第17話 すでに訪れていた転機

前回のお泊りデートから二週間が経っていた。

その後どうなっただろう。

メールのやり取りは頻繁に行っている。

今の共同経営が今月末で幕を引くことは決まっているらしい。

新しいアリサの店も四月のオープンに向けて準備を進めていると聞いている。

例の男の話はどうなっただろう。

アリサが「決まっている」と答えたあの日以来、余計な事かもと思って、彼のことは聞いていない。

そんなある日の夕方、アリサからのメールが着信する。

「今日会える?」

語尾にハートの絵柄がついている。

「十八時以降なら大丈夫だよ。」と返信する。

もちろん語尾にハートの絵柄をつけて。

「じゃ、行くわ。J駅に十九時ごろ。迎えに来てね。」

このメールを見る限りは今までと変わりない。

ほっと胸をなでおろし、ボクは仕事をしながら十九時が来るのを待っていた。


五十を超えたいい年したおじさんが、十九時の約束を十五分も前に到着してワクワクして待っている。『膳』の親方が聞いたら笑うだろうなと思いながら。

アリサは十九時を少し超えた辺りの電車で到着した。

「ごめーん。待ったあ?」

今日の声もいつもと同じように明るく元気そうだ。少し安心する。

「大丈夫だよ、今日は暇だったから。ご飯食べたの?どこかに食べに行く?」

「あのお蕎麦屋さんに行きましょ。まだ寒いし、あったかいものを食べたいわ。」

アリサから率先して『膳』に行こうと言ってくれるなんて初めてだ。親方も女将さんも喜ぶだろう。

やがて見慣れた暖簾をくぐり、見慣れた親方の顔が現れる。

「いらっしゃい。おっ、今日はかわいこちゃん連れやな。」

「今日はね、アリサがこの店に行こうって言ってくれたんだよ。」

その時、奥から女将さんが飛び出してきて、

「えええ、ほんまにい。うれしいなあ。このおばちゃんに会いに来てくれたんやろ?」

「そうよ女将さん。私の話を聞いてもらいに。」

今日のアリサはなんだか少し違う。

「話はあとや、まずは座りぃ。」

女将さんはボクとアリサを奥の席に案内し、まずはアリサを落ち着かせた。

「今日は何かあったの?」とボクが尋ねた。

「そうね。今月末で共同経営の解散が決まったの。アリサの新しい店はまだもう少しかかるけど、四月十五日を目標に進めてる。特に問題はないわ。小さなお店だけど、今のお客さんもついてきてくれるし。だからね、卒業の前祝いをしに来たの。」

