第6話 安全パイ
前回の訪問から二週間後の土曜日の夜。今夜も『ブルーノート』を訪ねていた。
いつもの通り、ミイを指名してシートで待つ。やがてミイがやってくる。
「こんばんはヒロさん。なかなか連絡できなくてごめんなさいね。」
「いいんだよ。本気で連絡が来るなんて思ってなかったから。」
「ミイは本気なのよ。ホントに忙しかっただけなんだから。」
どうやら昼間の仕事が忙しいらしい。研修会や勉強会などエステの世界も技術向上が日進月歩らしく、どんどん新しい手法や技術を取り入れていかないとライバルにどんどん突き放されていくらしい。まあ、そういった話はどこの世界でも同じかもしれないけれど。
「で、研修会はどうだったの。勉強になったの?」
「やっぱりちゃんと勉強しておかないとダメねと思った。ヒロさんもちゃんと勉強しておかないとライバルにおいて行かれるわよ。」
確かにその通りかもしれない。
「でもねミイちゃん、ボクのキャバ遊びは月に二回程度だよ。これを一般的には息抜きっていうの知ってる?」
「そういう事を言ってるんじゃないの。ここはたまに来てくれればミイがちゃんと癒してあげるから。」
もちろん、癒されるために来ているのだから彼女には頑張ってもらうことにしよう。
「さて、デートの話が本気だったとして、ボクもちゃんと焼肉の店はリサーチしてあるんだけど、後はキミ次第なんだよ。」
「もうね、ミイの気持ちの中では絶対に連れてってもらうって決まってるんだ。ヒロさん、タンマリごちそうしてもらうわよ。覚悟しておいてね。」
「ミイにごちそうするぐらい訳ないよ。コーベがいい?マツサカがいい?今のおすすめはカゴシマらしいよ。楽しみだなあ、食後のデザートも。」
ボクがニンマリしてみせると、ミイも微笑んでボクにこう言ってみせる。
「どこまでヒロさんが安全パイなのかちゃんと確認させてもらうわ。ミイは別にいいって言ってるのよ。でもきっとヒロさん、きっと安全パイで終わるわよ。ミイの目に狂いがないってことを証明してあげる。」
「どっちみち、お客さんと店外デートするとお店に怒られるぞ。」
「言わなきゃいいんでしょ。いちいちミイがヒロさんとデートすることをお店に報告する義務はないわ。お店に報告するのはミイが嫌がってるお客さんから無理やり誘われたときだけよ。ヒロさんは嫌じゃないもの。」
「あくまでもボクを安全パイ扱いにするつもりだな。あとで後悔しても知らないぞ。もうボクはキミの洞窟探検までした男なんだから、二人きりになってエッチな衝動を抑えられる自信はないよ。」
実際ボクには自信がないと断言できる。それどころか、焼肉店の近くのホテルまでちゃんと調べてあるのだから。さすがにそこまでミイに教える必要がないので、まだこのことは秘密裡の調査結果だが。
例え調べてあるとはいえ、もしもそんなことがよしんばあったならの話。もちろんミイの本気なんてまるであてにしていないし、そんなことはないと思っている。
「とりあえず今日は癒されに来たわけだから、よろしくね。」
そういってミイを引き寄せ、彼女の匂いをいつものように首筋から胸元にかけて堪能していく。今日もヴァニラの香りがボクを異次元の世界へ誘ってくれる。
一通りミイの不思議な香りを堪能した後、彼女の周囲を巡っている環境の調査を始める。「ミイの出身はどこだっけ。プロフィールには香川県としか書いてなかったけど、高校まで香川にいたの?」
「そうよ、丸亀の出身よ。有名なところでいうと金比羅さんに割りと近いかな。」
「残念ながらボクは香川県には詳しくないよ。昔の仕事で坂出市に行ったぐらいかな。あんまり何もない田舎だよね。」
ちょっと意地悪っぽく言ってみた。
「そうよ、東京や大阪と比べたら何にもない田舎ね。でもミイはそんなに都会に憧れているわけじゃないよ。地元には地元の良いところがきっとあるしね。」
なかなかいいことを言う。
「ボクも両親が北陸生まれだから、元来は田舎者だよ。どうかな、いつか田舎の方に旅行に行かないか、一緒に。」
「それって、焼肉のあと?」
ミイはニヤニヤしながらボクに尋ねる。なかなか鋭い。
「もちろん、焼肉の後だよ。そうじゃなきゃ一緒になんて行けないよね。」
「なんかどんどん大胆になってきてない?それとも大ウソなの?」
ボクとしてはホントだろうがウソだろうがどっちでもよかったのだが、
「ま、焼肉を食べながら考えようよ。」
と言って、まずは焼肉の約束を取り付けようとする。
「ヒロさんって、つかみどころないのね。だから奥さん逃げちゃうのよ。」
