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 事故が父親に与えた影響は計り知れなかった。ミシガン州の片田舎で生まれ育ったアーウィンは、十六年間勤めてきた自動車工場を閉鎖にともない解雇され、七年前に一家を引き連れシカゴ郊外の土地に越してきた。安定した仕事に就くことができず、その日の食事にさえ困る貧苦を経験した。やがて小売店での仕事をみつけ、子供たちの手が離れた妻のカミーラがパートタイムの仕事に就いたこともあり、経済的な問題は解決した。壁紙が灼け、水道設備は錆びつき、どこからともなく汚水の匂いが漂ってくるアパートでの生活に、家族四人はそれほど不幸せを感じなかった。

 事故後、アーウィンの脳裏にたびたび蘇ったのは、救えなかった妻の悲鳴、痛みを訴える声、かぼそい息づかいと子供たちを心配する言葉だった。より深く家族を愛さなければならない。そして守らなければならない。その想いは強迫観念となって父親の心と行動を支配した。二人の子供たちは可能な限り目の届くところにいるべきとされた。日曜は教会に、朝夕の食事は全員そろってから。門限が定められ、服装や食べ物の好みを正され、学校行事への参加や友人とのつきあいを制限された。

 その傾向は、月日が過ぎるに連れて拍車がかかっていった。有害な情報をもたらすテレビとラジオが廃棄された。不要な会話や物音を立てることすら禁じられた。罵声、食事抜き、拳で殴られることも珍しくなかった。かといって、アーウィンは独裁者のようにふるまっていたわけではない。真夜中、兄妹はたびたびキッチンから聞こえてくる父親の嗚咽おえつに起こされた。悪夢に跳ね起きたアーウィンは水を飲み、心臓の鼓動が落ち着きを取り戻すまで、じっと座り続けていなければならなかった。深い悲しみが押し寄せ、頭の中が混乱し、吐き気をこらえるため手の平を口に押しあてる。たいていはマシューが、ときにはマリアも相手となり、低い声で会話を交わし、あるいはただ黙って寄り添っていた。

 それは複雑な関係だった。絆を強めていくほど、傷も深くなった。事故前のマリアは内向的で大人しい性格だったが、極端なまでに無口な、なにを考えているのか窺い知れない陰気な子供へと変わっていった。マシューは逆に、陽気な性格を強めていった。些細なことでも感動し、快活に笑いながら大袈裟な身振り手振りで冗談を飛ばした。それは鬱屈した父と無表情な妹を支え、励まし、力づける一方で、争い事の火種にもなった。アーウィンの眼を盗んで、ティーンエイジャーらしく友人たちと馬鹿騒ぎをし、音楽を楽しみ、性的なことに関心を抱いた。たびたび父親と口論を交わし、本格的な取っ組み合いをくりかえした。感情の振幅が大きく、コントロールが難しかった。衝動的な怒りを意志で抑えることができず、握りしめた拳をとどめることができなかった。

 それが、次の悲劇を生んだ。ハイウェイでの事故から二年と半年後、マシューはクラスメイトのスタン・ゴドフリーとボビー・ウィンスレットを殺害した。

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