明るい表情で話すアリサは、女の子から女性へと転身したように見える。

「少し早いけどおめでとう。」

女将が注文を取りに来ていた。

「アリサちゃん、おばちゃんもお客さんになれるかな。ウチもまだ女を捨ててないつもりやけど。」

「もちろん、大サービスさせていただきますよ。女将さんにももっと綺麗になってほしいし。」

女将さんは親方の方を振り返り、

「あんた、聞いたか?ウチもまだ綺麗になれんねんて。」

「なれるもんやったらなってくれ。アリサちゃんよろしゅうお願いします。」

談笑交じりの会話の後、ボクとアリサは暖かい蕎麦を楽しんだ。

「こないだの話はどうなったの?」

ボクは勇気を出して聞いてみた。

「ん?どうもないわ、一応諦めてくれたみたい。あれ以降はもう何もないわ。」

「それならいいけど。じゃあ、もう聞かない。会いたいっていうから何かあったのかなと思って。」

「大丈夫よ。二月末で終了するけど、その日は一応みんなで打上げ。それぞれの未来を祝してね。なんならゲストで呼んであげましょうか?」

「遠慮しとくよ。だってその彼もいるんでしょ。雰囲気が悪くなるよ。最後の仲間内で楽しんでおいで。」

女将さんが忍び寄ってきて、

「なんやなんや、なんかあったんか。」

と勘繰りを入れてくる。

「あのね女将さん。私、他の男の人から告白されたの。でもね、付き合ってる人がいるからって断ったの。それだけの話。」

澄ました顔で女将さんに打ち明けるアリサ。

「そんなもったいない話、簡単に断ってよかったんか?ヒロさんより若こうて、ええ男やったんちゃうん。」

カウンターの向こうでそれとなく聞いていた親方が話に割り込んできた。

「あんた、男は若さと外見やないで。そうやなかったら、なんでうちがあんたと一緒におらなあかんねん。」

と女将さん。

「こんなタイミングで女将さんのノロケ話が聞けるとは思いませんでしたね。」

「だからアリサもヒロシさんと一緒にいるの。」

明るい笑い声が店内に響いていた。

一緒にいたお客さんたちも、同じように笑っていた。

和やかな雰囲気の中、今日も蕎麦は旨かったが、少し蕎麦の香りが変わった気がした。気のせいかな、それとも・・・・・。

「今日はね、ヒロちゃんの顔が見たかっただけ。あとでちょっとだけお部屋に行ってもいい?」

「いいけど、明日も仕事でしょ?」

すると耳元でそっと小声でささやいた。

「ちょっとだけ抱っこしてキスしてほしいから。」

ボクの方が赤面しそうだった。

「ちょっと、何をひそひそしてんねん。」

女将さんがその様子をみて茶々を入れる。

「そろそろお勘定を。」

「はいはい、今からアツアツデートらしいで、みんな。引き止めたり、あとをついて行ったらあかんで。」

みんなに冷やかされながらボクたちは店を出た。


いつもの様に手をつなぎながらボクの部屋に向かう。

なんだかいつもよりドキドキしながら歩いている自分がいる。

ボクの牙城に引き入れるだけなのに。

玄関を開け、ドアの内側に入るなり、アリサはボクに抱きついてくる。

ボクも黙ってアリサの腰に手を回し、ぐっと引き寄せて唇を合わせる。

二人の舌と吐息と心臓の音がどんどん一つになっていく。

深くシンクロする二人だけの心地よい空間に入っていく。

「もう今日はこのままお帰り。ここから先に通すと、ボクは狼になっちゃうだけだから。それはまた今度、ゆっくりともらうから。」

「うふふ。やっぱりヒロちゃんは安全パイね。頼りになるわ。襲われる覚悟はしてきたけど、やっぱりね。」

「じゃあ襲ってもいいかな。」

そう言ってアリサの体を抱きかかえる。

「ヒロちゃんの顔を見たらダメって言えないわ。」

そう言って目を瞑るアリサ。

残念ながらボクは安全パイになりきれないらしい。前回の逢瀬から二週間も経過しているのだから、それも仕方ない。

「好きよ。」

アリサの言葉がボクのギアをトップに入れた。

玄関に立ったまま服を脱がせ始めるのだが、

「ヒロちゃん、さすがにここは寒いわ。」

「そうだね。」

ボクはアリサを抱きかかえたまま、彼女の体をベッドに放り投げる。

「二週間は長いよ。歯止めがきかないぐらい。」

「いいのよ、抱かれたいと思ってきたから。抱いて、今日も優しく。」

手始めにアリサの唇を堪能し、女神にも挨拶を怠らない。

順繰りに衣服をはがしてゆき、ボクたちの熱い体は布団の中で激しい動きに変わる。

お互いの体温を確かめ合い、お互いの匂いを確かめる。今日もヴァニラの芳香はボクを満足させてくれる。

いつものように弾力のある皮膚は、ちょうど良いタイミングでボクの指を弾き返してくれる。胸の膨らみもいつもと同じ弾力だった。

その先の突起物への愛撫も忘れない。舌でチロチロと挨拶を交わし、時折り歯を当てて刺激を送る。やがて唇が突起物を覆い、一気に吸い上げる。