痛いところを突かれた。確かに妻にはボクのいい加減なところに愛想をつかされたと言っても過言ではないので、ミイの見解はおおよそ合っている。
しかし、ミイに会ってから、ボクのいい加減なところや面倒臭がりの部分が少しずつ改善されているような気がする。そう思うと、ボクとミイの相性の良さだろうかなどと勝手に思い込むのである。
「でもね、確かにボクはいい加減で適当かもしれないけど、ミイについては適当に扱ったりしてないつもりだよ。特に・・・・・」
と言いながらミイを抱き寄せる。
「今までとは違う雰囲気なんだキミは。ミイがそうボクに思わせているだけなのかもしれないけれど、今までのキャバの女の子とはキミはかなり雰囲気が違う。だからボクも少なからず何か変わってきてるのかもしれない。」
「ミイがヒロさんを変えてるってこと?」
「そうだよ、きっと。だからボクはミイに焼肉ぐらいご馳走しなきゃいけないのかもね。」
「うふふ。焼肉だけだよ。そこから先はナシよ。」
「なあんだ、やっぱり覚悟なんかできてないんじゃないか。こいつめ。」
と言い放ち、ボクはミイの唇を奪い、そして首筋のヴァニラの香りを堪能する。やがて二人だけの時間を切り裂くように場内アナウンスが流れる。
=ミイさん七番テーブルへごあいさつ=
「ちょっと行って来るね。」と言い残してシートを去るミイ。
代わりにやってきたヘルプの嬢は、ミイよりも少しおねいさんのヒロミさん。メグが店を辞めたとき、色々と慰めてくれた人である。
「どう、そろそろ新しい恋で遊べてる?」
「そうですね。ミイちゃんがいい具合に遊んでくれているので、何とか癒されてます。ところで、やっぱりその後、メグがどうしているかわかりませんか。」
こんな会話の最中も、彼女がボクの膝の上に乗っていることは言うまでもない。
「なんだかんだでご執心ね。もういいじゃない、新しい恋で遊べてるなら。それとも、まだご執心なこと、ミイちゃんにバラしてやろうか。だいたいなんで新しい恋がワタシじゃなくてミイちゃんなの?」
「意地悪だなあヒロミさんは。ボクはおっぱい大好き星人なんだ。ヒロミさんのおっぱいはボクには少し可愛すぎるんですよ。」
「じゃあ、今度ミイちゃんに振られるときまでにおっぱい大きくしておこうかな。」
「その時はお世話になります。」
明るいヒロミさんはボクがメグに執心だった頃から、ボクとはウマがあっていた。だから何でも聞けたし何でも相談できた。今でも、ちゃんとボクを見守ってくれている。もしも彼女のおっぱいがそれなりに大きかったら、ホントに癒されに行ったかもしれない。おねいさんとはいえ、干支で言うとボクよりも一回り以上も年下なのだから。
「ところで、いつも気になってるんですが、肩にあるタトゥーは誰のための操ですか?」
「へっへー、これはね子供の名前を彫ってあるの。今は子供が一番。男なんてもうこりごりよ。」
どうりで彼女は土日が休みなわけだ。子供の学校が休みのときぐらい家で一緒にいないとね。こういう好い人なんですよ彼女は。
そうこうしているうちに場内アナウンス。
=ミイさん一番テーブルへバック=
ボクのところへ戻ってくるというわけだ。
「ミイちゃん戻ってくるからね。せいぜい新しい恋を楽しみなさい。」
そういってヒロミさんは次のテーブルへと去っていった。
やがてミイが帰ってくる。
「おまたせー。フリーのお客さんだから早かったでしょ。」
「いいや、カレーが煮込めるぐらい長かったよ。さっそくキミの匂いを確認させてちょーだい。もしかしたらミイのお面を被った別人かもしれないからね。」
そういってボクはいつものようにミイの首筋にくらいつく。いつものようにヴァニラの香りがボクの鼻腔から脳へ抜ける。この香りの秘密はなんだろう。
そしていつものように彼女の体をくまなく弄び、若い肉体を堪能する。
しかし、この店ではここまでで、あとはおあずけである。そして今日のプレイタイムはそろそろ幕が下りる。時間が立て込んできて飲み会から流れてくるフリーの客がバンバン入ってくる時間帯へと突入するのである。そんなとき、何分の一かは確実にミイとの時間を削られていくので、ボクはこのあたりが潮時として引き上げるのがいつものことであった。
「さて、そろそろボクの時間帯はおしまいだね。またいつ来るかわからないメールを待ちながら過ごすことにするよ。」
「もしかしたら連絡するかもよ。」
「だめだよ、お客さんにホイホイついて行っちゃ。いつも言ってるでしょ。」
