カメオな日常

散歩の終わり

 地方都市の駅の、正面玄関の脇にある、滅多に使われることのないコインロッカーを開ける。

 旅行鞄に、礼服の入ったガーメントバッグ、ハムスター用のキャリーケースをロッカーの中に入れると、俺はケースの蓋を開けた。底にタオルを敷いたケースには、ストロー付きの小さな水筒と、おやつの苺大福がラップにくるまれて入っている。中央のこんもりと盛り上がったハンドタオルの下に

「カメオ、列車の時間まで、少しあるから散歩に行くか?」

 と呼びかける。

「キュイ!」

 ハンドタオルの下から、うちのペット、手のひらサイズのカメレオンもどき、カメオが出てくる。手に乗り、ちょこちょこと腕を伝ってよじ登り、いつもの定位置、俺のジャケットの胸ポケットへと入る。

「じゃあ、行くか」

 俺はコインロッカーに鍵を掛けると、春の日差しに眩しく光る、駅前ロータリーを歩き出した。



 桜が終わり、街路樹のハナミズキはまだ蕾だが、その根元にはラッパスイセンの黄色い花や、赤やピンクの色鮮やかなチューリップが咲いている。

「キュ、キュ、キュ~」

 狭いケースが余程イヤだったのだろう、ポケットから顔を出して、ご機嫌でカメオが鳴いている。

「……これから、列車で一時間、アレに大人しく入っているんだぞ」

「キュイ?」

 ロータリーを過ぎ、駅前通りの道を線路に沿って、のんびりと二人で歩く。

「あのときは、こんな便利なモノは無かったから、綾花あやかをオンブして、うろうろとさまよってたな……」

 スマホで行き先を確認して、苦笑すると

「キュイ!」

 カメオが突然、悲鳴を上げてポケットの奥に隠れた。

「どうした? カメオ」

 キャア~!! 甲高い声が聞こえ、その後から学校帰りの小学生達がパタパタと走ってくる。

「……なるほど」

 カメオは子供が苦手だ。犬や猫もよくそうであるように、小さな子供に好奇心のままに触られるのが嫌いなのだ。二、三人の固まりになって、きゃわきゃわと歩いてくる小学生は、昼を少し過ぎたばかりとあって、ほとんどが一年生のようだ。まだ糊のきいた新品の制服に、真新しいランドセルを背負っている。すれ違うと、揺れるランドセルの中からカタゴトと筆箱の鳴る音がした。

「……そういえば、あれは綾花が、このくらいのときだったな……」

 鮮やかに街を彩る赤い新芽の生け垣の向こうに、小さな背中達が遠ざかっていくのを見送っていると、ふいに視界が歪む。

「キュイ?」

「……いや、なんでもない」

 カメオの心配の声に小さな頭を撫で、俺はまたスマホの地図を頼りに歩き出した。



「さあ、着いたぞ」

「キュイ!」

 車止めを避けて、俺は小さな線路沿いの公園に入った。

 ここも町内会の有志の人が育てているのか、カラフルなパンジーやビオラが白いプランターに植えられ、並べられている。桜蘂さくらしべ降る。紅色に地面を染めた桜の若葉がそよぐ中、俺はあのとき綾花と座っていた、コンクリート製の古ぼけたポニーに腰を下ろした。

「キュイ」

 俺の腕に乗ったカメオが、気持ち良さそうに春風に鳴く。

 カタトン、カタトン。二両編成の電車が呑気な音を立てて、赤茶けた砂利の上に敷かれた、鈍色の線路を鳴らしていく。俺はカメオの頭を撫でた。小動物のほんのり暖かい体温に、あの日、膝の上に乗せた綾花の温もりを思い出す。

「……綾花が小学一年生の頃、母さんがお義母さんの怪我で、家を空けていたことがあってな……」

 この線路の先、終点にある県庁所在地の市にある実家に、家事の手伝いに毎週日曜日、通っていたときがあった。

「日曜日の夕方の好きなアニメが終わると、綾花が『お母さん、いつ帰るの?』とごねてな……」

 そんな綾花をあやしながら、線路沿いをさまよっていたとき、見つけたのが、この公園だった。

 周囲の家から夕飯の匂いが漂う夕暮れ時。綾花を膝に乗せてポニーに座り、夕日に光る線路を眺める。

『お父さん、あれ、あれにお母さんが乗ってるの?』

 電車が通り過ぎる度に、綾花が振り返って、俺を見上げ尋ねていた。

「……あの綾花がな……」

 明日、式場でウェディングドレスを着るのだ。

「……大学に入学してからは、家には、ほとんどいなかったのに……」

 春の澄んだ日差しに、何もかもが白く光って見える景色に目を細める。

 綾花は高校を卒業した後、他県の大学に入学し、そこで就職して、家には正月とGWと盆くらいにしか帰って来なかった。

 だが、今までの『いない』は、離れたとはいえ、何かあれば戻ってくる『散歩』みたいなものだったのだろうか。

 だとしたら、明日の結婚式は、俺達の元から『旅』に出るようなものか。

 線路を眺める視界が、また歪んでくる。

「……全く、まだ一日前だというのに……」

 目の縁を拭い、思わずぼやくと

「キュイ」

 カメオが俺の肩によじ乗り、頬に頭をこすりつけてくる。その温もりに、あの夕暮れが鮮明によみがえる。

『お父さん。お母さん、まあだ?』

 膝の上で俺の手を握りしめていた、小さな手。腿に掛かった、ずっしりとした重み。線路を眺めている小さな頭から漂う、汗と髪の匂い。

 家族旅行や、学校行事、受験、成人式。思い出はいくつもあるはずなのに、なぜか昨日から、このときのことばかり思い出す。

 改札口から出てくる母さんに走り寄り

『お腹すいた! 早く帰ろう!』

 俺と母さんの手をしっかり握って引っ張る、安堵したような嬉しそうな横顔。

 ちらほらと駅を出る人に混じって、三人で歩いた向こうの暮れゆく春の夕空。

 カタトン、カタトン、のんびりとした音が聞こえてくる。

 電車がまた線路を踏み鳴らして、思い出の風景を通り過ぎていった。

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