唇が這っていない方の膨らみはいつでもボクの手が添えられており、弧を描くようにワルツを踊っている。

突起物への刺激を送るたびにアリサの声が漏れていたが、その声のビブラートが甲高く上がった時、ボクは洞窟の温度を確かめに行くことになる。

そこはすでに熱い泉で溢れていた。いつもの温度よりも熱い泉だった。

洞窟前のお地蔵様はそこに鎮座したまま、ボクの祈祷を待っているかのようだった。

ボクはお地蔵様を丹念に撫で、摩り、押し上げながらご祈祷を捧げる。今日のアリサは、ここが感じるみたいだ。

吐息がどんどん熱くなる。

ボクもアリサの中に入りたくなる欲望を、これ以上抑えることはできなかった。

ボクの分身はボクの意思に関わらず洞窟探検を開始した。彼が侵入した途端、アリサの声のトーンが変わる。そのトーンとともに軽快なリズムを刻むのである。

好きだ。アリサが好きだ。その時はそれ以外の感情はなかった。

襲っているつもりはなかった。しかし、アリサの匂いが肌の感触が、結果的にボクをただの一人の男にさせてしまう。

アリサの唇を凌辱することに集中していたとき、彼女の手がボクの分身を愛でに来た。

ボクはその感触がたまらなくなり、演目の終焉を予告する。

アリサはいつもの様に、ボクの腰に手を添えて暴発を促した。

「奥へ。ヒロちゃんが欲しい。」

その声を合図に、ボクはアリサの奥深くで果てるしかなかった。


毎日会えるわけではない。そのことがボクのタガを簡単に外してしまう。

今月末で共同経営を解散するアリサ。職場に縛られることはなくなるが、忙しいのは変わらないだろう。それでも今よりも会える頻度が高くなれば、ボクの安全パイの称号ももう少しは守れるのだが。

今日のところは、報告に来たとはいえ、ボクに抱かれに来たようなものだ。

彼女の仕事がある程度安定するまでは、今のままの関係が続くのだろうなと思っていた。

「もう遅い。泊まっていってもいいけど、着替えはないでしょ。なんなら部屋まで送っていこうか。」

「ううん、大丈夫よ。いつも帰ってくるのはもっと遅いもん。一人で帰れるわ。アリサはもう子供じゃないのよ。」

「心配だからさ。」

「優しいのね。でもほんとに大丈夫よ。」

帰り支度をして玄関まで来た。そこでおやすみのくちづけを交わす。

「駅までは送らせてね。」

「ありがとう、お願いするわ。」

またぞろ二人で手をつないで駅までの道のり。たった三分とはいえ、大事な時間だ。

「今度はいつ会えるかな。三月に入ったらすぐに会える?」

「たぶんね。連絡するわ。ヒロちゃんは大丈夫なの?」

「三月中旬以降は少し忙しくなるかな。それまでは調整できるよ。」

J駅の改札口。今日もアリサの背中を見送り、電車が見えなくなるまで、そのテールランプを見つめていた。

引き返そうと思って踵を返したその時、一人の男がボクを呼び止めた。

「すみません。ちょっといいですか。」

それが新たな展開のきっかけだった。



「ボク立花と言います。あなたがミナミさんの恋人ですか。」

突然の登場に少し度肝を抜かれた。

「そうですが。もしかして、彼女の後をつけてきたんですか。そして今までずっと待ってたんですか。」

ちょっと詰問気味に尋ねてみた

「恥ずかしながらそうです。ストーカーみたいな真似はしたくなかったんですが、どうしてもあなたの存在を確かめたくて。」

「それで?納得されましたか?」

「そういう人がいるという事実確認はできました。しかし、・・・。」

「ちょっと待った。それ以上話が長くなるなら、立ち話もなんだから、ちょっとその辺に・・・。この時間だとバーぐらいしか空いてないけど。」

そう言って、駅前のバーに入る。たまに行く店だが、さほど馴染みでもない。いい具合にカウンターの隅が空いていたので、二人でそこに座る。

ボクはバーボンを水割りで、彼はモルトを水割りで注文した。


「失礼しました。私は立花康彦といいます。今彼女と一緒にお店を運営しています。今月末に共同経営を解散して、それぞれの道を歩むことになっているのですが、ボクはミナミさんともう一度組みたくて、そして彼女のことが好きで、そのことを申し出たのですが、恋人がいるということで断られました。でも、そのことが本当のことかどうかを確かめたくて。今日は共同経営の解散手続きをして、皆で役所に出してきた帰りなのです。役所で一斉に解散したあと、帰りの駅でたまたまミナミさんを見かけたのですが、彼女の住んでいるところと違う方向へ出向いたのを見たので、つい後をつけてしまいました。」

「キミの努力には敬意を示すが、それならば蕎麦屋に入った時点で、キミの疑問は解けてたんじゃないのかい。」

「ボクは彼女から恋人の情報を何も聞いていませんでした。どんな人なのか、何をしている人なのか、何も知らずに来ました。それで駅を降りて、彼女が手を振って駆け寄った相手があなただとわかった時、ちょっとショックでした。」

