どんぐりの縁

 がたごとと音を立てて、怜路が滅多に出すことのない雨戸を立てている。

「風、強くなってきたな……」

 うねるような風音を聞きながら

「カメオくん、悪いけど今夜はおれもここで寝るよ」

 美郷は共同リビングのテーブルの端っこにちょこんと乗っているカメオに声を掛けた。

「……キュイ」

 渋々といった感じでカメオが鳴く。

 やはり、身の内にいる白太しろたさんのせいか、カメオは美郷が苦手だ。

 苦笑しながらテレビに目を移す。L字型に区切られた情報番組には日本列島の上を大きく横切る台風の予想進路図と風速や雨量、河川情報や避難情報のテロップが流れていた。

 カメオが保護されて一週間。まだ木霊が戻る気配はない。怜路がバイトの前に近くの山や自然公園に連れて行っているが、まだまだ、あちらへ旅立てる心境ではないようだ。

 ごうと強い風の音と共に木のざわめく音がして、カメオがびくりと身体を震わせる。不安なのだろう、涙目になっている。そこに怜路が戻ってきた。

「キュイっ!!」

 大きくジャンプして彼の胸に飛びつく。

「よしよし、大丈夫だ。この家は古いが頑丈だ」

 頭を撫でてやると、怜路はお守りだと小さなバンダナをカメオの首に巻いた。

「なんか、余り良くないコースを通ってくるみたいだね」

 台風は一端、九州に上陸した後、関門海峡を抜けて日本海側に出、海岸線に沿うように北上する。

「海の上を通ると勢いが衰えないからな」

 すでに沖縄や鹿児島では強風による被害が出ているらしい。

 取り敢えず、一緒の部屋で今夜は過ごした方が良いだろうと、テーブルを挟んで互いの布団を敷いてある。テーブルの上には怜路が修行で使う登山道具を一式とラジオと非常食。更に今は自宅待機だが、真夜中に呼び出される可能性もある美郷の服。怜路は今夜はトレッキングウェアで過ごし、美郷も寝間着には着替えず、いつでも飛び出せるようにシャツと怜路に借りたスウェットのズボンで寝る。

 スマホを充電器に繋ぎ、寝られるときにしっかり寝ておくようにと係長に言われたとおり、早々と布団に入る。

 テレビと電気を消す。風の音が更に強く聞こえてくる。

「……キュ……キュ……キュ……」

 慣れたとはいえ、嵐の中を他人の家で過ごすのは怖いのだろう。カメオが小さな声で心細げに鳴いている。

「よーし、よしよし。大丈夫だ」

 怜路がそれを慰めている。

 もしかしたら、怖がっているのは数々の嵐になすすべもなく翻弄されてきていた、カメオの中の木霊かもしれない。

 ふと、そんなことを思いながら、美郷は目を閉じた。



 目開けると、いきなり風と雨が全身を襲ってくる。

「う……」

 うわっ! と思わず上げた声が吹き付ける風に飛ばされる。闇の中、更に濃い影になった木々が千切り飛ばされそうな勢いで揺れ、社のような建物が大粒の雨に打ち付けられていた。

 ……神社……?

 息をするのも苦しい風雨の中、美郷は腕で顔を覆い、薄目を開けて周囲を見回した。

 これは……木霊が見せているのか?