「うふふ。うん、わかってる。ホイホイはついて行かない。こう見えても身持ちは堅いのよ。でもヒロさんは安全パイでしょ。」
今日もこの会話で終われることが楽しい。でもいつかは本気で彼女のことを誘いたいと思い始めている。今日もヴァニラの香りを堪能できた。優しい風が吹く夜だった。
本格的な夏を前にボクの仕事は明らかに忙しくなった。東京、神戸、名古屋、福岡へと色々な場所へ奔走した。夜の接待がないわけじゃなかったが、基本的にボクは堅物の部類で通っているので、あまり下品な場所へのお誘いはない。どちらかと言うと食い倒れの方が得意である。
地方へ行くと、その地方の名物と呼ばれるものを必ず食べに出かける。面倒臭がりなので前もってキチンと調べ上げてから行くなどということはあまりない。大体のことを少し調べたり、誰かから聞いたことがある情報だけを頼りに、結構行き当たりばったりのグルメ旅をするのが楽しい。
先日の福岡出張などでは、三日間一度もとんこつラーメンを食べないと宣言し、代わりにうどんばかりを食べていた。そんな場合もあったりするのである。
明日から三日間の行き先は神戸だ。せいぜい中華街で食べ歩きでもするか。なんてお気楽なことを考えていた。おかげでここ何日かは『ブルーノート』のことなど忘れた日々を過ごしていた。
そんなある日、ボクのケータイにメールを着信するメロディが流れた。
♪ピロピロピロ~
そのメールはミイからだった。
「おっ、焼肉のお誘いかな。」
さっそくメールを開いてみた。
「最近来てくれないですね。まだ焼肉のお店を探してるんですか。今週は勉強会があるので、シフトがイレギュラーになります。時間があったら会いたいです。」
んんん、もっともらしい営業のメールだ。彼女もなかなかキャバ嬢が板についてきたな。確かに先日の訪問から三週間ばかりが経過していた。なかなか家に帰れない時期だったので、当然『ブルーノート』にも行けない。
「今は忙しい時期に入っちゃった。でもそろそろいくと思うからよろしくね。」
とだけ返信しておいた。今週末ぐらいには時間が作れるはずだ。久しぶりに彼女の香りを堪能しに行くのも悪くない。そんな気になっている。
果たしてその週の金曜日、久しぶりに帰宅できた。しかも太陽がまだ明るいうちにである。今のうちに仮眠しておこう。夕方には出かけられるだろう。そう思ってウトウトと昼寝の態勢に入る。
目が覚めたのは十七時の少し手前。いい時間帯だ。いつものようにシャワーを浴びて髭をあたる。コロンはつけない。髪も短くカットしているので、さほど手入れは要らない。
余談ではあるが、ボクの髪はさほど薄くない。それよりも白い髪が所々に発生している。よく言えばロマンスグレーなおじ様に見えなくはない。しかし、自らをナイスミドルなどと思ったことは一度もなく、鏡を見るたびに冴えないおじさんだなと思うのが今の正直なところである。
朝の身だしなみを整えて、モーニング代わりに近所のたこ焼き屋で一船だけをビールと一緒に平らげると、ボクの準備は万端になる。後は電車に揺られて『ブルーノート』の最寄り駅で降りるだけである。駅のトイレで口臭予防液チェックを忘れはしない。これは嗜みであると心得ている。
やがていつものように『ブルーノート』のトビラをあけて、黒服ボーイのおにいさんに指名を尋ねられるのである。「今日のご指名は。」
もちろん、「ミイちゃんいますか。」と答える。
事前に出勤日であることは確認してあるものの、もしやと言うこともあるかもしれない。ここは慎重に。
そしていつものフロアに入りいつものシートに鎮座する。言い忘れていたが、受付時に飲み物を注文するシステムになっているが、ビールにしたりウーロン茶にしたり、その日の気分によって変えているが、この日はたこ焼き屋で軽く飲んできたので、ここではウーロン茶ですっきりすることにした。
やがてミイが現れる。
「いらっしゃ~イ。久しぶりね。」
「そう、頻繁にお目見えできるほどまだ偉くなってないのさ。たまに顔を拝めれば御の字ですよ。」
と冗談を言ってみる。
「久しぶりに見るとちょっと女っぷりが上がったんじゃない。今日はいつもよりかなり色っぽいけど、彼氏でもできた?」
「そんなわけな~い。ヒロさんが彼女にしてくれるんじゃなかったっけ?」
返しが上手になっている。さすがにニューフェイスの頃からは、もうかれこれ三ヶ月も経とうとしている。普段から多くの客と接しているのだろうから、会話がうまくなって当たり前。元々(今もそうかもしれないが)彼女もエステという職業の中で接客していたわけだから、会話のやり取りのコツはわかっているようだ。