彼は畳み掛けるように話したあと、渇きを潤すかのようにグラスの中身を喉の奥に注ぐ。

「こんなおじさんでってことかな?」

「そうです。ボクよりも魅力があるってことでしょう。それを確かめたくて、彼女が帰るのを待っていました。」

「ということは、今はボクに用事があるってことだよね。で、何を確かめたいのかな?」

本題に入ってきたので、ボクも少し緊張感が高まる。

「あなたはミナミさんのことを真剣に愛されていますか。遊びのつもりなら手を引いて下さい。」

「ボクは至って真剣に恋をしているし、真剣に彼女を愛しているつもりだよ。遊びのつもりなんてこれっポッチもないよ。」

「もちろん、独身ですよね。彼女と結婚するつもりですか?失礼ですが、それほどの年齢差で彼女を幸せにする自信がおありですか?」

ストレートに聞いてくるあたり、彼の本気度を感じる。しかも痛いところをついてくる。

「ボクはバツイチだが、今は独身だ。不倫なことはないよ。結婚のことは彼女の新しい仕事が安定してから少しずつ考えればいいことじゃないかな。」

彼は自分が不利な立場にいることを理解している。だからこそ、落ち着いて話すボクの返事に憤慨するのだ。

「ボクが彼女を幸せにする自信があるかどうかについては、それはボク自身の問題だから、キミには関係ないよね。」

それを聞いて彼は即座に反論する。

「ボクはあなたよりも彼女を幸せにする自信があります。それだけは断言します。」

彼は少し興奮してきたようだ。

ボクは彼をたしなめるように説き伏せる。

「キミは若い。その若さも大切だと思うけど、ボクも別れた奥さんと結婚するときは彼女にそう誓った。しかし、現実は難しいよ。」

「あなたはきっといい人だと思います。彼女が選んだのですから。でもボクは彼女が好きなんです。」

「キミの純粋な気持ちは理解した。でも、キミが選択している手段は間違っていると思う。それをキミは考えなければならない。ボクがキミに言えるのはそれだけだよ。」

彼は現時点での敗北を認めざるを得なかった。彼の表情がそれを理解していた。ボクもその彼に追い打ちをかける必要はなかった。

「キミがボクを訪ねてきたことは、彼女には内緒にしてあげるよ。だけど、ボクが彼女とつきあっている間は、これ以上彼女にちょっかいを出すのはやめて欲しいな。」

彼はボクの目をキッと睨むように言い放つ。

「それは約束できません。きっとあなたから彼女を奪って見せます。」

ボクは黙って彼の目線から目をそらした。

その途端、彼はすっと立ち上がり、五千円札を叩きつけて出て行こうとした。ボクは彼のポケットにその札をねじ込み。

「こういうところは年長者が出すもんなんだよ。」と言って彼を送り出した。

気が付けばBGMはジャズが流れていた。やっとBGMが聞こえるぐらいまで落ち着いたってことか。ボクもまだまだだなあと思った。

それよりも、今後はアリサの争奪戦が始まるのかと思うと、少し嫌な感じがした。

そんな嫌な感じのまま三月を迎えることとなるのである。



三月と言えば、アリサとあの店で出会った頃である。

アリサの卒業以来、あの店とも疎遠になっている。

今はアリサのおかげでボクの恋煩いは完全にフォローされているからである。

思えば、ミイとしてのラストナイト。ヒロミさんから忠告されたことがあったっけ。

それはともかく、二月のあの夜。

立花と名乗る男が、突然ボクの目の前に現れて、思いの丈を言い放って去って行った。

その話はアリサにはしていない。ボクも彼に言い切ったのだから、その約束は守っている。

