第12話 新しい道
アリサの新しい職場については詳しいことは聞いていなかったが、エステの新しい手法での展開を考えているらしいこと、そのために同業者同士で事業展開を始めること。そのための資金が必要だったことなどぐらいは聞いていた。
新しいことを始めるのである。開始当初はめまぐるしいほど忙しいに違いない。会いたい思いをできるだけ抑えて、ボクも年末に向けた仕事をこなしていく。たいした仕事はないが、とある雑誌のシリーズを一つ任されることになった。テーマは「冬の京都」である。
近年、多くの外国人が日本を訪れることになり、特に京都は観光のメッカでもある。外国人向けの取材を身の軽いボクを見越して、古くから付き合いのある編集長が持ってきてくれた仕事である。
「正月までは、なかなか会えないかな。」
そんな気配がする十二月だった。
そんなある日のこと。十二月も二週間を過ぎたあたり。
アリサから「明日か明後日、時間取れない?」とメールが入る。
丁度会いたいと思っていたし、夜なら都合がつけられるタイミングでもあったので、
「明後日の夜なら大丈夫だよ。」
と返信すると、直後に電話がかかってきた。
「ヒロちゃん元気?ちょっと会いたい。部屋に行ってもいい?」
「いいけど、忙しいのにかまけて散らかりっぱなしだよ。どうせなら外で晩御飯を一緒に食べない?H駅中央改札に十九時でどう?」
「わかった。少し遅れるかもしれないけど、がんばって行くようにする。」
これで久しぶりのデートが決定した。やっぱりワクワクと心が躍るのが楽しい。やはり気分は中高校生のように弾む。
H駅前に洒落たイタリアンの店があったっけかな。今時のお嬢さん向けだよね。と目星を付けたら、後は明後日が来るのを待つだけとなる。
そして翌々日の夜。待ち合わせの場所でアリサを待つボク。
「少し遅れるかもって言ってたからな。」
着いた途端に待つ覚悟をしておく。いつもの通り、待つのはそんなに苦痛じゃない。
それよりもアリサが焦って事故に合わないように神様に祈る。
十九時二十分過ぎ、アリサが改札口から出てきた。
「ゴメンね。随分遅れちゃった。」
「いいよ、大丈夫だよ。あらかじめ遅れるかもって聞いてたし。でもお腹はペコペコだから、さっそく店に行こう。」
ニッコリ笑い、ボクの腕にしがみついてくるアリサ。今夜も今までどおり可愛い。
「今日はイタリアンでどうかな。予約はしてないけど、二人ならいけるだろう。」
腕を組んだまま、五分ほど歩いたところにその店の看板が見えた。
中に入ると都合よく、二人がけのテーブルが空いており、向かい合わせで座る。
「なかなかお洒落なところね。ヒロちゃんが女の子を口説くためのお店?」
「そうだよ。アリサみたいな若くて可愛い子を口説くためには、これぐらいのところに連れてこないと話にならないからね。」
「うふふ。相変わらずヒロちゃんのお話は楽しいわ。きっと天才なのね。だから何人もの女の子が騙されるのよ。」
「違うって言わなかったっけ?根が正直だから、騙されているのはいつもボクの方だって。そんなことより、お腹がペコペコだよ。今日は昼もろくに食べる時間がなかったからね。」
「アリサもよ。もう目の前がぐるぐる回りそうな忙しさ。新しい仕事って大変ね。」
確かに少し疲れ気味に見えるかも。
新しい仕事に取組む人が必ず超えなければいけないハードルでもある。
「で、どうしたの。何か相談事でもあるの。」
「うん。そんなに難しくないと思うんだけど、いい税理士の先生を紹介してもらえないかなと思って。今の共同経営の会社がお願いしている税理士があんまりよくない人みたいなの。だから、みんなで他にいい人いないか探そうって言うことになって。」
「そんなことならお安い御用さ。他のメンバーの面子もあるだろうから、ホントにいなかったら紹介してあげるよ。同級生がいるから。」
実際、高校時代の同級生に何人か税理士がいて、ボク自身もそのうちの一人に依頼している。フリーライターは個人事業者だからね。
「やっぱり頼りになるのね。よかった。それに会いたかったし。」
「それを一番に言って欲しかったな。」