「ところで、最近はいいお客さんがついたりした?」
「ヒロさんよりいいお客さんなんていないわよ。」
「ボクなんてまだ数回しかキミに会ってないんだよ。いい客かどうかなんてまだわからないじゃない。」
「ミイは人を見る目に自信があるの。その人柄を見ればすぐわかるわよ。」
ミイの目はいつもキラキラしている。彼女のとても澄んだ目が好きだ。お店のプロフィールにも「目力のある子」として紹介されていたのを思い出す。
「それにいつもガッツリとお金使ってないし。キミの懐にもまだ全然影響してないんじゃない。」
「そりゃね、たくさん使ってくれたらお客さんとしてはありがたいかもしれないけど、ミイにとっていいお客さんってそれだけじゃないよ。いやなお客さんでも我慢するときもあるし、ヒロさんみたいないいお客さんだったら来てくれるだけで嬉しいし。」
なんとも嬉しいことを言ってくれる。どこで習ったのか知らないが、メグも似たようなことを言ってたっけ。
ウソかホントかは別として、そういわれて嬉しくない男はいないだろう。自然と顔が緩むのは仕方がない。
「だったらさ、焼肉ぐらい一緒に行ってもいいんじゃない?」
「安全パイなんでしょ。だったらいつでも連絡するわよ。」
「とうとうボクを安全パイって決め付けちゃったな。ぜいぜいそう思っていてくれればいいよ。ボクはよだれを垂らしながらキミが肉を食ってる姿を見てるようにするから。それよりも今日は抱かせてもらえないの?」
「そんなことないよ。ヒロさん大好きよ。」
と言っていつものスタイルでボクの首に腕を回す。ボクはそのままミイの唇を奪いにいく。さらに当然のように首筋を攻めるようにしてヴァニラの香りを調達しに行く。いつもどおりの神秘な香りだ。
「ところで、今度の休みはいつ?もちろん、本業の方だけど。」
「そうねえ、来週の水曜日ぐらいかな。」
「あのねえ、そういうことをお客さんに教えちゃいけないって言われなかった?ダメだよ簡単に教えたりしちゃ。」
「ヒロさんだから教えるのよ。焼肉食べに連れてってくれるんでしょ。」
「よし、じゃあそこまでボクを安全パイ扱いするなら、今度の水曜日のランチを約束しよう。K電車のT駅中央改札正午に待ち合わせ。これでいいかい?」
「いいわよ、ミイ五人前ぐらい食べちゃうよ。お財布、覚悟しといてね。」
「ミイもちゃんと勝負用のパンツをはいてくるんだよ。マッキードッグのやつとか。うまのポーさんのやつとかね。」
「そんなの持ってないし。」
勢いあまって約束してみたものの、ホントにいいのだろうか。ボクとしては楽しい来週が待ち遠しくなっていいのだけど。
「じゃあ今日は、来週に備えて予行演習でもしておこうかな。こっちへおいで。」
と言ってミイの腰を抱き、まずは唇を陵辱する。そしてフリーな手はミイの小さなビキニの内側へ侵入し、硬く張りのある肌を攻め立てる。やがて胸の隆起物を丹念に味わうと、その頂点へのくちづけを求めた。
ミイもボクの要求を無条件で応えてくれる。少し薄目を開いたままやわらかい吐息をボクに向けてくれる。かすかに漏れ聞こえる声はボクの挨拶に答えてくれている声だ。少しの間ボクはミイの瞳を見つめる。いつ見ても惚れ惚れするような綺麗で澄んだ瞳だ。
「今日はミイの秘密の場所も予行演習しておくよ。」
ミイは無言でうなずく。
ボクの手はすぐに秘部へは行かない。背中、腰、腿、そして胸も多くの挨拶をまんべんなく済ませた後に、ようやく小さなネットを掻い潜りさらに奥にある繁みに辿り着く。入り口の石碑に充分な挨拶を施したあと、吐息を確認するために唇とその奥に住む女神への挨拶を要求する。ミイの女神は優しくボクに微笑みかけてくれる。
「優しくしてね。」
それはミイが嘆願する精一杯の、そして最高の答えなのだ。
やがてボクの手はミイの秘密の場所に辿り着き、しっとりと濡れている壁を確認する。今日は一段とやわらかだ。少し指を入れると、ミイの体は素直に反応してくれる。少しずつ、そして少しずつ奥へ、そしてさらに奥へと進む。内部の壁のやわらかさと深さと高さ、それぞれを下見するようにゆっくりと動かしていく。
今日はこの洞窟をくまなく探検することが目的ではない。ミイの反応が見たかっただけである。少しばかりの探検を済ませると、ボクの手は抗うことなく洞窟から撤退する。
「大丈夫だった?無理したつもりはなかったけど。」
「優しいのね。他のお客さんはもっと乱暴よ。だから時々怖くなることがあるの。」
