特別な日

 梅雨の夜……深夜、湿気を含んだ重い空気に住宅街の街灯の明かりが白く浮かび上がっている。

 暗い夜道を歩きながら、俺はさっきからもう何度目だろうか……数えることも面倒な重い溜息をついた。

 今日中には帰りたかったんだが……。

 押してきたタイムカードの時刻を頭に思い浮かべる。

 果たして今月はあの残業のどれくらいに手当てが付くだろうか……。

 夜闇に包まれた街の角を曲がる。ようやく我が家が見えた。

 家は他の家々と同じく防犯用の玄関のオレンジ色の灯りを除いて闇に沈んでいる。

 仕方が無い……とっくに日付けは変わっている。

 娘の綾花はいくら明日が休みとはいえ、これで部屋に灯りが付いていたら困る。

 母さんは……明日、朝早くから町内の溝掃除があるといってたな。

『町内も若い人が減って、手が足りなくなっているのよ』

 困った顔で愚痴っていたのを思い出す。

『近くのアパートの人達は、ここは仮の住まいで本籍は別にあるから……なんて言って全然参加しようとしないし』

 住宅街から少し離れたところに並ぶ黒い四角い影に目をやり、息をつく。

 勝手な理屈だと思う。だからといって本籍のある町の掃除やゴミ当番をやっているわけではないのに。

 この町のやっかいになっておきながら、この町の住人じゃないから面倒くさいことはゴメンだという。

 ……疲れてるな……。

 大きく息を吐いて、俺は玄関の鍵を開けた。

 真っ暗な家の中に入り、灯りをつけると

「キュイ!」

 我が家のカメレオンもどきが出迎えに来てくれていた。

「なんだ、カメオ。起きていたのか?」

 靴を脱いで上がると屈み込む。しかし、今日はまた変わった色に変化している。

 濃い青に黄色の縞? いったい何に色を変えているんだ?

「キュイ!」

 カメオがちょこちょこと台所に繋がる廊下を歩くと暗いドアの前で鳴く。

「どうした、喉でも渇いているのか?」

 ネクタイを緩めながら後を追う。そういえば俺も喉が渇いた。

 夕食代わりのコンビニのおにぎりでは腹が減って、駅前の二十四時間営業のラーメン屋で軽く夜食を食べてきたのだが、ちょっと味が濃かった。

 いっしょに水を飲もうと台所に入る。

 灯りをつけると……テーブルの上にカメオの色の原因が置いてあった。

「……なんだ……覚えていてくれたのか……」

 濃い青の包み紙に黄色のリボンの掛った箱。ご丁寧に綾花の文字で『お父さん、お誕生日おめでとう』と書かれた水色のカードが添えてある。

「キュイ!」

 カメオがいつの間にかテーブルによじ登り、プレゼントの前で俺を見ている。

『これ、何が入っているの?』と聞いているような気がして、俺は包みを開けた。

「……靴下だな」

 定番と言えば定番だが、中二の子供らしいプレゼントだ。

「ありがとう」

 思わず笑みを浮べて、プレゼントに向かって礼を言うと、カメオの頭を撫でた。

「お前……これを俺に報せる為に起きて待っていてくれたのか?」

「キュイ?」

 カメオはちょこちょことテーブルと降りると冷蔵庫に張り付いた。

「キュイ!」

「ん? なんだ?」

 冷蔵庫を開けると棚の真ん中にあんみつが三つ入っている。

 青雲堂の特盛りあんみつ。たっぷりのフルーツに餡子、黒蜜も付いた俺の好物だ。

 ……母さんだな。最近メタボを気にする俺の誕生ケーキ代わりに買ってきてくれたんだろう。

 ……と、いうことは……。

 早速、あんみつを真似て白にフルーツと餡子色の斑点模様に変わったカメオの頭をちょいと指で弾く。

「さては……これが早く食べたくて起きて待っていたな」

「キュイ!!」

 全く、甘いもの……特に和菓子に目の無い変なカメレオンもどきだ。

「ダメだ」

 きっぱり言うと冷蔵庫の扉を閉める。

「キュイ~」

 いかにも残念そうにカメオが鳴いて、俺は吹き出した。

「これは母さんと綾花といっしょに、な」

 水を小さな皿に入れてやるとカメオは少し口をつけた。

 俺も水を飲んだ後、歯を磨いて、テーブルの上の小さな籠を手に取る。

 中には小振りなクッションと布団代わりのハンカチタオルが入っている。母さん手作りのカメオ専用ベッドだ。

「今日はいっしょに寝るか?」

「キュイ……」

 カメオが首を落として籠に入る。

「明日、皆が揃ったらあんみつを食べよう。お前の好きなさくらんぼをやるよ」

「キュイ!!」

 途端に声が元気になる。本当に現金なやつだ。

「ありがとうな、カメオ」

「キュイ?」

 お陰で良い気分で寝れそうだ。

 俺はカメオの入った籠を持つと台所の電気を消し、軽い足取りで寝室へと向かった。

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