三月三日。アリサからメールが入る。

「今日は夕方には体が空きます、行ってもいい?」

ボクが帰す返事はもちろん。

「いいよ。今日は何時でも。」

前回の逢瀬から一週間も経たずに会えるのは久しぶりだ。

「駅に着く前にメール入れるね。迎えに来てね。」

「了解しました。」と返信し、ボクの準備はここから始まる。

まずは部屋の掃除だ。次にキッチンも片付ける。そして洗濯物も整理しておく。

そうしているうちにメールが受信を知らせてくれる。

「もうすぐ着くわ。」語尾にハートのイラスト。

一目散に駆け出し、駅を目指すボク。またもや恋する中高生の様だ。


駅の改札口から出てくるアリサを見つける。

ボクに向かって手を振る姿が今日もまぶしい。

「お待たせ。」

時間はまだ十六時だ。とりあえずはボクの部屋に招き入れる。

「まずはキミの唇と女神様に挨拶させてもらってもいい?」

「うふ。ちゃんと抱っこして。」

ボクはリビングのど真ん中で、立ったままアリサの腰に手を巻いて唇を要求する。

アリサもウットリとした目でボクの要求を受け入れてくれる。

三月の夕方はまだ明るい。濡れ場を演じるにはまだ早い。

それでも首筋のヴァニラの香りはいつもと同じだった。

「コーヒーでも淹れようか。」

「それよりもね、ヒロちゃん。あの人来たんでしょ。」

誰の事を言ってるのだろう。もしかして、

「立花さんから聞いたわ。ゴメンねヒロちゃん。迷惑だったでしょ。」

「彼は自分でアリサに言ったんだ、そのこと。」

アリサは申し訳なさそうにボクに謝る。

「アリサが悪いわけじゃない。ボクは大人らしく紳士的に対応したつもりだけど、彼はなんか言ってた?」

「いい人だねって。アリサが惚れるのがわかるって言ってた。でもね、ボクはあきらめないっても言われた。必ずあの人を超えて見せるって。ちょっとドキッとしたかな。」

「えっ。」

「なあんて、ウソよ。ヒロちゃん、アリサをもっとドキッとさせて。」

一瞬ドキッとしたのはこっちだよ。

「立花さん、ヒロちゃんに何を言ったの?なんて答えたの?すっごい知りたい。」

「普通の事を言っただけだよ。」

「立花さんにね、あの人と結婚するつもりかって聞かれちゃった。」

「それで、なんて答えたの?」

「ひぃ、みぃ、つぅっ!」

「こいつめっ!」

って言って、アリサの体を思いきり抱きしめた。

「夜は何を食べる?」

「そおねえ。冷蔵庫には何が入ってるの?」

そう言って冷蔵庫の中身を確認するアリサ。

「何にも入ってないじゃないの。明太子と納豆とビールだけ?やっぱり外食ばっかりなのね。今日はアリサが簡単に作ってあげる。何が食べたい?」

「そうだなあ。じゃあカレーがいいな。アリサの手作りカレーが食べたい。」

「ええ?そんなのでいいの?」

「彼女の手作りカレーって、男の憧れだよ。」

「わかった。じゃ、一緒に買い物いこっ。」

ボクとアリサはまたぞろ手をつないで商店街へ向かうのである。


簡単に買い物を済ませて部屋に戻る。

キッチンはたちまちアリサの独壇場になる。

アリサにとってカレーなんて朝飯前の料理みたいだ。たちどころに広がるカレーの香りが食欲をそそる。

あっという間に仕上がる食卓にボクは花園の中にいるかのような幻想に陥る。

たかだかカレーでか?と思うかもしれない。しかし、これは経験した者だけが感じることができる幻想なのである。

「いただきます。」

手作りのカレーは店で食べるカレーと違って、作り手によって少しずつ味が違ってくる。

これがアリサの作るカレーかと思うと、思いも一入である。