「そうね、乱暴な客もいるだろうね。とある嬢なんかから聞いたんだけど、ホントに乱暴すぎて痛くなったときもあったらしいよ。そんな乱暴な客は拒否してもいいんだからね。ボクは単に今度のときの下見をしただけだから。本番のときはもうちょっと乱暴になるかもしれないよ。」
「うふふ。大丈夫よ。ヒロさんきっと安全パイなんだから。信じてるわ。」
いつから、どのタイミングからボクが安全パイになったのかわからないけど、ボク自身は安全パイでいられる自信はない。だってすでに焼肉屋の近くのホテルまでリサーチしているのだから。「まあ、いいか。」と心の中でつぶやく。
楽しい今夜の時間はそろそろお開きを迎えることとなりそうだ。場内コールもミイに延長の催促を要求するアナウンスが流れる。
「今夜も2セットで帰るよ。大抵は3セット目からは邪魔が入るのが定石だからね。」
そろそろ飲み会上がりのフリーの客が入ってくる時間帯へ突入する。その前に撤退するのがボクの通い方。
「じゃ、今度の水曜日。緊急で連絡する場合は電話してね。名刺にケータイの番号書いてあったでしょ。」
「うん、わかった。じゃ、水曜日。楽しみにしてるわ。」
そういって今日もヴァニラの香り漂う抱擁を最後に店を出る。
今夜は月が雲に隠れている。月もミイとおんなじで恥ずかしかったのかな。
嬉しい約束がとれた週末が終わり、楽しみ豊富な次の週が始まる。ボクはサラリーマンではないので特に大きな約束がなければ時間の都合はつけやすい。約束は水曜日の昼だ。その約束が取れてから水曜日の仕事は極力キャンセルするスケジュールを組んでいく。まあ、元々たいした仕事の予定もない。忙しいピークは先週で終わっている。
面倒臭がりのボクがもう一度焼き肉屋を検索する。ホントに来るかどうかは微妙な気もするので、予約することは避けよう。一見で入れる普通の焼肉屋で尚且つ評判のよい店。ある程度仕事仲間から候補を聞いている。もちろん、誰と行くかまでは話していないが。
ワクワクする月曜日と火曜日が普段よりも一段と長く感じた。遠足を心待ちにしている小学生のようだ。
そして待ちに待った水曜日。朝からシャワーを浴びて髭をあたる。コロンはつけない。ラフなシャツを羽織る。靴はスニーカーでいい。特に洒落た服なんて元から持ち合わせていない。ボクは昔からデートで着飾ったことなんかないのだ。
焼肉屋は店の名前だけ覚えておく。駅から割りと近い場所だ。あとはレディを待たせないように、早めに部屋を出るだけである。
午前十一時、約束の時間は正午だが、十五分ぐらいは待つつもりで最寄の駅に向かう。電車に揺られながら、今日の予定をおさらいしておく。肉はたらふく食べてもらえばいい。彼女も大人だから酒も飲むのだろう。ビールになるのかワインになるのか、それは彼女のお好み次第だ。話題は田舎への小旅行の話にしようか。
幸いにして今夜は『ブルーノート』も彼女にとっては公休日。いずれにせよ楽しい時間が過ごせそうだ。
約束のT駅に着いたのが十一時四十分。ミイはまだ来ていない。メールの着信がないか確認する。ドタキャンだって覚悟はしている。ボクはタバコを吸わないので、待っている最中が手持ち無沙汰だ。ただ立っているしかない。しかし、思っていた以上に待ち時間は短くてすんだ。
正午に針がかかる十分前、ミイが約束の場所にやってきた。
「おまたせ。随分待った?」
「そんなことないよ。それにボクは待つのは得意だから。」
今日のミイは洒落たボロシャツにジーパン。格好いいスタイルだ。ジーパンを履いてきたということは、一応ボクのことを警戒していると言うことかな。やっぱりスカートよりは脱がせにくいからね。
「お腹はすいてるかな。たらふく食べてもらおうと思ってデカ盛りの店も用意したけど、どうする?」
「お腹はすいてるけど、普通の店のほうがいい。ミイは大食いじゃないのよ。」
「そうと決まれば、お店はこのすぐそばだ。さあ、腕を組んでいこう。」
「うふふ、恋人同士みたいね。」
「いいや、普通に見れば親子にしか見えないよ。お父さんと腕を組んで歩くなんて、モノ好きな娘さんだなってみんな見てるよ。」
「今日は父の日だったっけ?」
「冗談でしょ?ボクは恋人同士のつもりだよ。楽しい一日を過ごそうね。」
「イエス、アイムハングリー!」
予定していた店は待ち合わせの場所から徒歩三分。予約はしていなかったが平日の昼間である。普通の焼肉店なのでランチの客も割と少ない。二階の冷房の効いた座敷に通されて一息ついた。
「いい感じのお店ね。いつもこんなところへ女の子を連れ込んでるの?」
