第2話 2

そもそも、なぜ日中は戦争状態に陥ったのか、あるいは、なぜこうも簡単に侵略を許したのか。全ての始まりは2020年にあった。東京オリンピックの年である。




 2020年7月17日、東京オリンピック開催の一週間前のことである。中国漁船及び台湾漁船の集団が日本の排他的経済水域内にて操業をしていたが、海上保安庁の巡視船が退去の勧告を出し、従わない漁船に対し放水を開始した。しかし、このときの放水により、中国人一名が海に投げ出され死亡したのだ。この事件を受けて、当初共産党政府は抗議と遺憾を表明するのみであったが、中国国内では、日本軍が自国の領海に侵入してきて殺人を行ったという世論が次第に強くなり、オリンピック期間中に大規模なデモが発生した。日本政府は、行為の正当性を世界に訴えかけた。一連の動きによって、改善しかけていた日中関係は、大きく逆戻りすることになる。




 ついには貿易戦争の敗北で窮地に立たされていた習近平元国家主席により、これ以後尖閣諸島周辺海域で漁をする中国漁船には、海警のみならず人民解放軍が同行する旨の声明が出された。日本政府はこの決定に対し、遺憾の意を表明した。海上保安庁、自衛隊、米軍、首相官邸、ホワイトハウス、全てに緊張が走った。当時の大統領マイク・ペンスは対中強硬路線を明言し、「彼らが尖閣に上陸すれば相応の対応を取る」とコメントを残した。しかし、その年の十一月に行われた大統領選挙で民主党は大敗し、ペンスとその周囲の対中強硬路線派は政治の表舞台を去った。中国によるアメリカ侵略の影響が、初めて表に現れた選挙であった。












 2020年11月29日、鹿児島県付近の領海に中国の軍艦が侵入する。また同時刻、中国軍爆撃機4機が沖縄本島と宮古島の間の公海上空を飛行、領空侵犯はなかったものの航空自衛隊が対応に当たった。同時刻、竹島海域では多数の不審船が発見され、海上保安庁の巡視船がその対応に当たった。同時刻、尖閣諸島周辺に大量の漁船団が終結した。その数は海を埋め尽くすほどで、一千隻の漁船が確認されている。海警三十隻も同海上に出航していた。これは、尖閣諸島を航行する数としては過去最多であった。日本側は、海上保安庁では手に負えないと判断し、海上自衛隊が出動する事態となった。




 現場も官邸も混乱した。混乱の最中、漁民に扮した人民解放軍が尖閣諸島に接岸上陸し、簡易な拠点を築いた。彼らは完全武装して海自艦を寄せ付けなかった。このときになって、アメリカが、尖閣の防衛を打診してきたが、日本側は自国領海内での戦闘行為を回避すべく、アメリカの打診を先送りにした。尖閣を自国の領土と主張する人民解放軍は、決して攻撃を行わない海自の作戦行動を尻目に次々と上陸を果たした。また共産党本部からアメリカ政府に何らかの打電があり、米軍は見守る以外の行動は取らなかった。自衛隊の砲撃によって退去させることも可能であったが、官邸の意向があり、また速報を受けたマスコミ、与野党内には慎重な声が挙がり、とうとう日本政府は、中国共産党に対して強い遺憾の意を表明し、事態の収束を図った。




 同じ頃、国連では、日本の非人道的行為に対する非難声明が出され、放水問題での日本政府の対応が厳しく批判された。するとその翌日から中国は、尖閣諸島に軍事施設の建設を始めた。同時に港湾工事と飛行場建設、レーダー設備と灯台の設置、これらをあっという間に進めた。日本のマスコミはこの様子を連日報道し、避難したが、日本人が気づいたときには、すでに中国による実効支配が完了していたのだった。




 その後、山東省青島にある北海艦隊指令部から次々と艦船が送り出され、演習が繰り返された。ときには宮古島や石垣島にまで中国艦船の船影を見ることになった。日本の国内世論の中には、尖閣諸島を取り返そうという議論と同時に、尖閣を共同保有しようとする論説、そして尖閣を中国に明け渡そうとする論説が沸き起こった。それは、中国との二重国籍が疑われる国会議員、左派系大学教授、学生運動団体、左系マスコミから発生したものだった。




 尖閣に人民解放軍の拠点ができたことから、沖縄の在日米軍は制空権を失い無能化し、その後、五年をかけて撤退した。不景気の折、保護主義に走るアメリカは、東アジアを放棄したのだ。日本国内では左右の論壇が対立したが、右派は劣勢、つまり、尖閣を取り返そうとする動きはほとんど作れないままになっていた。そんな中、右翼政治家と企業家が、民間の漁船で尖閣への上陸を試みた。海上保安庁の巡視船が警護に当たったが、人民解放軍の砲撃を受けて漁船が轟沈した。自国領海内に無断で侵入した漁船に対して発砲したと、中国政府は発表した。この動画は日本のマスコミも大々的に報じた。




「中国の領海に侵入したとして、日本の漁船が撃沈されました。乗組員は全員死亡が確認されました。日本政府は遺憾の意を表明しています」




このとき、ほぼ全てのマスコミで、中国の領海と報道された。












 こうして尖閣が中国の実効支配下に置かれ、日本はその軍事的脅威にさらされた。しかし、そもそも中国はアメリカとの貿易戦争に負けたのではなかったのかというと、確かに貿易戦争によって史上最悪の不況が訪れはしたが、中国の推し進める次世代通信網政策は着実に世界中に浸透していった。また、経済建て直しの切り札として、中国共産党は四億人ともいわれる高齢者の切り捨てを行った。福祉や医療といった、高齢者への支援の一切を打ち切ったのだ。この政策により中国は、かなりの資金を軍事と通信に回すことができ、遂には従来では三年かかるといわれた米軍の機密情報を抜き出す作業を、半年で読み取ることが可能となる技術を保持するまでになった。二十一世紀初頭、中国共産党は飛躍的に力を伸ばした。

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