「ごちそうさま。」

美味しかった。普通に美味しかった。この普通に美味しいことが大事なことであり、だからこそ、何気ない普通の美味しいカレーに喜びを感じるのだと思う。

「こんなんで喜んでもらえるなら楽ね。」

「なんで喜んでるってわかる?」

「だって、うれしそうな顔して食べてくれてるんだもん。」

顔に出てたのか。それはそれで恥ずかしいかも。


「ねえヒロちゃん。アリサね、ヒロちゃんがちゃんと立花さんと話ししてくれたのが嬉しかった。立花さん言ってた。ヒロちゃん堂々としてたって。今は敵わないって。」

「誉め過ぎだよ。」

「ねえ、隣に行ってもいい?」

「よろこんで。」

そしてボクたちは、いつもの様にお互いの匂いを確かめ合いながら、お互いの吐息をなだめあった。

愛くるしいアリサの笑顔とヴァニラの香りがボクの気持ちを高めていく。ボクの高揚はいつもと同じように最高のテンションでアリサの肌を満喫する。

ボクは唇を求め、さらに女神に愛をささげることの許しを請う。

アリサもボクをいつもと同じように愛してくれる。弾ける肌もいつもと同じでボクの指を跳ね返す。湧き出ている泉もいつもと同じように熱い。

ボクの分身はもう泉に浸りたくて仕方がない様子だ。

「ボクの分身はもういうことを聞いてくれないよ。」

「今日のヒロシさんはどっちなの?」

「ボクはいつでもジェントルのつもりだけど。だって安全パイなんでしょ。」

言ってる間にボクの右手は洞窟に潜り込む。

「あん。」

アリサの声はボクの耳に甘く届いてくる。

「お願い、暗くして。」

ボクは立ち上がりライトのスイッチを消した。

その間にアリサはベッドの上に移動している。

「あとはヒロシさんの好きにしていいのよ。」

そう言われて燃えない男はいない。

ボクの分身と腰のリズムはアリサが奏でるバラードに聞きほれながら、快調に円を描く。

ボクとアリサが感じている快楽は二人だけのもの。いつまで共有できるのか。お互いに一抹の不安を感じながら今を過ごしている。

だからこそ燃えるのである。だからこそ・・・・・・。

やがてアリサのバラードが終焉を迎えると同時に、ボクが演奏するボサノヴァも終わりを告げる。

今日もアリサの泉を熱く感じながら、洞窟の奥深くにボクの痕跡を残してきた。

「ありがとう。いつも準備してくれていて。」

「いつもアリサの中で終わってくれるのがうれしいの。アリサだってAVとか見たことあるけど、顔にかけるのとかはイヤ。口で受け止めてあげるのはいいけど、やっぱりアリサの中でイッてほしい。」

「ボクはアリサの中で果てることに一番愛を感じてるよ。ボクの愛おしいアリサ。」

そっとくちづけをする。愛をこめて。


「アリサ、明日急がないの。今日は泊まってもいい?」

「いいよ。なんならこのまま朝まで抱っこしていてあげようか。」

「いいけど、このままずっと朝までなんて、唇がふやけちゃう。それは困るわ。」

センスのいいジョークがアリサから飛び出す。

「じゃあ、抱っこだけね。」

「うん。」

しばらくボクの腕の中でじっとうずくまっている。

「あのね。」

アリサはボクの目を下から見上げて話しかける。

「黙ってて後ろめたいのは嫌だから言っておくね。」

「何かな。」

「再来週にね、合宿勉強会が東京であるの。アリサは単独で申し込んだんだけど、参加者の中に立花さんの名前を見つけたの。偶然なの。今はあの人に会いたくないし、キャンセルできるならと思ったんだけど、同じ勉強会が次は八月まで無いの。だから行ってくる。心配しないで。絶対大丈夫だから。」