「人聞きの悪いことを言うもんじゃない。ボクはいつでもジェントルマンだよ。こんな野暮な場所で襲ったりしないさ。」
「じゃ、この場所では安心なのね。」
やっぱり警戒していることには違いない。これぐらいの警戒心はあって当たり前、なくては困る。普通の女の子なんだから。
「さて、何を注文しようかな。何が食べたい?」
「やっぱりタンからスタートするのが定番じゃない?ミイ、タン大好きよ。」
「じゃ、それとヒレとホルモンのセット、それとビールかな?それともワイン?」
「ビールでいいわよ。ビール大好き。毎日でも飲みたい。」
ミイがビール党だとは知らなかった。
「じゃ、今日は飲み放題コースでいかれますかお嬢さん。」
「そんなにいっぱい飲ませて酔わせようって言う作戦なの?」
「それはキミ次第さ。」
こういう楽しい会話は食事時にはより楽しいエッセンスになるものだ。いつもは一人で食事をすることが多いので、やはり若い女の子との食事は楽しい。楽しいに決まっている。
肉は美味しかった。話も弾んで、いつもの焼肉より数倍も美味しかった。ビールを飲む量は控えた。この後のことも考えてのことだが、元来が酒豪でないボクは楽しい話に乗せられて酒量が進むのを恐れたのである。ミイもかなり控えただろう。ぐでんぐでんになってしまえばまさに襲ってくださいと言わんばかりになってしまうからだ。それにまだ昼である。飲み過ぎるには陽が明るい。
お腹も膨れて、ちょっと酔いの回ったミイは少し饒舌気味か。
「とっても美味しかったわ。やっぱりヒロさんすごいのね。特に最後のお肉は抜群に最高だった。また連れてきてね。それでねヒロさん、この後映画でも見に行かない?その方がデートっぽいし、ちょっと観たい映画があるんだ。連れて行ってくれたりしない?」
「お嬢さんが望まれるなら、どこへでもお供させていただきますよ。その映画ってもしかしてR指定の映画?それなら準備運動としては丁度いいかもね。」
「うふふ。もうエッチなこと考えているの?今日のヒロさんは安全パイなのよ。おかしなこと考えちゃダメよ。それよりも映画。今ね、とっても素敵な恋愛映画があるの。折角だから手をつないで見ましょ。」
なんとも憂鬱なお誘いだ。恋愛映画などこれまでに一度も見たことなどない。若いときも別れた嫁ともそんな経験はしたことなかった。ボクはそういうジャンルの映画は苦手なのである。
「ボクはどっちかと言うとコメディが得意なんだけどな。恋愛モノなんて途中で寝ちゃうかも知れないよ。もしかしてボクが寝てる間に帰るのが目的かな?」
「そういう手もあったわね。でもヒロさんと一緒に見たいの。大丈夫よきっと。絶対に飽きないと思うから。騙されたと思って一緒に見ましょ。」
ここまで勧められたらもう断れない。今日は黙ってお姫様の言うとおりにしておこう。
少し張ったお腹をかかえて、二人は店を出る。二人して焼肉の匂いをぷんぷんさせながら。
さては映画館探しだ。と言うよりは、ミイも付近の映画館をすでにリサーチしていた。
「あそこの角を曲がったところに映画館があるわよ。」
「まさかそこの角を曲がった途端に怖いお兄さんが出てくるとかじゃないよね。」
「あはははは、出てきたらどうする?」
「逃げるに決まってるじゃないか。可愛いお嬢さんを手篭めにしようとしているおじさんなんだから。元から後ろめたい気持ちがあるのに、堂々としてられるほど度胸があるわけじゃないよ。」
「大丈夫よ。ちゃんと映画館だから。」
確かに角を曲がると映画館があった。割と新しい映画館だ。映画なんて見るのは何年ぶりだろう。次男が中学生になったとき、ボクの好きな作家の作品が映画化されたものを一緒に見に行ったのが最後だ。もう七~八年ぐらい前のことだろうか。
「この映画よ。」
建物にこれ見よがしに大きな看板で宣伝していた。
タイトルは、『やんちゃな乙女と高貴な野獣』
興味はないが聞いたことはあるタイトルだ。しかもボクにあてつけかと思わせるタイトルでもある。しかし、ここまで来てはもう後戻りはできない。チケット売場で、「大人二枚」をオーダーして中に入る。
久しぶりの映画館だ。それなりに楽しむこととしよう。
最近の映画館は完全入れ替え制で全席指定だ。少し後ろのほうだったが、中央よりのシートを確保できた。ミイと並んで座れば間違いなく親子にしか見えない。
ボクは年齢の割には比較的若く見られることが多い。それでもまさか三十代に見られることはなくなった。ミイがそれなりに背伸びして大人びて見えたとしても、まさか三十代に見られることはあるまい。つまり、ボクたちは年の離れたカップルに見えるか親子に見えるか、微妙な関係なのである。
