夏の昼下がり

 暦では立秋が過ぎたというのに暑い日が続いている。今年は特に暑かった。梅雨明けと同時に三十五度越えの猛暑日の連続。朝のニュースの『今日も暑い日でしょう』の気象予報士の言葉に毎日げんなりしたものだ。

 そんな夏の休日、エアコンの音を聞きながら俺はのんびりとガラス戸越しに庭を見ていた。

 膝の上ではカメオが必死に窓の外の風景とにらめっこをしている。

「頑張れよ」

 俺が小さく囁くとカメオは真剣な顔で頷いた。

 庭の木々がまだ強い日差しに緑の葉の表をギラギラと照からせている。

 そう言えば庭木達も大変だった。なにせ今年は七月中に八月の花が咲いてしまうような暑さだったのだ。毎朝晩、庭に水やりをしていたのだが、それでも庭木のいくつかがダメになった。

 涼しくなったら片付けて、新しい木と植え替えるかと考えてみる。

 窓の側に張ったネットではそろそろ役目を終え掛けた日除けの朝顔がそれでも朝に咲かせた花をしぼませている。今年もたくさんの種が取れるだろう。こぼれ落ちた種が、たくましく芽を出し小さな蔓を伸ばしている。

「……キュイ……」

 膝の上のカメオが小さく鳴いて、力んでいた体の力を抜く。零れた朝顔の淡い緑に染まった小さな体を見て、俺は苦笑した。

 好きなものだと力まなくても、いくらでも無意識にころころ変われるくせに、自分の意志で色を変えるとなると、こんなに苦労するとは難儀な奴だ。

「よく頑張ったな」

 褒めながら頭を撫でてやると「キュイ~」と甘えた声を出す。

 ガシャン。良いタイミングで玄関で自転車のスタンドを立てる音がする。

「後はポーカーフェイスだ」

 そうカメオに言い聞かせるとカメオは「キュイ!」と鳴いて、俺と同じように庭に顔を向けた。

「ただいま~。暑かった~」

 バテた声と共にリビングのドアが開き、綾花が入ってくる。手にはプールバック、床にドスンと放り投げると塩素と水の匂いが微かに漂った。

「行儀が悪いぞ」

 眉を潜めて注意をすると「後で洗うから」と舌を出す。

「カメオ~、外は地獄だったよ……」

 綾花が俺の膝の上のカメオに手を伸ばした。

 ふと、そのよく日に焼けた指先が止まる。突然きびすを返すと綾花はそのまま床を踏み鳴らすように台所に向かった。

「キュイ……」

「まさかな……」

 パコンと冷蔵庫の開く音がする。同時に綾花の声が台所から飛び込んできた。

「あ~!! 水まんじゅうが無い~!!」

「そ、そう?」

 わざとらしい母さんの返事が聞こえる。

「お父さんとカメオといっしょに食べちゃったでしょ!!」

 綾花の怒気をはらんだ声に「どうして解ったの!?」母さんの驚いた声が答える。

 いや、母さん、そこは一度は誤魔化しておけよ。

「カメオの尻尾の先が水まんじゅうの白と餡子色の斑に染まっていた!!」

「キュイ!?」 カメオがびっくりした声を上げて自分の尻尾を見る。確かに緑に染まった体のクルリと丸まった尻尾の先が僅かに白と餡子色の斑模様になっていた。

 ……なかなかの観察眼だ。

「キュイ~」

 カメオが『ごめんなさい』というように膝の上で項垂れる。

 確かに一時間ほど前、母さんとカメオ、二人と一匹で冷蔵庫に残っていた水まんじゅうでお茶をした。

 食べてしまってから母さんがこれが綾花の残したモノだということを思い出し、証拠隠滅した後、 白と餡子色の斑模様に変わってしまったカメオといっしょに庭を見ていたのだが……。

 我が子ながら食い物に関しては鋭い。

「だって、綾花が残したやつじゃない」

「残したんじゃなくて、とっといたの!」

 キッチンで母さんと綾花の母娘喧嘩が始まる。

 ……確かに非はこちらにある。大きく息をつくと、俺は立ち上がり財布をズボンのポケットに入れた。

 膝から肩に移っていたカメオがいそいそと俺のポロシャツのポケットに入る。

「キュイ~」

 さっきまでの落ち込んでいた態度から一変、嬉しそうに鳴くカメオに俺は釘を差した。

「綾花の分の水まんじゅうを買いにいくだけだ。青雲堂特製の宇治金時を食べに行くんじゃないぞ」

「キュイ」

 カメオが窓の外を見る。

 ギラギラと光る日差しにアスファルトが焼け、陽炎が立っている。住宅の影がくっきりとその上に黒々と落ちていた。

 時刻は午後三時……暑さのピークだ。

 シャリシャリシャリ……。ふんわりとした氷片を作る青雲堂の年季の入った氷削りの立てる音が耳に響いてくる。

「……まだ、小遣いは残っているな」

 母さんと綾花の言い争いはヒートアップして、一ヶ月前母さんが綾花の豆大福をこっそり食べた話にまで飛んでいってしまっている。

「二人にも頭を冷やさせるか」

 台所に向かう俺にカメオが「キュイ!!」と嬉しそうに声を上げた。

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