眠りの祠と嘆きの少女Ⅰ


「よし、明日も日曜日だし、もう少し頑張ろうかな!」


 夕食を終えた玲愛は再びリビングのソファーに寝そべり、VR装置を手に取りました。

 緋雲家あけぐもけはマイペースな者が多く、玲愛の父も母もあまり子供を叱りません。

 訳あって今は両親共に別居していますが、同居している玲愛の祖母も御多分ごたぶんれず、優しくてのんびりとした、絵にかいたような好々爺然こうこうやぜんとした女性です。

 よく言えば寛容かんようで——、悪く言えば大雑把おおざっぱな家庭——、


「——どうしてうちの家系の人間って、どいつもこいつもアホみたいに居間のソファにへばりついてるのかしらね。邪魔よ、邪魔!」


 ただし、一人を除いて。

 仮想世界に飛び立とうとしていた玲愛が、深くつむったまぶたを持ち上げて、少しまぶしい蛍光灯けいこうとうの光と共にぼんやり現れたのは、鬼のように不機嫌そうな女の子の顔でした。


「あぅ……、ごめん……」


 仰向けに寝そべる玲愛を仁王立におうだちで見下ろし、睨んでいるのは小柄な少女でした。

 捨てられた仔犬こいぬのように弱々しい玲愛とは対照的な、威圧的で吊り気味な双眸そうぼうに、高い位置でわえられた気真面目そうなポニーテール。

 小動物的な背丈に反して、剣呑けんのんで攻撃的な雰囲気。

 学級委員長に一番多いイメージが三つ編み眼鏡の少女だとすれば、その少女の容姿ようしは二番目に多い〝ややきついタイプ〟の学級委員長といった感じ。

 ……というか、実際に彼女は、中学校のクラスで委員長を務めてるそうなのですが。

 セーラー制服姿のその少女の名前は緋雲あけぐも杏子あんず。町立明星中学校三年生。玲愛の妹です。

 両親とりが合わず、緋雲家の住人を反面教師にして形成された彼女の性格は、端的に言ってしまえば〝神経質〟という言葉が一番適切でしょうか。

 姉妹仲が悪い——、というほどではないかもしれませんが、関係が良好とも言えません。

 幼い頃は一緒に遊んでいたりもした、ごく普通の仲の良い姉妹でしたが、玲愛が高校に進学した辺りを皮切りに、行動を共にすることが無くなってしまいました。

 バツが悪そうに項垂うなだれる玲愛を、杏子が一瞥いちべつして、


「…………。別に怒ってるわけじゃないわよ。でも、ゲームをするなら自分の部屋でしなさい」

「……そうだね。わかった」


 妹に叱られシュンと肩を落とした玲愛は、VR装置を抱えてとぼとぼと二階にある自室へと戻って行き、


「妹と一緒にゲームとかいいなぁ……。って、私も思うんだけどなぁ……」


 最近観たアニメの内容を思い出しながら、そんなことを呟きます。

 そんな些細ささいな願望とは裏腹に、という諦念ていねんと根拠があります。

 それは、妹の——、緋雲杏子という人物の性格に起因きいんします。

 外見の印象からも、杏子の生真面目で神経室な性格はなんとなく見て取れますが、なにより彼女の性格を体現たいげんしているのは彼女の自室です。

 緋雲家の二階、玲愛の部屋の正面に位置する杏子の部屋は、一言で言えば、〝がらんどう〟といったところでしょうか。

 勉強をするための学習机と、参考書の置いてある小さな本棚に、シーツが端から端までピッシリと整えられたローベッド。たったそれだけ。

 まるで囚人が生活する牢獄のように、さびれた部屋だと玲愛は感じました。

 そんな〝真面目〟という言葉の擬人化にも等しい彼女が、娯楽ごらくきょうじる姿を、玲愛には想像もつきませんでした。


「なんだかなぁ……」


 玲愛は部屋のすみに追いやられ、畳まれたままの敷布団の上でVR装置を装着しました。

 胎児たいじのような姿勢で膝を抱え、横向きになってコテンと無造作に転がります。

 その姿は小さい背丈も相まって、まるでハムスターか何かのようです。

 ——目を瞑って、深呼吸を一つ。

 すぐに睡眠誘導がかかり、玲愛は架空のアバター、〝レア〟となって、ゲームの世界へといざなわわれます。



◆◇◆◇◆



 ヘステルマイムの商業区域。

 相も変わらず殷盛いんせいを極めた賑わいを見せる町の中心区は、様々な種族のプレイヤーでごった返しています。

 《TCO》では前回遊んだ時に最後にログアウトした場所が、ログイン直後のスタート地点になるようです。

 ゲームによっては、ホームとして設定した都市や街の決まった場所からスタートするものもあります。

 ちなみに、レアが以前プレイしていた、《FVW》は後者でした。

 レアはまず、クエスト一覧を開いて、


「むー、とりあえず、残ってるサブクエストの【採取の基本B】をクリアしちゃいたいなぁ……。昔受けたクエストが残ってると邪魔になるんだよね……」


 大雑把なレアですが、ちょっとしたこだわりは節々で持ち合わせています。

 綺麗好きなので、散らかるのは少し苦手。


「……よし、行こうかな」


 方針を固めてからのレアの行動は早いものです。

 どちらかと言えば、元々考えるより先に身体が動くタイプですので。

 最初に、武器屋のNPCに300G支払って、【鉄屑のツルハシ】を修理してもらいます。

 初期装備もろとも見事な散財を果たした末に一文無しとなったレアですが、先ほどいくつかこなしたサブクエストの報酬ほうしゅうがあるので、必要経費としてはそこまで痛くない出費です。

 都市の中心区から離れると、少しだけプレイヤー数が落ち着いたヘステルマイムの西門をくぐり、西ヘルスザーノ平原へとやってきました。

 現実時間と連動しているゲームの世界はすっかり真っ暗で、街灯なんてもちろんなくて、広大な平野を照らすのは月明りだけです。

 それでも、モンスターやプレイヤーが明瞭めいりょうに見えるのは、ゲームならではの補正でしょうか。


〈———スキル、【変身】発動———〉


 レアは【変身】を仕様して、ヒツジになると、再び【眠りの祠】を目指しました。

 頭上に広がるきらめく星々や、まん丸の満月は、驚くほど精密に再現されていて、天体観測をしているだけでもさぞ楽しいことでしょう。

 しかし、目下の目的はゲームの攻略です。

 名残なごり惜しくもありますが、お月見はまたの機会。

 レアが【眠りの祠】に辿り着くと、そこは夕方までとは打って変わって静寂に満ちていました。

 画面の背景の一部、オブジェクトとして判定されたツルハシが無造作に落ちていて、まるで集団神隠しにでもあったような不気味な気配です。


「うひぃ……っ」


 ぽちゃん——、と鍾乳洞しょうにゅうどうの先から垂れる水滴の音に、思わずレアの肩がびくんと揺れました。


「早く採掘して帰ろう……」


 到着するなり人型に戻ったレアは震える身体を抱いて、岩壁がんぺきに向かい合うと、【鉄屑のツルハシ】を装備して、


「せいっ」


 気合いと共に振り下ろすと、



『 【砂利】、【石ころ】を入手した。 』



 残念なシステムメッセージ。

 そして——、

 パリーン。


「…………」



『 【鉄屑のツルハシ】の破損ブロークンが確認されました 』



「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 小さな洞穴の中で少女の叫び声は、いつまでも反響し続けました。


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