第116話 フランス人友人のドイツ語への疑問が面白かった話

 ポアティエでは二晩フランス人友人宅で食事を御馳走になりました。

その席にいたのは私とうちの主人、その家のフランス人夫婦に、ドイツから一緒に行ったドイツ人の年配のご夫婦でした。


 フランス人夫婦はウィスキーのファンで、日本のウィスキーを絶賛してくれましたが、食前酒の影響もあって皆の口が滑らかになってきた頃、そのフランス人のコレットさん---彼女はこの二日でドイツ語を習得しょうと張り切っていたのですが---は、どうしても納得できないことが、ドイツ語では「女の子」という言葉「Mädchen(メットゥヒィン)」が女性名詞ではなくて中性名詞になるということでした。


 フランスでは名詞は男性名詞・女性名詞しかありませんが、ドイツ語は中性名詞と何故か名詞の性が3つもあります。コレットの疑問は何かと言えば「女の子」なのになんで「中性名詞」になるのかが理解できないということなのでした。


 しかしながら、これは理解できないも何も、ドイツ語では「~chen(”ちゃん”というような”可愛い”とか”小さい”というような意味の時に語尾につく言葉)」が語尾に付いている単語(これを文法では接尾辞というらしいですが)は絶対に中性名詞と決まっているので、それは文法上の問題であり、「女の子」は女性なんだから女性名詞ではないのか、という考え方は文法的にはなんの関係もないことなのです。

 

 確かにフランス語では太陽”le soleil” は男性名詞、月” la lune”は女性名詞でこれだけ見れば、ドイツ語の 太陽”die Sonne”は女性名詞、 でも月”der Mund”は男性名詞というよりは、雰囲気的にはなんとなく理解し易いかもしれませんが、でもフランス語だって"la moustache"(口ひげ)というように男性にしかないものが、女性名詞だったりしますしね、なのでそんなことを言い出せばキリがないです。


 そもそもそんな疑問を持つくらいなら、フランス語にしてもドイツ語にしてもなぜラテン語から影響を受けた大昔のまま未だに名詞に性別を分けているのか、私にはその方が知りたいくらいです。


 あとコレットがワインを飲みすぎたせいで理解できなかったのかどうか、どうしてもわからなかったのが、ドイツ語には”あなた”の複数形である”あなた達”という単語が2種類あるということでした。


フランス語の場合、

あなた(敬語)は vous で、君(友人や子供)は tu 、でもこの2つの言葉の複数形は共に vous なのですが、

ドイツ語では

あなた(敬語)は Sie で、君(友人や子供)は du、でも敬語の友人達が複数いる場合は Sie、でも日本語で「君達」と「君」が複数いる場合はもう一つ違う言葉 Ihr があります。


 彼女はこの Ihr がさっぱり理解できないと言っていました。

でも彼女が一番理解できなかったのは初めてイギリス人と喋った時に、”あなた”という言葉は敬語も友人相手でもいつでも”You”で済むということだったそうで、

「イギリス人の言葉の感覚はなんてラフなんだろう」と驚きを隠せなかったとか。


 そうなんです、ドイツ語やフランス語から考えると、英語はこの3つの言語の中ではとびきり単純であると言えます。

 

 男性名詞も女性名詞もなければ、”あなた”の敬称がないのため、先生でも友達相手でもいつでも”You”なので、動詞の変化を覚えるにしてもそもそも変化させる数が少なくてめちゃくちゃ簡単です。

 

 フランス語やドイツ語の動詞の変化表を覚えるのは本当に時間がかかりますし、その上ドイツ語はラテン語の影響が特に強いのか、各変化も1格から4格まで、その上、これがまた男性名詞・中性名詞・女性名詞・それらの複数形の名詞によって全て変化するので12種類に変化します。でもまずは名詞の性別をしっかり覚える必要があるのですが、その名詞が3種類もあるせいか、

「一般的にはこうだけれど、例外もあって」とこの「例外」というのが結構多いのがドイツ語の特徴と思います。

語尾を見ればほぼ99%は間違えようのないフランス語と違って、語尾を見た所で、例外もあるために「絶対そう」と言えない単語が結構あるのです。


 ……なので本当に、私がきちんとドイツ語を取得するのは一生無理なんじゃないかと思います。


 それでもこの最初の日はフランス人コレットとドイツ人のクレーマー夫人と私の女性三人で過ごしていたのですが、私は一応フランス語もドイツ語もわかるので、2人の話の真ん中に入って、仏独同時通訳をしていたのですが、これは自分でかなり感心していました。

 今から10年前なら、フランス語とドイツ語を同時に話されると、非常に混乱していたのですが、今回は2つの言語を全く違う頭のどこかで分けて聞いていました。インプットが違ったのでアウトプットもそのまますんなりとぐちゃぐちゃにならずに済んだのは、ドイツ語がこの数年で以前より上達したせいなのでは、と自画自賛していました。

 

 ですが、翌日になって、それぞれの主人達も席に加わり、複雑な話になっていたのを見事に完全に同時通訳していたのはベルギー育ちのうちの主人で、その時には私の出る幕は一切なくなっていました。考えてみれば前日の女性達3人だけで喋っていたのは簡単な日常的な話ばかり……これくらい理解できなくては、仏文出身でドイツ在住22年とは言えないでしょう。それに比べて3歳の時にはベルギーの幼稚園で3ヶ国語を話していたという、うちのドイツ人主人のフランス語通訳はお見事でした。

