第2話 とっておきの店

「あ、田中さん。」


1階ロビー奥にある正面の階段を、長身男性が元気よく降りてきた。

高田編成局長は、ゴルフ焼けの顔をして、大股でにこやかに歩いてきた。えんじ色のチノパンに少し大き目のグレーのジャケットを羽織っていた。


「あ、どうも。」

僕は立ちあがって挨拶した。


「いやいや。今日は遠くまでありがとうございます。」


「たまたま島根放送さんと打ち合わせがありまして。せっかくなので寄らせていただきました。」

「全国系列局会議ではいつもお誘いいただいていたのに、これまでお邪魔もできずすみません。」


「いや、うれしいです。ここで田中さんとお会いできるなんて。」

自分より10歳以上も若い男に対して腰を低くしながら、局長はマンガのように本当に手と手をこすり合わせながら話していた。


僕に対して腰は低いが、普段局内ではパワハラで有名だと聞いていた。

キー局には気を使っているってことだろうが、内心ではどう思っていることやら。


会議室で新番組の紹介を終えるのに30分程度しかかからなかった。


「田中さん、今日は本当にありがとうございました。」

局長は立ちあがってお礼を言ってきた。

不思議と今日の打ち合わせは局長と二人きりだった。


「これからも楽しみな番組が目白押しですね。新番組の話を伺いながら来季の3年連続3冠を確信しました。全日、ゴールデン、プライム共に隙がないですよね。」

「ほんと、地元スポンサーが喜びそうなもの企画ばかりで大変うれしいです。さすが東京テレビさん。」

確かに、YBCはこの2年、山口県内で無敵の視聴率3冠を達成していた。まあ、来季も3冠というのは特有のゴマスリだろうが。


YBCは地方局でありながら、大手出版社と編成局長(当時は編成部長)の個人的なつながりもあって、今では大人気となったアニメ作品に目をつけ、いち早く制作に乗り出した実績もある。実際、局長にはクリエイティブ力に加えて実行力も持っていた。


くだんのアニメについては、YBC側が「番販」する側だったが、自分のプライドもあって、地方から番組を買うこと躊躇し、断ってしまったことを思いだした。

編成局長が「きっと後悔しますよ。」と言っていたことを今でもときどき思い出す。

結局、系列を超えて販売をすることに切り替えたものの、東京キー局はどこも手を出さず、新潟、大分、名古屋、北海道と系列バラバラの地方局が購入したが、その収入はとうてい製作費に見合わず、製作費の補てんをせざるを得なくなったYBCは大打撃をくらったという。


その後、アニメは大ヒットしたものの、YBCはグッズ化やDVD化の権利を契約上放棄してしまっていたため、番販以外の収入が一切入らず、次期社長とささやかれていた編成局長は責任をとって今年で引退を迫られているとも聞いていた。