映画の内容は確かにラブロマンスだった。ところどころミイが小声で話しかけてきてくれたおかげで、約二時間もの暗闇の中、熟睡せずに済んだ。通常なら満腹中枢が睡眠中枢を刺激して確実に居眠りする環境である。
ときおり囁くように耳元で話すときに、ミイの襟元から漂うヴァニラの香りがボクを奮い立たせていた。じっと手を握っていてくれたのもかなり貢献度が高い。
それでいて話の内容はあまり覚えていない。
ボクとしては割りと草臥れる映画だったが、一息入れるには丁度良かったかもしれない。
「さて、この後はどうしましょうかお嬢さん。そろそろボクがデザートをいただける頃合だと思うんですがね。」
ちょっと意地悪気味に目線を送る。
「ヒロさんゴメンネ。覚悟はしてきたつもりだったんだけど、急にアレが始まっちゃったの。わかる?」
ああわかっているとも。いわゆる女の事情って言うやつだな。
ウソかホントかは別として、ミイがそういうのだから仕方がない。元々絶対に今日彼女を抱けるとは思ってもいなかったし、彼女の意に沿わないなら、潔く諦めるしかないよね。
「それじゃ仕方ないね。楽しみにしてたのに。でも楽しみは後にとっておくということにしておこう。」
「うふふ、やっぱりヒロさんはジェントルマンなのね。だから安全パイだって言ったでしょ。」
「そんなこと言うと無理やり連れて行くぞ。」
「きゃっ。」
逃げるそぶりを見せるミイの腕を掴み、ボクの手元へ引き寄せる。ミイの澄んだ瞳は今日も美しく輝いている。
「今日は帰るよ。また今度ね。」
「ちょっと待ってね。」
そういってスマホを取り出すミイ。
「初デート。ちゃんと記念写真を撮っとかないとね。」
映画館の前に二人並んで自画像を撮る。今の子たちのお決まりのルーチンなのだろう。
「じゃあまた、お店で待ってるわ。」
記念すべき第一回目のミイとの楽しい食事会はこうして終了した。お楽しみを後日に残したままで。
八月を目前にしてボクの仕事は思いのほか順調だった。ちょっとデカイ仕事だったので、拘束される日数は多かったが、その分多目のギャラも入った。
仕事から解放された七月末の週末。気分は良かった。そんなときはいつものようにいつもの遊びを興じることにしよう。
その日は暑い土曜日だった。エアコンをガンガンかけて部屋を冷やす。さほど暑がりでもないボクだが、さすがに陽が昇り始めるとエアコンなしでは過ごせない。浴びるシャワーもほとんど水みたいな温度だ。
それでも一様に髭を当たり、近所のたこ焼き屋でコキコキのビールと焼きたてのたこ焼きを一船。昼間っから贅沢な納涼タイムだ。
夕方になると、ボクの行動は一変する。少し洒落たシャツに着替え、靴を履き、電車に乗り込む。やがて見えてくる看板は『ブルーノート』。読者諸君にすれば「またか、おっさんも好きだね」なんて言いたそうな流れかも。
いつものお兄さんに会うのも久しぶりだ。
「いらっしゃいませ。ご指名はどなたにされますか。」
「ミイさんをお願いします。」
この物語が終わるまでにこのやり取りを何回記載することになるだろう。興味のある人は数えてみてね。
そしていつものようにミイが現れた。
「いらっしゃいヒロさん。とーっても久しぶりだったじゃない。あのこと怒ってたの?」
「ん?何のこと?」
「焼肉の後、お付き合いできなかったこと。ホントにあのときはダメだったのよ。」
「なあんだそんなことか。別に怒ってなんかないよ。だってボクは安全パイなんだろ?それよりも他の人について行ったりしてないか?他の人は全然安全パイじゃないからさ。」
「もちろん、ホントの安全パイの人にしかついて行かないわ。ヒロさんだけよ。」
「じゃ、ボクを安全パイから危険パイにするための匂いを嗅がせてね。」
そういってミイを抱き寄せる。いつものように首筋から胸元へ。今日もヴァニラの香りがボクの鼻腔を潜り抜ける。
「次に会った時は逃がさないからな。ちゃんと覚悟しておいてね。」
「ヒロさんが優しいのわかっちゃったからなあ。今度は美味しいお魚が食べたいわ。丁度来週の土曜日は、本業のお仕事もお休みよ。」
「あんまり食べ過ぎるとこのあたりがフグになっちゃうぞ。」
と言ってお腹周りをなでる。今のところそんなに太った感じではない。張りのある肌がボクの指を弾き返してくれる。
ボクの手はそのまま衣装の中を潜り抜け、胸の膨らみまで到達する。やがてそこには石碑があり、二本の指で挨拶をする。