まぁ、彼こそ生まれてもう50年以上はそういう多言語の生活をし続けてきた人なので、彼にとってはこれは全く日常の出来事なのでしょうね。

家では私の日本語を聞き続け、長年私が他の人のドイツ語がわからない時には日本語で私に通訳していてくれたので、母国語のドイツ語フランス語ならお手の物ということでしょうが、この日はその独仏語同時通訳の合間に、私にも時折日本語でささっと簡潔に説明するという高度な職人芸まで披露していて、夫ながら本当に羨ましいと思って見ていました。


 ところで話は大きく変わりますが、最近うちの長男と話していて

「英語圏の人って最初から英語話せて便利よね」と言うと

「でもその代わり英語圏の人は他の言葉話せない人が多いよね」と

「ほお!」という返答をしてきて、そうかなるほど、ドイツ人はそんな風に感じているのか、と思いました。


 ドイツ人やオランダ人が英語を勉強するのはめちゃくちゃ簡単そうです。

言うなれば「初心者英語」であれば、フランス人でも英語を勉強するのは簡単かもしれません。フランス人の英語は最初のうちはものすごい「フレンチアクセント」発音の英語ですが、同じ単語もいっぱいあるし、そういう意味では簡単でしょう。

 

 それで私がここで「初心者英語」と書いたのは、どうやら上級英語はやはりかなり難しいのだそうで、というのは、英語の単語はドイツ語よりも多くの微妙なニュアンスを言い表わす単語があるのが1つ、あとはきちんと教育を受けた人が使う英語はアクセントも単語の使い方もかなり違うからなのだそうです。

単純に「オックスフォード・イングリッシュ」というのもありますよね。

私のイギリス人友人夫婦は品の良さげなものすごく美しく聞こえる英語を話してくれますが、どうやらこの2人の英語はその「オックスフォード・イングリッシュ」だそうで、英語が下手くそで英語の違いがさっぱりわからない私が聞いていてもうっとりしてしまいます。


 でも通常の生活でそこまで外国人が美しい英語を使う必要はあるのかないのか、多分普通に話す分には必要ないのではないでしょうか?

それが証拠に同じ英語圏のアメリカ英語とかオーストラリア英語とかは、イギリスのブリテッシュ英語とは随分違うようですし……。

私自身はアメリカ人やオーストラリア人の英語を聞いて「うっとりするほど綺麗」と思ったことは一度もないのですが、私と違って英語を熟知している方から見たらどうなんでしょうか?


 それからこのフランス人友人のコレットの「女の子というドイツ語がなんで中性名詞なんだ」という意見はどうやら彼女がフェミニストで、なんとかドイツ語に言いがかりをつけたかったという所から来ているようなのですが、それを言うならフランス語は男性か女性の誰が名詞になるかで形容詞や過去分詞の語尾が変化しますが、これはドイツ語にはないです。


例で言えば、こちらドイツ語で

彼は死んだ er ist gestorben

彼女は死んだ sie ist gestorben

で、主語が男性でも女性でも過去分詞の形は変わりませんが


フランス語の場合

彼は死んだ il est mort

彼女は死んだ elle est morte

となり、女性が主語だとこのように語尾に e がつく時もあります。


形容詞で言えば

例えばドイツ語の場合

彼はきれい er ist schön

彼女はきれい sie ist schön

彼でも彼女でも変化せず、


フランス語だと

彼はきれい il est beau

彼女はきれい elle est belle

とこのように変化することもあります。

 

なので実はドイツ語よりはフランス語のほうが余程、男女差別のある言葉と言ってもおかしくないように思います。そもそも語尾が少し変わるくらいで

「だから差別だ、あーのこーの」という人達の気持ちは私には理解できないので、よくわかりませんが、フェミニストの人達は女性が話すときだけ語尾を変化させるのは”差別”であると、どうやら考えるようなのですよ、不思議ですよね。


 それで最近ヨーロッパで一般的になってきているのが、“Diverse” と言って”多様な”という男性で生まれたが本当は女性だった人やその反対などのLGBTQの人の意味なのですが、ドイツではこの数年履歴書や求人などの性別の欄に、

M(男性)、W(女性)、D(多様な)と3つの項目があるのが普通になっているのが現状なのですが、フランスではこの数年ほど性差のない主語人称代名詞「iel」を認めるかどうかが論争になっているそうです。

少なくとも2021年10月、フランス語の辞書プチ・ロベール電子版には”iel”がつけ加えられたのだとか。

フランス語で「彼」は ”il”、「彼女」は ” elle”、それで「新しい性差なしの代名詞」が ” iel”なのだそうです。

ドイツ語では一応最初から「彼」は ”er”、「彼女」は ” sie”、それで「ニュートラルなもの」を表す ” es” があるので、“Diverse” の方のための代名詞にはこの” es” を使用しているのでしょうか?

でも” es” ってなんとなく「それ」というような感じと私は理解していましたが、どうでしょう、でも新しい代名詞を作ったという話は聞いたことがないので、これをそのまま代用しているのだと思います。


 目まぐるしいスピードで変化している現在の世の中とは言え、フランス語の言葉の変化は簡単には受け入れないフランスでこの” iel”がもう一般的になっているのかどうかはわかりませんが、若い人は使っているのかな。

今度フランス人の友人に確認しておこうと思います。


 今回ものすごく長くなりましたが、最後まで読んで下さってありがとうございました!



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