まあ、パワハラに対する報復の意味合いも少なからずあったのだろうが。


とはいえ取締役にまでなれずとも、局長職まで行けたのであれば、悪くないのだろう。


「さて。いい時間になりましたので、夕食でもどうですか。」


「そうですね。」


「今日はとっておきの店をご紹介させてください。」


「はあ。ありがとうございます。」

断るのも失礼と、僕は流れにまかせることにした。


地方局の人たちはこうした時には自由に経費が使えるので、客を口実に高級店を訪れることが多かった。客としてそれに乗っかるのもまた楽しいイベントではあった。


局長が運転するセルシオに乗り、向かったレストランはまるで「注文の多い料理店」のように山の中にひっそりと佇んでいた。

車の窓越しだったが、入口のドアの横に木彫りで「紫」のような言葉が書かれているのが見えた。店の名前なのかはよくわからなかったが、その字はすこぶる汚かった。

ふときれいな字の書き方を教えてくれた小学校の書道の先生のことを思い出した。厳しかったけど、大好きだった。思えばあれが自分の初恋だったのかもしれない。


車が建物の横の雑草の茂った空地に止まった。


僕らは看板が書かれた木製のドアをくぐり、奥の角にある4人席に腰かけた。中はログハウスのような作りで天井が高く、避暑地の別荘のような雰囲気だった。


「いらっしゃい、高田さん。」

「どうも。」

と、奥から冴えない顔をした暗い感じの男性がゆっくりと歩いてきた。

60を少し過ぎたくらいの男で、紺色のTシャツにジーンズの出で立ちは、少しおなかの出た彼にはあまり似合っていなかった。


「あ、この方がオーナーシェフの布施さん。」

局長は手のひらをその男性に向けた。

「布施さん、東京のN局からわざわざいらしてくれた田中さんです。」


「はあどうも。ごゆっくりお楽しみください。」

心がこもっていない感じは、全く僕に対して興味がないのだろうと思った。

もしくは料理以外に全く興味のない天才肌の料理人なのかもしれなかったが。


そしていつの間にかシェフは奥に消えていた。


「ここには、料理が一品しかないんです。一見はただの『普通の』定食なんですが、これがまた絶品で。」


「私は一週間に一度は食べないと禁断症状が出てきちゃうほどなんです。」

局長はうれしそうに話した。


「なんですか、その一品て?」


「あ、麻婆豆腐定食です。」


「はぁ。」


「おそらく麻婆豆腐には色んな種類があるかと思いますが、ここのものは、、、そうですね、、、例えるなら家でお母さんが本を見ながら作った、という感じのものですかね。」


「はぁ。」

ますます僕は食指が動かなくなった。


「もしかして、、、田中さん辛いもの苦手でした?」


「いえいえ。好きです。」


とはいえ、舌の肥えた編成局長が「とっておき」というのだから、期待できるのかもしれないと思った。それに自家用車で来たということは、お酒無しの夕食になるということ。こんな山奥に代行は来てくれないだろうし。このようなお決まり接待コースでないのも、たまにはいいかと、僕は考えていた。


「おまたせしました。」

10分ほどたち、布施さんが持ってきたのは、お盆に乗った麻婆豆腐とみそ汁とご飯に漬物だった。


麻婆豆腐の色は薄く、あまり味のなさそうな様子だった。

僕の好きなトウガラシも入っておらず、豆腐も細かく切られていておいしそうに見えなかった。確かに家で母親が作ってくれるようなイメージといえばそうか。


「田中さん、今あまりおいしそうじゃなさそうだ、って顔しましたよね?」

局長がニヤニヤしながら話しかけてきた。


僕は見透かされたかと思い、ドキっとした。


「なんでですか。そんなことないですよ。」


「まあ、そう思うのも無理はありません。」


「ですが、まずはどうぞどうぞ、一口。」


そこから先のことは良く覚えていなかった。


気付くと僕はホテルに戻り、ベッドに横になっていた。

麻婆豆腐の味の余韻がまだ少し口の中に残っていた。


あの味を思い出すと全身の力が抜け、僕は幸せな気分になった。

「はぁ、、、。」


食べ物でこんな気分になったのは生まれて初めてだった。

なんの変哲もない、むしろ今一つの見た目だった麻婆豆腐に、何故ここまで魅了されてしまったのだろうか。僕は不思議に思った。


一口目を食べてからの僕の記憶はとぎれとぎれだった。

耳の奥で「プツン」と音がすると、キーンという耳鳴りがし、頭の中が真っ白になった。


全部食べたのか、少し食べたところで気を失ってしまったのか。

最終的にどうやって部屋まで帰って来たのか。


翌朝起きた時、ひどく酔っ払って記憶が飛んでしまった日の翌朝のような不安にかられた。もしかして誰かにえらい迷惑をかけてしまったのではないだろうか。


すっかり心配になり、あわてて局長に御礼とお伺いのメールを出した。


1時間経っても、その返事は来なかった。


局長も忙しいから、日々確認している大量のメールの中にもしかすると紛れてしまったのかもしれないと思っているうちに、そのことを忘れてしまった。


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