「待ってるよ、一皮も二皮もむけて帰ってくるアリサを。」

ボクは裸のままのアリサを背中からギュッと抱きしめた。アリサはその体制のままボクの方へ振り向いてボクの唇を求めた。


今にして思えば、この勉強会こそ、ボクが最も拒絶すべきことだったのかもしれない。

しかしそれは後の祭りだった。


「アリサ、『膳』に行かない?女将さん喜ぶし、」

「うん、アリサも会いたい。」

ボクたちは服を着替えて出かける。もちろん手をつないで。

アリサがこの暖簾をくぐるのは一週間ぶりだ。

「いらっしゃい。おっ、今日はアリサちゃんも一緒やんか。おーい、アリサちゃんがきたでえ。」

奥から女将さんが飛び出してくる。

「アリサちゃん。待ってたでえ、今日もその可愛い顔を見せてえな。」

そう言ってアリサを抱きしめる。

「ん?男の匂いがする。これはきっとヒロさんの匂いやな、嗅いだことないからわからんけど。」

「女将さん、アリサ今日はもう十分にヒロシさんに愛されてきたのよ。」

「えええっ。ほんまにぃ?」

そう言ってボクを見る。

「冗談ですよ女将さん。彼女を愛してあげるのは今晩ゆっくりたっぷりですよ。」

呆れ返ったような顔をして女将が嘆く。

「もう好きにしとき。あんた、この子らに出すもん全部売り切れやな。」

「女将さん、意地悪しないでください。ここ、座ってもいいですか。」

「ええで、せやけどその前にヒロさんの匂いもチェックしとくで。」

そう言ってくんくんとボクの匂いを嗅ぐ女将さん。

納得したようにボクにウインクする。

「やっぱり答えはヒロさんの方にあったわ。」

「熱燗と漬物と納豆。早くね。アリサは?」

「じゃあ、きんぴらごぼうをいただこうかしら。」

ボクとアリサはいつもの様に、猪口を舐めながら少しずつ酒に浸っていく。

丁度ほどよく他の客の流れが途絶えて、女将さんがアリサの隣に座る。

「新しい仕事の目処はついたの?ウチも楽しみにしてるんやけどな。」

「割と順調です。四月十五日開店予定です。ぜひお越しください。F電車のR駅前ですから、すぐそこですよ。」

確かにR駅前ならすぐそこだ。ということはアリサの職場とボクの部屋が近くなるということだ。これは確実にボクの部屋に来る回数が増えそうだ。

「女将さん、聞いてもらえます?」

アリサから話しかけるなんて珍しい。

「いつもね、ちょっと不安なことがあったとき、ヒロシさんに相談したらね、すぐに解決するの。すごいでしょ。」

またまた呆れ顔の女将が嘆く。

「今日はなんや?ウチにノロケ話を聞かせるために来たんか?さっきからずっとそんな話ばっかりやんか。」

「だって、このあいだは女将さんのノロケ話を聞かされましたから、今日は私が。」

ニコリと微笑むアリサと女将さん。どうやら二人の波長は合っているようだ。

「ヒロさん、調子良さそうやね。うらやましいけど、それよりもあんたら見てたら、こっちまで幸せな気分になるわ。ええなあ、ええわ。」

「女将さん、アリサをよろしくお願いします。」

それを聞いてアリサは女将さんの袖を引き、耳元でつぶやく。

「ねっ、優しいでしょ。」

「あああああ、もう勝手にしいい。」

こうしてボクとアリサの体は少しずつ酔いが回るのである。


店を後にして、ボクたちは部屋へ戻る。

後はアリサの唇がふやけるまで夜通し吸い尽くすだけである。

この夜は洞窟探検を行わずに、アリサの若くて弾む肌とヴァニラの芳香だけを楽しんだ。それだけで十分だった。

まったりした夜は今日も静かにボクたちを包んだまま更けていくのであった。


翌朝、目が覚めるとまだ眠っているアリサがボクの腕の中にいた。

穏やかな表情で眠るアリサはほんのり可愛い。

まだ淡い寝息をはいているアリサの唇にそっとくちづける。

昨夜はあらん限りのくちづけを交わしながら眠りについたが、アリサの唇はさほどふやけているわけではなかった。

ボクのいたずらに目が覚めたアリサは、それでも必死にボクに応戦する。

腕をボクの首に回し、吐息を放つ。

「今日は何時からどこへ行くの?」

「新しいお店の契約手続きで不動産屋さんとお役所へ行くの。ちょっとドキドキ。」

「何かわからないことがあったら、いつでも電話しておいで。」

この朝は昨夜同様、穏やかな時間を過ごし、二人で部屋を出る。

駅前の喫茶店で、モーニングを堪能し、アリサを駅に送り出す。


ホントにさわやかな朝を二人で過ごしたのはこれが最後だった。



翌週、立て続けに会える日が来る。忙しいとはいえ、まだ今はフリーの身。

今回はボクから電話した。

「アリサと出会ってちょうど一年。お祝いしない?」

「いいわよ。想い出の焼肉屋っていうのはどう?」

願ってもないプランだ。というよりもボクも同じことを考えていた。

約束はK電車のT駅中央改札に午後六時。前回はランチだったが、今日はディナーだ。

かと言って食べるものが変わるわけでもなく、ボクたちは楽しく肉を食らう。

「まだあのころはミイだったのね私。」

「そうだね。ボクもただのお客さんだったよ。」

「来週から勉強会に行ってくるね。」

「そばに狼がいるから気を付けてね。」

目をくるっとさせながらボクに尋ねる。

「狼って立花さんの事?」

「いいや、彼に限らず、男の人はみんな狼だよ。」

「妬いてくれるのね。うれしいわ。」

ニッコリ微笑んで答えるアリサ。

「旅立つ前に会えてよかったよ。」

「そうね。」


肉を楽しんだ後は映画を見る。それが初デートの記憶だった。

初めて二人で見た映画はラブロマンスだった。

今回の映画は、彼女のたっての希望で「呪いのオレンジハウス」というタイトルのホラー映画だ。なぜか女性はホラー好きが多い。アリサもドキドキしながら見るのが好きらしい。