 神気に近い気配が周囲には漂っている。

「……キュ……キュ……キュ……」

 カメオの声が聞こえる。声を頼りに風雨をかき分けるように進むと参道の上に小さな影が二つ見えた。

「何あれ?」

 大きな手のひらサイズのどんぐり二つ、参道の石畳の上で向かい合っている。何ともシュールでメルヘンな光景だ。

「……あれ、左の方はカメオくん、だよね」

 一つは、どんぐりになりきったカメオだ。そして、もう一つのどんぐりは帽子も欠け、実にヒビが入り、今にも壊れそうなくらいボロボロだった。

「……もしかして、あっちは木霊?」

 ――そう。

 しゅるりと身から白蛇、白太さんが出てきて肩に乗る。

 ――怖い 泣いてる。

 それをカメオが慰めているらしい。

 どうやら、半ば生を諦め、思い出を辿っていたのに、この台風の暴風雨に消えてしまうことへの恐怖と生への執念がよみがえったらしい。

 だだをこねる子供のようにゆらゆら揺れたり、ぐるぐる回っているどんぐりにカメオが懸命に声を掛けていた。

「あの~」

 ちょっとまぬけかな? と思いつつ、美郷もどんぐりに声を掛けた。

「だったら、もう少し頑張ってみてはどうですか? ほら、台風が来ると空気が変わって秋が来るっていうし、今年は秋雨前線の動きが早いって天気予報で言ってたし」

 ――美郷 『頑張って』 白太さん たべた。

 白太さんも呼び掛ける。

「いや……アレは『頑張って』ってレベルじゃないんですけど……」

 ――白太さんも 『頑張って』 残った。

「いや……それも『頑張って』ってレベルじゃないけど……もしかして、白太さん、励ましている?」

「キュイ!」

 カメオも美郷と白太さんを首で指して、どんぐりを励ます。二人の生への強い気力が見えたのだろう。どんぐりがゆらゆらと揺れた。

 ――『生きたい』 言ってる。 でも……。

 白太さんがうなだれる。あの姿は今の木霊の木の状態を表しているだろう。気力がよみがえっても、肝心の精気は限界のようだ。

「キュイ!」

 カメオが一声高く鳴いた。ころころころ……、その声に誘われるように、緑のどんぐりがたくさん転がってきて、カメオと木霊を囲む。

「キュイ!」

 緑のどんぐりが輪になってゆらゆらと揺れ出す。

 木霊のどんぐりを背に乗せてカメオがひょこひょこ、神社の参道を歩いていく。それに緑のどんぐりがわらわらとついていく。いつの間にか雨風のやんだ薄桃色の朝焼けの中、奇妙な行列は山に向かって去っていった。



「……あれ……なんだったんだ……」

 辻本の

『市内の祠を点検したいんじゃけど、ちょっと早めに出て来れるかね?』

 の連絡に起こされた美郷がトーストをかじりながらぼやく。

 朝の地方のニュースには台風一過の広島の様子が定点カメラの中継を交えて映っていた。不注意に外に出されていた看板等が倒れたくらいで、大きな被害はなかったらしい。電車は始発が点検の為に運休しているが、直ぐに再開されるだろうとアナウンサーが穏やかに告げていた。

「いやあ、あんなメルヘンな怪異現象は俺も初めてみたわ」

「……お前、いたんなら出てこいよ」

「いや、俺は説得出来ねぇだろ。それに俺みたいなのがあの場面にいたら、雰囲気ぶち壊しだ」

 白蛇を肩に乗せた美青年ならともかく、ケケケと笑う怜路を睨むと、美郷は口の中のトーストを牛乳で流し込んだ。

「で、カメオくんは?」

「木霊をどっかに連れていったみたいだな。まあ、発信器を着けておいたから大丈夫だ」

 昨夜、お守りとした巻いたバンダナに発信機を仕込んでいたらしい。全国版に変わったニュースに

「前沢さんの地域を台風が抜けたら迎えにいく」

 怜路はタバコをくわえた。

「前沢さんのところ、今、通過中か……」

「さっきメールしたら、海の方にそれたせいか、大したことはないらしい」

 台風の勢力もかなり落ちている。昨夜よりぐっと小さくなった暴風域に美郷はほっと息をついた。

「ちょうど、秋を呼ぶ台風になったみたいだ。じゃあ、おれ、出掛けるから」

 身支度をし、着替えて、外に出る。

 いつもより早い出勤時間に台風一過の青空が眩しく広がっている。車に乗り、ふと目についたコスモスのピンクの花に美郷は小さく笑った。



 台風の爪痕か、木の葉や小枝が転がり、脇の田んぼの稲の一部が倒れてしまっている田舎道を車で走る。

 つけていたカーラジオから、台風が能登半島沖で温帯低気圧に変わったというニュースが流れる。ポロンとスマホが鳴ると画面にバイト先から、店の周りの掃除をしたいので少し早く来れないかとメッセージが浮かぶ。それに了解の返事を返して、怜路は車を舗装してない道に入れた。

 ジャブジャブと水たまりの泥水をまき散らして車を進める。元は里山だっだのだろう、人が住まなくなり、雑多にツタやすすきが生い茂る雑木林の前に車を止める。

 スマホで位置を調べる。カメオに着けた発信機は雑木林の奥で光っている。軽い足取りで、まだ青々としている夏草をかき分けていくとシイやカシ、コナラが群生している箇所に出た。

