第49話 クリスマスマーケットやツリ-の発祥について

主人の実家が長年ブリュッセルだったので、この20年のうちの半分はクリスマスをドイツではなくてベルギ-で過ごしてきた。

最初のうちはブリュッセルが多く、後半はブル-ジュで、この数年はドイツで、ということが多かったように思う。


それで最近気がついたのだが、クリスマスマーケットはベルギ-よりドイツの方が、断然 ゛ザ・クリスマスマーケット゛ なのである。

なんだか変な言い方で分かりにくいだろうと思うので簡単に言うと、ずばりドイツのクリスマスマーケットこそ、本物感があると最近つくづく感じてしまった。


ベルギーはこじゃれた街が多く、出ているお店も可愛らしいのだが、正直あまり変わり映えのしないお店が多い。

何も特別にクリスマスに出さなくても良いだろうに、というようなお店もスタンドに出ている。

それもそのはず、主人に聞けばベルギーのクリスマスマーケットはここ30年くらいのものなのだそうである。

13~14世紀にはすでに起源があると言われているドイツとは随分と歴史が違うのである。

そのせいかやはりパリのクリスマスマーケットもぱっとしないと聞いたことがあるが、やはり同じ理由なんだろう。


ただ同じフランスでもストラスブールのクリスマスマーケットは有名だが、ストラスブールは17世紀までは少なくともドイツ神聖ロ-マ帝国に属し、三十年戦争後1697年頃には一時フランス領になるが、普仏戦争後1871年にはドイツ領に戻り、第一次世界大戦後にはフランス領に、1940年にまたドイツ領になり、二転三転した挙句、第二次世界大戦後にやっとフランスになったばかりであり、ドイツとしての歴史の方が断然長いわけで、そう考えるとクリスマスマ-ケットの歴史も他のフランスに比べたら当然長いということになる。

ちなみに私の長年のフランス人の友人も Kenzinger(ケンツィンガ-)といって、どう聞いてもドイツ人としか思えない苗字なのである。

おじいさんの時代の人達はドイツ語でも話すことができる、ということで「最後の授業」の舞台にもなったストラスブールは、ドイツであったのが、フランスになったり、ドイツに戻ったりと何度も変わっているので、住んでいた住民たちも色々と苦労したのだろうと思われるが、フランス的でもあり、ドイツ的でもある、大変美しく、興味深い街である。

そもそもアルザス地方のストラスブールは本当はフランス的でもドイツ的でもなく、典型的なアルザス的の街と言うべきだが。


少しクリスマスツリーについても書きたい。


クリスマスツリ-を飾るということもそもそもドイツが発祥なんだそうだが、ゲルマンが樫の木を信仰していた8世紀頃にさかのぼる。

カール大帝に制圧されるまで、森の民であるゲルマン人は森の木を信仰していたわけだが、ある時樫の木からもみの木の若木が現れ、それからゲルマンではクリスマスにもみの木を植えるようになったのだとか。

また、もみの木には幸福を運ぶ小人が住んでいて、その小人のために飾り付けをするようになったのだとか。

ただクリスマスツリーの最も古い書面による記録の1つは1527年のバイエルン州のシュトックシュタット・アム・マインに見られ、1539年にストラスブール大聖堂にクリスマスツリーが設置されたという記載もあるらしいが、一般的な使用としてのクリスマスツリーの初期の記録は、やはりストラスブールで1605年なのだそうである。

そう考えるとストラスブ-ルは非常にクリスマスに関係の深い街だと知り、びっくりしたが、前述したようにストラスブ-ルは当時ドイツ神聖ロ-マ帝国に属していたため、ドイツ発祥ということには違いないだろう。

念のため前述のストラスブ-ル出身の友人に聞くと、1521年にストラスブールの南47kmにあるアルザス地方のセレスタという街の古文書にはクリスマスツリーについて記載があるらしい。


さて、クリスマスツリーだが赤い玉はアダムとイブのリンゴを表しているそうなのだが、もともとは本当のりんごを飾っていたらしい。

ドイツでは家庭では通常12月24日に飾り付けを始めるのが伝統的であり、12月になると色々なお店やス-パ-でもみの木を購入できるようになる。

どうやって処分するのかと言えば、1月6日の「三人の王様(東方からの三賢者)」の早朝までに家の前に出して置くと、その日は特別なゴミ収集車が来て、もみの木を持っていって処分してくれる。

クリスマスツリ-の伝統が長いストラスブ-ルでも伝統的には24日に飾るそうだが、最近はドイツでもフランスでもどこでも24日にこだわらず飾り付けを始めてしまう家庭も増えてきたようだが、我が家では断然24日まで待つスタイルである。


24日の午前中に買っておいた2m50cmくらいはあるもみの木をリビングル-ムに立てることから始まり、飾り付けをして、子供達のプレゼントをクリスマスツリ-の下に置く。

クリスマスの曲をかけ、鈴を鳴らし゛クリスキンド゛という妖精が来たよ、と子供達に呼びかけ、子供達がリビングル-ムに入ってくるとクリスマスパ-ティの開始になるのである。


毎年同じことに繰り返しで、子供達も゛クリスキンド゛が来ていなかったことも知っているが、毎年の習慣なので、とにかく続けている次第なのである。



注意 ☆ ドイツ最古のクリスマスマ-ケットは1434年ドレスデン発祥と世には知られているようであるが、前身となったクリスマス冬の時期のマ-ケットというのは1296年、実はオ-ストリアで始まり、1310年にはミュンヘン辺りで記録された。1384年、ブランデンブルク選帝侯であり、ボヘミア王、ロ-マ王でもあったヴェンツェル王(カール4世の嫡男)は、9月終わりからクリスマスまで毎週土曜日に、バウツェン市(ザクセン州、ドレスデンからポーランド方向へ60kmくらい離れたドイツ内ではほぼ一番東の町)に無料の肉市場を開催する権利を与え、ドイツ語圏全体にその伝統が広がっていく。

そういうことから14世紀には、玩具メーカー、バスケットメーカー、菓子職人などの職人が、クリスマスのための屋台を設置できるようになり、そこでは子供達のクリスマスプレゼントも買えるように変化していき、伝統的なクリスマスマ-ケットとなっていったらしい。


 

  ☆☆ ゛クリスキンド゛妖精 と書いたのだが容貌は゛天使゛の方が近い。

正確には゛クリスキンド゛はそもそも「子供のイエズス」という意味だが、何故か成年の女性で金髪の巻き毛であり、白と金の服に時々羽もつけている。

ドイツではサンタクロ-スのような役割を担っている。

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