第5話 魔法の粉
「魔法の粉なんです。」
もう10回以上も通ったころだっただろうか。ある日店員が突然話しかけていた。
「はあ。」
僕は突然話しかけられたことに少々驚いて、またも中途半端な声を出してしまった。
「母の料理の最後の仕上げには、パラパラと粉がかけられていました。」
「何かの粉をさーっと人差し指と親指で手稲につまんで撒いていました。」
「それは僕にとっては『魔法の粉』でした。途中で味見させてもらったものと、最後の味がまるで違ったのです。その粉をかけると、料理の味が普通の味から、すばらしい味に変貌してしまうのです。」
店員は、またゆっくりと話し始めた。
まるで今日、僕がやってきて、その話を僕にすることを決めていたのかのように。
「僕はいつも母の料理を見ていました。」
「でも結局それがなにかを教えてもらう前に、母は死んでしまったのです。」
「お母様はなくなられてしまったのですか。」
僕は質問を返した。
「はい。母の死は突然のことでした。外出先での事故によるものでしたが、その当時まだ高校生で、自分にとっては大変ショックな出来事であり、しばらくは乗り越えることができませんでした。」
「ですので、その秘密を聞く相手がいなくなってしまったのです。」
「その答えを見つけるために、自分で料理をするようになりました。」
「いわゆる料理人という感じではなく、子供に料理を作る、主婦的な感じの料理しかやりませんでしたが。」
「それは完全に母の影響によるものだと思います。」
「なるほど。このお店のメニューはどれも魅力的、、、いや子供が喜びそうなものばかりですね。つまりはお母様の得意料理、ということでしょうか。」
「はい、まさにそうですね。」
「僕らに作ってくれていたものばかりです。」
「で、僕らが特に好きだったのは、麻婆豆腐でした。」
「あっ、僕『ら』というのは?」
「あ、、、私と父、という意味です。」
「ですが、父も10年ほど前に死んでしまいました。」
「僕は高校を中退して上京し以来、交流はしていませんでしたが、そのことは人を介して聞きました。病死だったということです。」
「もしかして。」
「そうなんです。あなたが最初に来た時に山口で似たようなものを食べたとおっしゃった。」
「はい。」
「それは父が作ったものだと思います。父が店を出しているようだという話も聞いていました。場所は固定されておらず、空いている別荘のロッジなどを転々と使って店を開いていたようです。」
「ですから、あなたが最初に来てくださったときに、きっと父の料理を食べたんだろうと思いました。ですが、その経緯をお話しすると長くなりますし、ややこしいので何もお伝えできませんでした。大変申し訳ございませんでした。」
店員は少し間を開けて話し始めた。
「そして、もう一つ大事なことを伝えなければいけないと思っていました。」
「なんですか。」
「あの魔法の粉のことです。」
「僕は色々と考えたんです。母の仕上げの秘密について。」
「きっと父も同様だったのでしょう。ですが、父はその点で大きな間違いをしてしまったのではないかと思います。」
「これなんです。」
「実家から持ち出した中に紛れていたので、実はつい最近見つけたばかりなんです。」
市販のパルメザンチーズの入れ物のような黄色く細長い、プラスチックのケースを僕に見せてくれた。もともと白かったケースが少し黄色みがかったような感じだった。
「このケースには見覚えがありますし、母の私物に紛れていたので、最後にかけていた粉で間違いないかと思います。」
「そしてこれがその粉です。」
店員はそれを掌の上で一振りした。
シャッという音がして、手の上に白い粉がいくつか落ちていた。
「ちょっとなめてみてください。古いものですが、悪くなっていないので大丈夫です。」
「はい、ありがとうございます。」
僕はその粉を指に乗せ、舌の上に乗せた。
「あ。」
「おいしいですね。ちょっと酸味が効いていて。」
「はい。これは『プラムパウダー』という台湾でフルーツにかけて食べているものです。」
「これを辛いものにかけると抜群の旨みを生み出すのです。」
「もちろん麻婆豆腐以外にも大きな効果があります。」
「父は粉がなんなのかわからず、色々と試していたんじゃないかと思うのです。」
「お客様は父の想定した魔法の粉がかかった料理を食べられた。で、気を失ったのでしょう。あくまでも私の推測ですが。」
「そして、父がなくなったのもその粉のせいである気がしてなりません。」
「後で病院の先生に死因を伺いに行ったのですが、かなり歯切れが悪かったものですから。でも、何かの中毒症状であった、ということは教えてくれました。」
「あなたもそうです。きっとその粉のせいで倒れてしまったのです。料理で感動して気を失うなんて考えられません。」
僕は黙って話を聞き続けた。
「結局、父は母の粉の答えを見つけられずに死んでしまいました。」
「父も母のことが忘れられず、料理の味を追い続けることで母を感じたかったのだとすれば、それはそれでいい父だったかな、と今では思っています。」
「母亡きあと、高校生の僕は父とかなりぶつかりあったものですから、最後にそう思えるようになれて良かったかな、とも思います。」
それから店員はしばらく黙り込んでしまった。
僕が会計して店を出ようとすると、店員が話しかけてきた。
「今までありがとうございました。」
「うちの店には変な粉を入れていませんが、おいしいと言って通ってくださったこと、大変感謝しています。」
僕は店のドアに手をかけた状態で話を聞いていた。
「もうこの店は今日で閉めようと思っていたんです。」
「そうなんですか。それは困ります、、、。」
「ははは。ありがとうございます。」
初めて店員は笑顔を見せてくれた。
「彼女との間に子供が出来たんです。恥ずかしながら結婚前なのですが、、、。でも、もちろん彼女とは結婚するつもりです。」
「そして、僕は大事なことに気がつきました。」
「赤ちゃんが生まれたとき、こんなに愛せるものができたことに感激したのです。そしてそれを頑張って生んでくれた彼女にもますます愛情が湧いたのです。」
「わかりますか、、、。わかっていただけるとうれしいのですが。」
店員はまたゆっくりとした口調で話し始めた。
「ありきたりな回答で申し訳ないのですが、、、。」
「あの魔法の粉の正体は、おそらくはプラムパウダーだったでしょうが、実は違ったのです。」
店長は少し間を置いて言いなおした。
「いや、それだけではなかったのだと思います。」
「???」
店員は恥ずかしそうに頭を書きながら上目づかいに僕を見た。
「あの味の秘密は、母の愛だったのだと思います。」
「本当にありきたりのオチで申し訳ありませんが。」
「子供が生まれて、きっと自分は子供や彼女に対しては、その魔法がかけられるという自信が湧きました。」
「だから、僕にとって母の味は店では再現できないのだと思ったのです。特別な相手にしか効果がでないというか、、、。いやその気持ちを込めれば、その気持ちが湧いた中で料理が作れれば同じようになる可能性はありますが。まずは、自分の大事なものに全身の愛情を注ぎたい、子供に自分の料理を食べさせたいと思ったのです。」
僕にはよく理解できた。
将来息子に世界一の麻婆豆腐を食べさせてあげる、っていうのも悪くないかもと考えながら聞いていた。
「またいつか会う日まで。」
僕らは精いっぱい恰好つけた握手をして、別れた。
彼の話になんだかすっかりと納得し、ほっこりした気分で店を出た。
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