ボクはどちらかと言うと苦手だ。

ショッキングなシーンになる度に、アリサの手をぎゅっと握ってしまう。

アリサはそれが面白かったらしく、映画館がら出てきたアリサはしばらくおなかを抱えて笑っていた。

「ヒロちゃんのビビった様子を初めて見た。とっても楽しい。あははは。」

笑い事ではない。ボクは見る前から苦手だと言っていた。それを無理やり連れ込んだのだから、たまったものじゃない。

そこで、

「次はボクが怖い目に合わせてやる。」

と言ってアリサの手を引っ張る。

そしてすぐそこにあった怪しげな建物の中に強引に引きずり込んだ。

もちろんラブホテルである。

最近のラブホテルは画面のボタンだけでチェックインできるから楽ちんだ。

ささっとチェックを済ませて部屋に入る。

ボクのスイッチはすでに狼モードに入っている。

「今日は泣いても知らないぞ。」

「怖いのは嫌。」アリサもすでにモードに入っている。

ボクはアリサをベッドに押し倒し、

「今までのボクは猫をかぶっていたんだ。今日はボクの本性を見せてやる。」

そう言ってアリサの服を強引にはぎ取っていく。

目隠しのマスクはテーブルの上に用意されている。拘束ベルトもそこにあった。

素早くそれらを手にすると、アリサの手を押さえつけてベルトをはめる。そして視界をふさぐ。ついでに口枷もはめてやった。

そう、この部屋は少しSMチックな部屋なのである。

そしてアリサを十字架に張り付けたままゆっくりと凌辱し始める。

初めての経験なのか、さすがに少し震えていた。

「こわい?」

ボクが耳元でそっとささやくと。

「ウン」と小さくうなずく。口枷をしているので言葉は発せない。

叩いたり鞭打ったりはしない。そこまでの趣味もないし、アリサを傷つけたいわけじゃない。少し脅かしたいだけなのだから。

ボクはアリサを十字架に張り付けて立たせたまま、胸の膨らみや洞窟を強引に弄る。

それでも彼女の体は受入態勢のモードに入っていく。

片足を持ち上げ、十分な前戯も行わないまま、ボクの分身を洞窟へと侵入させていく。

少し驚くアリサの声はいつもより色っぼく聞こえた。

ボクはそれで十分だった。

「怖かっただろ。ゴメンね。」

そう言ってアリサの戒めを解いてあげる。

少し涙目になっているアリサを抱きしめて、零れ落ちそうな瞼の雫を舌で吸う。

「ヒロシさん、ホントにちょっと怖かった。」

そう言ってボクの胸に飛び込んでくるアリサ。

「ゴメンね。アリサがボクのことを笑うから。」

「ごめんなさい。もう笑わない。だから優しくして。」

ボクはアリサを抱えてベッドに移る。そこからはソフトにアリサを犯していく。

腕にはめたベルトはまだそのままだった。

そのコスチュームだけは外さずにいたので、腕のベルトをアリサの頭の上でつなげて手の動きの自由を奪う。

「優しく襲ってあげる。」

「助けて、お願い。声を出すわよ。」

「ならば、口をふさぐだけだよ。」

そう言って強引に唇を合わせる。

アリサもそれに応戦し、中から女神が登場してくる。

ボクとアリサの舌は絡み合うようにダンスを踊る。

「もう一度目隠しをしてあげようか。」

「ううん、このままがいい。ヒロシさんの顔を見ながら感じたいから。」

女の子はいつでもロマンチストだ。

もうボクのワイルドな気持ちは満足している。後はゆっくりとアリサの体と匂いを堪能するだけだ。とはいえ、アリサの腕はまだ拘束されている。

ゆっくりと時間をかけて、唇から首筋、胸元から胸の膨らみへとボクの口唇が移動する。

もちろん、熱い泉が溢れる洞窟へのあいさつも忘れない。

その返礼として、アリサはボクの分身へやわらかいあいさつを返してくれる。

そこからは一気に加速した。

ボクはありったけの力を振り絞り、渾身の一撃を最後にほとばしらせた。

いつものようにアリサの中で。

そして深い時間だけはいつもこの後で訪れる。

ボクたちの時間は一瞬ここで停止し、目線が合うことで再び動き出す。

「いつもこの時間が止まればいいと思ってる。」

「アリサもよ。ずっとヒロシさんの腕の中で抱かれていたい。そう思ってるわ。」

もうすぐ鳥たちの声も求愛の歌声に変わるだろう。

そんな三月にさえずる鳥たちは、迫り来るボクたちの未来のことなど全く関心がなかっただろう。


出会って一周年のお祝いを終えたボクたちはT駅で南北に別れた。

「気をつけて行っておいで。」

「うん、帰ってきたら連絡するね。」

何気に送り出す言葉を放ってみたものの、正直なところ全く不安がない訳ではなかった。何となく予感とも言える一抹の不安がボクを覆う。

彼女の出発は水曜日。戻ってくるのは土曜日の予定だった。



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