どんぐり
「ね~ね~、アヤ~」
帰り仕度を始めた私に級友のさくらが面白そうに話し掛けてくる。
「知ってる~?」
いつもの台詞に「いや、今から話すこと知ってるわけないから!」とお笑い芸人のごとく裏平手ツッコミをしたくなるけど、そこはぐっと堪えて、私は「知らないよ~」と彼女の楽しそうな顔に答えた。
「町内の神社のどんぐり林に、また『オバケどんぐり』が出たんだって」
パサリ……。私の手から宿題のプリントが落ちる。
「……また今年も?」
思わず探るようになる声を押えて、なにげなく聞くと、さくらは嬉しそうに頷いた。
「そう、また今年も。うちの弟が例の『キュイ』って鳴く、大きなどんぐりを見たって」
…………お母さんたら、この時期は絶対に家から出しちゃダメって言ってるのに……。
「でも、今時『オバケどんぐり』なんて、居るわけないじゃない」
背中に変な汗が流れるのを誤魔化しつつ、さくらに笑ってみせたりする。
「そうよね~。でも小さい子は本気にしてるみたい。今年こそ捕まえるんだって、弟が明日、クラスの子を集めて神社を『捜査』するって言ってた」
……さくらの弟って小学五年生だっけ……好奇心一杯で、変に行動力がある年頃だ。
「どうしたの? アヤ」
思わず黙り込んでしまったのを誤魔化すように笑いつつ、私は落ちたプリントを拾った。 それを慌ててカバンの中に入れる。
「アヤ、何か笑い顔……引きつってない?」
「ない、ない、全然ない!」
カバンを持つと「これっぽっちもないよ~」と笑いつつ、教室を出る。 廊下の角を曲がったところで、私は一気に生徒玄関へとダッシュした。
「お母さん!! カメオ、どこ!!」
台所に飛び込んできた私に冷蔵庫の野菜室を覗いていたお母さんが振り向く。
「それが留守番させていたら、どこかに行っちゃって。いつもは居なくなると大概ここで 野菜のふりをして、体が冷え過ぎて動けなくなってるのに……」
どこかの窓の隙間から外に出たのかしら? 台所の窓を見上げるお母さんに、私は近づくと顔を寄せた。
「さくらに聞いたの。神社に今年も『オバケどんぐり』が出たって」
「やっぱり……」
毎年、毎年、この時期、ご近所の噂になるのよね~、もううちの町内の七不思議入りかしら~。 冷蔵庫を閉めて、のほほんと笑うお母さんに、私はがっくりと肩を落とした。
「笑い事じゃないって! 近くの小学校の子供達が明日捕まえに行くっていうのよ!!」
あんな、変わったカメレオンもどき、捕まったら、それこそ子供達のおもちゃにされてしまう。
頭を抱える私にお母さんはにこにこと笑った。
「大丈夫。この時期対応の作戦がちゃんとあるから」
そろそろ向こうも時期だしね~。お母さんはそう楽しそうに呟くと、テーブルの上のカバンを手に取った。
日は少し前に落ち、神社には夕闇が忍び寄っている。
奥の一角にあるどんぐり林にガサゴソと落ち葉を鳴らしつつ、私は足を踏み入れた。
ポツポツと着き始めた外灯の青白い灯りに、つやつやとした皮のどんぐりが落ち葉の間から光っているのが見える。
今は人気が無いが、ここはこの時期、近所の保育園や幼稚園の格好の散歩コースになるし、小学生が学校帰りにどんぐりを拾いながら遊んでいたりもする。
私も小学校の四年生までは毎年、ここで友達とどんぐりを拾ったな~。と思いつつ、 薄闇の奥に小さく声を掛けた。
「カメオ~、いるんでしょ?」
しん……。と林は静まり返っている。風がカサコソと時折枯葉を鳴らす以外音は無い。
……あのカメレオンもどきが……。
きっと落ち葉の下で、しっかりと、どんぐりになりきっているに違いない。
私はすり足で歩き出した。ブルドーザーのごとく足で落ち葉をかき分けながら進む。
「キュイ!!」
爪先に柔らかいものが当たったと思うと、突然甲高い鳴き声が聞こえた。
「見つけた!!」
屈み込んでガサッと落ち葉に手を突っ込む。ガサガサと落ち葉をかき分けると、今まで見たどんぐりより、一回り以上大きな茶色いどんぐりもどきが見えた。
「カメオ!!」
どんぐりもどきがビクリと身体を震わせると、落ち葉の中に潜り込む。
待ちなさい!! という私の声に背を向け、丸いお尻が落ち葉の向こうに消えた。
カサカサカサカサ……。落ち葉の下を何かが移動する音が響き、やがて、また林が静寂に包まれる。
「カメオ~!!」
叫び声が静まり返った木立に響く。
どんぐりのツヤツヤの皮にそっくりに擬態して、尻尾をお尻に巻き付けてどんぐりの帽子まで作っていた後姿を私はしっかり見ていた。
たぶん、今は大好きなどんぐりになりきって遊んでいるんだから邪魔しないでよ。ってところなんだろう。
あのなりきりようじゃあ、明日子供が沢山来て捕まえにくるから、大人しく家に帰りなさい、って叱っても無駄だろうなぁ。
もし、見つかったら大勢の子供に散々遊ばれるっていうのに。
仕方無い……、お母さんのこの時期対応の作戦を実行することにしよう。
私は大きな声で、でもさり気無さを装いながら 、家に出る前、二度目の買い物から帰ってきたお母さんに聞かされた言葉を口にした。
「あ~あ、お母さんが折角、今日の夕食後のデザートに青雲堂の栗かのこ買ってきたのに」
カサコソカサコソ……。風に落ち葉の鳴る音だけが響く。
「明日はお家で良い子にしていたら、いっしょにお散歩して栗まんじゅうでお外でおやつしようって言ってたのになぁ」
外灯の青い光だけがどんどん暗くなっていくどんぐり林に降り注ぐ。
カサ……。落ち葉の向こうで音がした。
カサカサカサカサカサカサカサカサ……。落ち葉の下を移動する音が響き、しばらく沈黙の時間が流れると 「キュイ!!」と私の自転車から声がした。
自転車に歩み寄ると籠の中にどんぐりもどきが鎮座している。
「キュイ、キュイ!!」
何してるの? 早く帰ろうよ。と言いたげな声で私を見上げて鳴くカメオのつぶらな黒い瞳を見て、 思わず苦笑する。
「さすが、お母さん。ビンゴだわ」
「キュイ!!」
「はいはい、早く帰ってご飯食べて、栗かのこ食べようね」
これで明日の子供達の『オバケどんぐり捜査大作戦』は空振りに終わるに違いない。
食欲の秋かぁ~。まぁ、このカメレオンもどきの場合は年中だけど……。
私は肩を竦めると自転車のスタンドを外し、夕闇に沈む町へと漕ぎ出した。
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