぞコーエン」

 リューホが珍しくコーエンのグラスにワインを注いでいる。リューホもよほど腹に据えかねているにちがいない。


「そもそもなんであの様なくぼ地に首都があるんだい。水が引かないじゃないか」

 コーエンの目が座ってくる。私もワインを二杯空ける。もう遠慮することもないので、手酌で三杯目だ。

「あそこには元々オアシスがあったんじゃよ。そしてその近くを掘ってみたら井戸が沸き出たらしい。そうして、麦を栽培し、人が生きて行ける都市となったんじゃと。やつらの宗教の『ゴーラン』に書いておる」

 デミアン王が説明する。


「父上は何でもお知りですね。まさか『ゴーラン』を読んでいたとは!」

 コーエンが感嘆する。

「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』じゃ。兵法の基礎じゃぞ」

「あーそれはもう百回は聞いてます」

「口の減らんやつじゃわい。わはは」


 テーブルには、郷土の惣菜が並ぶ。地味だけど優しい味わい。


「しかしなぜ気病の医者はゴライアス帝国にたった一人しかいないんでしょう。元々、人を健康にするためにあった療養法だと聞いております」

「時代の流れじゃろうて。経穴などという、誰も見ることも観測される事もない物を信じ、針等を打たれたりする。奇妙キテレツな行いよ。今は西方大陸の合理的な治療法が幅を利かせておる」


「うちにも専属の蘭方医クラックがいますが、たまに奇妙な事をしていますよ。肩凝りがひどいと言ったら歯を抜きましょうとか」

「何かいわれがあるんじゃろうて。信じるしかないな」


 コーエンが疑問を口にする。

「しかしながらゴライアス帝国の王子も気病にかかったとか。それを治せるのなら、かける事も簡単なことなんでしょう? んー、眠くなってきた」


 言葉にはならなかったが皆には伝わった。つまり犯人は気病の医者、もしくはそれを依頼した黒幕ということになる。最初ゴライアスに気病の王子が現れたのもここに犯人はいませんよというアリバイ作りだったのかもしれない。


 医者本人が黒幕の場合、三人を気病にし、三人とも治して見せる。一番いい宣伝方法だし、失地回復もはかれるだろう。


 そうでない場合は……治療とみせかけて殺される!

 これだけは避けねばなるまい。


 二人ともコーエンの部屋に戻ってきた。べろべろに酔ったというよりも長旅の疲れが出た感じだ。


 いつ大雨が降って来るか、それは分からない。秋にしては夜風が冷たくカーテンを閉める。


 これからおそらく十日近い旅の始まりだ。旅の準備はしっかりしなくては。上にはしまが入ったシャツと、下はいつも履いている乗馬用のパンツ。リュックにはパンと干し肉をぎっしり。貨幣は共通なので、デカいコイン三枚、三十万ルピアほども持っていけば、最低限の安宿で一月暮らせるほどはある。


 王に謁見できなければ最悪自力で見つけるしかない。もう少し持って行きたかったがまあこんなものだろう。コーエンもほぼ同じ旅支度。食い物重視は似た者夫婦か。私はコーエンの荷物を見てくすりと笑った。

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