「うふふ。だって恥ずかしいじゃない。でも会いたかった。」
「ボクもだよ。お腹はペコペコだけどね。」
アリサの相談ごともあっという間に解決し、空腹なボクたちにとって目下の使命は、順繰りに運ばれてくる料理を平らげることのみとなった。
「ヒロちゃんの仕事はまだ忙しいの?」
「そうだね。でも別に新しいことをやるわけじゃないから、アリサほどではないよ。それに取材先はほとんど京都市内だからね。」
相談事が解決しているので、アリサの口調は軽い。
今日のイタリアンは出来がよかった。この店に連れてくると、だいたいの女の子は満足してくれるのだが、今日のメインの子羊はことさらアリサの要求を満たしてくれたようだ。
ゆっくりとした時間の中での食事が終わり、
「さて、食後の散策でもいかがですか、お嬢さん。」
この駅の近くにイチョウ通りと呼ばれる街道があり、夜になるとライトアップされていることもあって、若いカップルたちがそぞろデートに勤しんでいる。ボクたちもその仲間入りを果たそうというわけだ。
「寒いからくっついてないと嫌よ。」
「望むところさ。」
少しアルコールが入って温まっている体も、師走の北風に煽られては瞬間で冷えてしまう。
「クリスマスにはデートできそうかな。」
「わかんない。でもちょっとムリっぽいかも。」
「その前後でもいいから、会いたいんだけどな。正月は実家へ帰るでしょ。その前にはもう一度ゆっくり会いたいな。」
「お正月はさすがに帰らないわけにはいかないけど、絶対にどこかで会える日を作ってあげる。」
そう言って一瞬立ち止まり、ボクの顔を見上げた。
「よろしくお願いします。」
と言って、ボクもお辞儀をしてみせる。
イチョウ通りの突き当りがH駅の北口の連絡通路と繋がっている。そこまで来ればデート散策はゴールとなる。
途中に過去の偉人の銅像が立っており、その物陰にいくつかのカップルが抱き合っているのが見える。今の若い子達は結構大胆だ。
「アリサ、今ボクはモーレツにキスしたいんだけど、どうすればいい?」
通りのほぼ中央を歩きながらアリサに尋ねた。
「さすがに道の真ん中では恥ずかしいわ。」
そう言って、ボクを銅像の物陰に引っ張って、若いカップルたちと並ぶようにたたずみ、
「ここならいいわ。周りのみんなと同じだもん。」
と言ってボクの首に腕を回す。
「じゃ、遠慮なく。」
ボクも周囲の目を気にせず、アリサの唇を堪能する。隣もその隣のカップルもみんな同じシルエットにしか見えない。いつかこの銅像の影を「カップルの物陰」とでも名づけて記事を書いてみようかと思った。
ボクの腕の中でアリサの体温とヴァニラの香りを感じながら、久しぶりに会えた喜びに感謝する。
もちろん、日本海の神様に。
今日はお互いに限られた時間を割いてきている。
従って、熱いデートも駅に到着するとともに終了のベルが鳴る。
今月の内にもう一度会う約束だけをして、ホームで別れを告げる。ボクは東にアリサは西に。二人を引き離すようにして、電車は師走のレールの上を滑っていくのであった。
やがてクリスマスの夜がやってくる。
十二月二十四日は世間ではクリスマスイブと言って、若い恋人たちが一緒に夜を過ごすことに全力を傾ける日である。
さすがにボクの世代で、そこまで力を注ぐ輩を見たことはないが、アリサの世代なら特別な想いがあるかもしれない。
プレゼントだけは用意してある。たいしたものではないが装飾品を。ボクの最も苦手とする分野のプレゼントである。
四、五日前に連絡を入れてみたが、相当忙しいらしく、返事はとうとう返ってこなかった。あきらめて、クリスマスが過ぎた二十六日の夜に電話をかけてみたが、やはり出ない。仕方なくメールを入れておく。
「いつ会える?」
すると翌日の朝にメールが入った。
「一応お店が二十九日まで営業するから、三十日にはゆっくり会えるかも。実家には大晦日に帰るって連絡したから。」
ボクの方もそれまでには年内の仕事を済ませ、予定を空けることとしよう。それともう一つのサプライズを計画して。
やがて訪れる十二月三十日。