「おい! カメオ! いるか!?」

 声を掛ける。

「キュイ!!」

 鳴き声がしてシイの根本から、今までのどんぐりもどきの姿から、普段のカメレオンもどきに戻ったカメオ出てくる。

「それがお前さん本来の姿かい」

 春の若葉のような柔らかな緑色の体色のカメオがちょこちょこと怜路の身体をよじ登ってくる。

 右手のひらを上に向けると、その上にちょこんと納まり

「キュイ」

 と鳴いた。

 じっくりとカメオを見る。カメオの中の木霊は今、力を蓄えて眠っているらしい。

 周囲を見回す。台風で落ちた、まだ緑のどんぐりがたくさん転がっている。一つ拾い上げると、それは細かく実にヒビが入り、少し力を加えただけであっけなく潰れた。

「……なるほど、落ちたコイツらが、このまま朽ちるならとお前の中の木霊に自分達の精気を渡したのか……」

「キュイ」

「最初は木霊に憑かれたのかと思ってたが、どうやらお前の方で木霊を助ける為に進んで寄り代になったらしいな」

「キュイ」

 カメオの身体を借り、たくさんの同朋の力を貰ったどんぐりの木は枯死をまぬがれ、春にはまた芽吹くことが出来るだろう。

 ざわざわざわ……。木の葉が鳴る。風ではない。力が高まっていく。

「帰るのか?」

「キュイ」

 手の上でカメオが姿を変える。身体の色を金色に、背鰭をつんつんと、瞳が緑に銀が混じった色に変わる。

「それ、俺か?」

 ぷっと吹き出し、スマホで写真を撮る。

『カメオがそのものに変わるのは彼の最大の『大好き』のメッセージなんです』

 前沢の言葉を思い出す。

 こんなに素直に『大好き』を全身で表せる生き物だったからこそ、木霊もとり憑け、どんぐり達も呼びかけに答えてくれたのだろう。

「ありがとうな」

「キュイ」

 カメオは一声鳴いて、今度は腹這いなって、白に変わった。

「なんだ?」

 頭頂のヒレは黒く長い髪のように、ぴろんと尻尾を伸ばし、瞳は赤に変わる。

「……もしかして美郷と白太さんか?」

「キュイ!」

「そうか、そうか、お前からはそう見えるか~」

 怖がるはずだと笑いながら、美郷に見せてやろうとこちらもスマホで写真を撮る。

「こっちもありがとうな。美郷もきっと喜ぶ」

 最近、自身が白太さんの影響で人からずれていることを気にしているから、落ち込むかもしれないが。

「キュイ!」

 どっと山の方から風が吹いてくる。自然の風ではない。力をともなったむせるような青い匂いする風だ。

「前沢さん家の父ちゃんと母ちゃんが心配していたから、しっかり謝るんだぞ!」

「キュイ!」

「元気でな!」

「キュイ!」

 別れの鳴き声と共にカメオが消える。

 空になった手のひらに、今度は少し涼しくなった自然の風が吹く。手を返して、ズボンのポケットにつっこみ、タバコを出して怜路は笑った。

「商売にはならなかったけど、こんなほのぼのとした案件もたまにゃ良いな」



 一雨ごとに秋は深まっていく。淡い黄色に染まった狩野家の庭を見ながら、週末の休日を美郷は家賃一ヶ月分の代わりとして、栗剥きをさせられていた。

 いい加減痛くなった親指に閉口しながら、鬼皮を剥いていく。

 隣では、見た目とおり握力も強い怜路が鼻歌を歌いながら器用にナイフを使っている。ふうと息をついて、美郷はこの栗剥きの原因となった怜路のスマホに目をやった。

 あれから怜路はカメオの飼い主、前沢家の人々とちょくちょくメールのやりとりをしているらしい。そこには見事に栗色の栗に変身したカメオが美味しそうに栗ご飯を食べている画像があった。

「そういえば、どんぐりの木はどうなった?」

「子供達が憩いにしている木だからと、町内会と子供会、それと近くの小学校や幼稚園で募金を募って樹医を呼んだらしい。大丈夫だってよ」

 数年後には、またあの小さな生き物がよみがえった木の下で大好きなどんぐりになって遊ぶだろう。

 そのとき、ふと力を感じた。どっと山の方からむせるような青い匂いの風が吹いてくる。

「うわっ!!」

 力の固まりのような風に思わず目を閉じて、目を開けると

「キュワン!」

 例のカメレオンもどきが剥いた栗を入れたボールの脇にちょこんとおすわりしていた。

「カメオくんっ!?」

「おまっ! また何か憑けてきたなっ!!」

「キュワン!」

 カメオはベージュのふわふわとした毛並みに覆われた身体に変わっている。小さな垂れた耳。まるまった尻尾もふわふわ、ぴこぴこと動いている。

「可愛いなぁ。何? 犬?」

「キュワン!」

 怜路がグラサンをずらして眉間を揉む。どこかで犬の念を憑けたカメオを、例のどんぐりの木が『ゆかり』の出来た怜路の元に、なんとかしろと送り込んできたのだろう。

「……依頼料も一緒に寄越してこい……」

「でも素直そうな犬の念だよ。多分、ご飯食べて散歩でも連れて行ったら消えるんじゃないかな?」

 怜路のスマホが鳴る。

『すみません、カメオがまたどんぐりの木の前で消えました』

 前沢のメールに怜路が

『うちに来てます。夜までには帰します』

 と返事を打つ。

「全く、ロクでもない縁を結んじまった……」

 口ではぼやきつつも、ふわふわもこもこのカメオを掴み

「栗ご飯、食べて帰れ、な」

 もふもふと両手で撫で回す。

「キュワン!!」

 カメオが嬉しそうな声を上げる。

「よし、キリキリ栗を剥いて、飯を仕込んだら散歩だ!」

「キュワン!」

 軽い所作で立ち上がり、米を水に漬けにいく大家に

「結構、良縁だと思うけど」

 美郷がカメオに笑みを向ける。

「キュワン!」

 カメオが小さな胸をはって、楽しげに答えた。

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