予言

 隣の部屋から出てきたのは、ゲーテの従者とおぼしきでっぷりと太った男。

「名をシモンと申しまする。こちらさまは……?」

「俺の妻オリビアだ」

「ご機嫌よろしゅう、オリビア様」

「機嫌よくないわよ!針を間違った秘孔に刺すと最悪死んでしまうのよ!」

 俺は漫画で読んだ「北門の拳」を思い出しながら叫んだ。

「一応気病を直す指南書がありましてな。これですが……」

 俺は差し出された指南書をめくる。そこには数百もの経穴と、その作用が書いてあった。

「とにかく素人が生兵法でやっちゃ絶対にダメ、分かった?」

「分かりもうした。浅はかでした。若君を助けたい一心で」


 コーエンはそのやり取りを静かに見守っていた。

「やはりゴライアス帝国に行くしかないか。そこに住むという気病の医者を探しに」


 その時ゲーテが目を醒ましたようだ。仰向けになりながらこちらを見ている。美しいクエル女王に似て女の子ではないかと間違うほどに可愛い顔をしている。少し長い赤毛の髪が、それを引き立てている。そのゲーテが口を開く。


「これはなんと美しい姫。よろしければこの私とお付き合いしてくださりませんか」

 コーエンが答える。

「こちらはオリビアという。俺の妻だ」

「そうですか、なんとなくそんな気がしていましたが……は!僕素っ裸ですね。」

 素早くシーツを胸の辺りまであげるとよろよろした手で握手を求めてきた。俺はそれに応じた。

「よろしくゲーテ様、オリビアと申します。その気病というもの、ヒールの魔法で治りませんの?」

「それもやってみたがダメだった。別種の病理らしいんだ」

「ヒールも万能じゃあないんですね」


 俺は改めてその指南書を見つめる。

「これはどうやって手に入れたんですか」

 すると先ほどのシモンが答える。

「は!砂漠を行き交う行商人たちに頼みました。これは手書きの本です。おそらく書いたのは、気病の医者本人。それも最近書いたもののように見受けられます。ということは行商人は、この人物を知っていることになります。気病の医者と会いたいなら、その行商人を探し出すのが近道かと」


「砂嵐が旅人の行くてをはばむと聞いたが?」

「そのようでございますなあ。砂嵐は超科学を使ってわざと起こしているというもっぱらの噂にございます。素人がすり抜けられるものでもございますまい」

 コーエンは渋い顔をする。


 首都バベルの直径は現在14Km。形は円錐形で今現在も高く、高く、天をつんざくように高く改修中である。その中に人々が蟻塚の蟻のように暮らしているらしい。反時計回りに階段がありそれにて上下に行き来する。


 砂漠の帝国ゴライアス。耕作地が少ないので先々代にクワイラの穀倉地、マーズを襲ったのだ。遺恨は残ったがそれも今ではうやむやになりつつあるとか。


「なぜ天高く改修をしているのかしら。横に広げればいいじゃない」

 俺が素朴な質問をすると、シモンはうーんと唸ってそのいわれを語りはじめた。


「それには、ある予言が絡んでいるのでございます」


 紀元前二世紀、ブトレマイオスという占星術者がある予言を残したという。時は666年10の月、七日七晩雨が降り続き、ゴライアスの首都バベルは大洪水に見まわれて砂に覆われ跡形もなく消え失るのだそうだ。年代には諸説あるが、666年が一番確度が高い。そこで百年前から低地にある首都を上へ上へと積み重ね始めたらしい。天をつんざくほどに、逃げ場を作るために。


 ゴライアスの他の都市も同じ円錐形をしているらしい。いじらしい人間と天の駆け引き。これが一世紀にもわたって続いているのだと。


 幸いクワイラは高原にあるため洪水からは逃れられるが、何も準備をしていない訳ではないという。大雨が降っても水が下流に逃げるように、水はけの悪い土地には土を盛り畑にしたりと、学者達を筆頭に懸命の土木作業が続いているというわけだ。


「しかしこれは絶好の機会なんだ」

 コーエンが口を開く。

「洪水中は厄介な砂嵐もやむだろう。その間に、船でバベルへ乗り込む。王に謁見し、気病の医者を探す許可をもらう。人々は上へ登っているからすぐに見つけ出せるだろう。そして最大限の礼をもって迎え入れる。これでゲーテの病が治れば万々歳だ。後は水が引いた頃を待って送り返せばいい。船は三ヶ月前から建造する予定だ」


 俺は様々な情報に頭が混乱した。しかし感動もした。ゲーテの病に王室が一丸となっているのが分かったからだ。


「コーエン様が行くの?」

「ああ、白い騎士団と一緒にな」

「私も連れて行ってくださいな」

「危険な役目だぞ」


 俺は思わず手を上げた。危険だからこそ自分のスキル、「魅了」が役に立つと思ったのだ。

「承知の上ですわ。コーエン様こそ自ら出向くなんて」

「大事な役目だから直に行きたいんだ。人任せにはできないよ」

 コーエンが頼もしい事を言う。さらに惚れてしまう乙女心。


 しかし、はたと思う。10月。その時まで俺はここに居るのだろうか?元に戻るタイミングが来た場合それを見逃す事が。


「挨拶も終わった事だし、外に出るとしよう。頑張れよゲーテ」

 コーエンが後ろ髪を引かれながら外へ出る。俺はコーエンを追い外に出て、待ってた侍女のメルに尋ねる。


「お前は戻る方法を本当に知らないのか?」

「ああ、恐らく『元の世界に消える』だとは思うが、そのラテン語が分からない。俺も無茶をしたと少し後悔しているよ。ラテン語なんてこの世界には存在しないだろうし、俺はもう諦めているよ」

 俺はその言葉を聞いて残念にも思い、少しホッとしたり。


「おーい、あんまり侍女をいじめるんじゃないぞー」

「すぐにまいりますわ。少しだけ聞きたい事がございまして。そうだ。コーエン様は『ラテン語』って存在はご存知ありませんか」

「聞いたこともないな。何か役に立つのか」

「いえ、私事にございます」

「もう昼だ。昼飯を食べたら俺も軍事訓練に参加する。お前はどうしたいんだ」

「馬を習いとうございます。できればヒーラーのメルと一緒に」

「馬を乗りこなして……どうするんだ?」

「私も白い騎士団に入れてもらえないかしら。決してお邪魔はいたしません。メルと一緒ですもの」


「馬か……分かった。どうせ上級ヒーラーのメルは騎士団に組み込むつもりだしな。一緒に練習すればいい。練習は気をつけるんだぞ。なーに十日もすれば、走り回るほどに乗りこなす事が出来るようになるだろう。倉庫に女用の小さなゲートルもある。そこら辺の侍女に訊いて回るがいい」

「有り難うごさいます」

「馬と言えばウィルソンだ。あいつを師匠に着けてやろう」


 俺は少し疑問に思い、コーエンに尋ねる。

「軍事訓練中に敵が攻めてきたらそのまま軍事衝突になりますの?」

「そりゃーな。でもいつもは全面衝突にはならない。白い騎士団で追っ払って終わりだ」

「でも白い騎士団は百名前後のはず。相手が二百名で攻めてきたらどうしますの?」

「馬を飛ばして兄さん率いる『黒い騎士団』を呼びにいく。これが約一万のクワイラ軍の本体だ。二百名程度なら、一時間もかからず全滅さ」

「備えは万全ですのね」


コーエンは意外にも難しい顔をしている。

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