昨日の夜、「明日が待ち遠しい」とメールだけして就寝していた。ボクが眠っている間に、その返事が届いていた。時間を見るとすでに日付が変わった夜中の二時だ。
「アリサもよ。おやすみ。お昼ごろ部屋に行ってもいい?」
今の時間は午前八時。
ボクも少々疲れていたせいか、いつもよりはやや寝坊気味である。
それでも、「いつでもどうぞ」とメールを返して、寝ぼけ眼で作ったうどんをすする。
洗い物をさっと済ませて、その流れから、さっそく部屋の掃除に取り掛かる。
窓を開けて、ゴミを拾って、掃除機をかけて。モップでほこりもぬぐっておこう。あとはコロンを少々振りまいて清掃終了である。
言い忘れているが、我が城は1LDK。十二畳ほどある大きめのリビングにベッドとソファーを設置、もう一部屋は和室の仕事部屋である。仕事場となっている和室は、コタツ部屋であり、未だに立ち入り禁止区域として設定している。ここの掃除は今回も省略することとした。
あとはぼんやりテレビを見ながらアリサからの連絡を待つだけである。
正午のチャイムが呼びかける少し前に、アリサからのメールが届く。
「あとちょっとで駅に着く。お迎えよろしく。」
近いとはいえ、まだ一度しか来たことのない部屋までの道のり。迷子になられては困るので、そそくさとお迎えに行く。その前に、「了解」とだけ返信をして。
改札口から出てくるアリサの笑顔は思ったよりも元気そうだった。
「おはよう。会いたかった?」
「もちろんだよ。ボクの首がキリンよりも長くなってるのわからない?」
「うふふ。それよりも鼻の下が長いのが気にかかるわ。」
なんてジョークを交わせる会話が楽しい。随分と接客上手になっている。ここまで色々と揉まれてきたのだろうと思わせる上達ぶりである。
「今日は何時までに帰せばいいの?それとも朝までいられる?」
「まさか。朝まではムリよ。お願いだから夜には帰してね。」
そう言ってボクを見つめ返す。
駅から部屋までわずかな距離だが、手をつないでエスコート。近所の人に見られたら、なんて言おうか考えているが、今のところ誰にも見られていない。
部屋の中に入るなり、ボクは勢いよくアリサを抱きしめた。この感触を待ちわびていたからである。
そして強く唇を求め、腕の半径を縮めていく。
今日もヴァニラの香りがボクを満足させてくれる。
「いきなりだったね、ゴメンよ。でも待ちきれなくて。」
「びっくりしたけど、うれしかったわ。ちょっとドキッとしたかな。」
前回のデートから二週間以上も間隔が開いている。
恋人同士とお互いが認め合ってから、まだ間もないボクたちにとって二週間という間隔は一カ月にも二カ月にも感じられた。
ホントは駅でキスしてもよかったぐらいだが、さすがに公衆の面前では憚れるべきだった。
「まずはもうちょっとゆっくりと匂いを満喫させて。」
そう言ってもう一度抱き寄せた。ヴァニラの芳香は、今日も芳醇だ。
しばらくは静寂の時間を楽しむ。久しぶりの温もりだ。
「会いたかった。二週間は長いね、長すぎる。気が狂いそうだったよ。」
「アリサも会いたかった。仕事が忙しくて気が紛れてたけど。」
ボクたちの唇は、ずっと吐息を交換しながら絡み合う。
そして一息いれるタイミングで、
「遅ればせだけど、クリスマスプレゼント。なかなか渡せなかったけど。」
ボクが用意したのは、貝殻のシルエットになっているイヤリング。
「ありがとうヒロちゃん、想い出の貝殻ね。ヒロちゃんって案外ロマンチストね。」
「高いものじゃないんだ。ボクはそういう装飾品が苦手でね。」
「いいのなんでも。うれしいわ。」
「お昼はもう食べたの?どっか食べに行こうよ。」
「もう少しこうしていさせて。折角久しぶりに会ったんだし、それにプレゼントをもらっていい気分なんだから。」
その言葉を聞いて、ボクの手はアリサの服に手をかける。
「そっちはまだダメよ。もう少し待って。」
ボクは今すぐにでもアリサが欲しかった。
でもこれも乙女心なのか。
残念ながら狼と化しているボクには理解しがたい世界観である。
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