「うふふ、ヒロさんはやっぱりおっぱい大好き星人なのね。おっぱいだったら誰のでもいいの?」
「焼肉の後のデザートを食べさせてくれるなら誰でもいいさ。今度はミイもデザートを食べさせてくれるんだろ?だから今ボクはミイにご執心なのさ。」
ミイはなぜか急に少し怪訝な顔そしてボクを見つめる。
「ねえ、ミイはヒロさんから見てどんな風に見えてるの?」
「ん?どんな風にって?そこ等辺のどこにでもいる普通の女の子に見えるよ。キャバ嬢に見えないっていう意味でね。」
「そう、それなら良かった。ミイは普通にしかなれないから。」
「ボクは普通の女の子が好きなんだ。メグもそうだった。だから逆にこの店のナンバーワンのジュンさんや細くて可愛いプリンさんなんかはボクの好みじゃないんだよ。」
「そうねえ、じゃあマリさんはどんな感じ?」
「彼女は猫だね。月夜の下のヴェランダでただじっとたたずんでいる。人のいうことは聞かない、興味を示したときだけ寄って来る。そんな猫のような感じ。」
「そうかも、ヒロさんの人を分析する能力すごいね。」
「分析じゃなくて観察だよ。マリちゃんあんまりおしゃべりじゃないからね、会話をするのは大変だよ。」
「どっちにしたって凄いよ。」
「一応これでもフリーライターでモノを書いている仕事だよ。ある程度表現できなきゃおまんま食いはぐれちゃうじゃない。」
「えー、そうだったの知らなかった。」
「えっ?名刺を渡したよね。そこに書いてなかったっけ?」
「そんなところ見てないもん。電話番号とメールアドレスしか興味なかったし。」
今どきの女の子は大抵そうなのかもしれない。比べて言うわけじゃないけれど、メグは違っていた。ちゃんとボクの仕事のことにも関心を持ってくれたし、ボクの趣味にも関心を持ってくれていた。
「マリちゃん、控え室でテレビを見てるときなんか結構キャッキャッて笑ってるんだけどなあ。でもあんまり話はしないかなあ。そうか、ミイがあんまり誰とも話をしてないかも。」
「ちゃんと色んな人とお話しておいた方がいいよ。特にヒロミさんなんかとはね。頼りになるしすごくいい人だよ彼女は。」
別にヒロミさんの宣伝をするわけではないが、世話になったのは事実である。そのうちミイのことでも世話になるかもしれないので、彼女と仲良くなってもらっていた方がいいかもと思った。
「ところでミイはどんなスポーツしてたの?」
「バレーボールだよ。高校のときまでね。」
「ボクも中学生のときにやってたよ。結局ネットまで手が届かなくて一年で辞めちゃったけどね。でも他の人よりは詳しいと思うよ。」
「ミイねリベロだったの。あんまりうまくなかったけど。」
「でも最後までやったんだ。えらいね。ボクとは大違いだよ。」
少しでも、少しずつでも共通点を導き出していこう。そうすることで、ミイももっとボクのことに興味を持ってくれるかもしれないし。
やがて場内コールがかかる。
=ミイさん、6番テーブルへごあいさつ。=
代わりにやってきたヘルプのおねいさんは、珍しくプリンさんだった。
「久しぶりですね。元気でしたか。ボクのこと覚えてます?」
「覚えてるよ、メグちゃんのお客さんだった人でしょ。メグちゃんが辞めてから私も淋しくなっちゃってね。彼女元気だったから、そこにいるだけで随分と癒されてた。メグちゃんが辞めるんだったら私もやめようかなと思ったぐらい。でも私が辞めて悲しむ人がいるって思うと、やっぱり頑張ろうと思うんだ。」
なんていい話なんだろう。そして一緒に働いている仲間たちへも元気を与えていたメグ。ボクはまたメグのことを思い出して少しブルーな気分になってしまった。
プリンさんのヘルプタイムが終了し、ミイが戻ってくる。さっきの話はボクの中だけに留めておこう。この話は今のミイにする話ではなさそうだ。いずれ話すタイミングが来るかもしれない。そのときまでは・・・。
「ただいまあ~。フリーのお客さんだから短かったでしょ。」
このあたりはちゃんと気遣いができるようになってきた。
「ミイも随分と上手になってきたね。」
「何の話?」
成長していないのはボクだけなのか、時間が進んでいないのはボクだけなのかと思ってしまった。
昔からそうだ。ボクは十五歳を最後に精神的な成長は止まっていると自覚している。あのときがボクのピークだった。それ以降は学校の勉強以外には特に新しく覚えた知識や見解もなく、ただあの頃の感覚が最も正しいものだと思って生きてきた。
ここに来て、彼女たちの話を聞いていると、ボクがいかに子供じみているのかを認識させられる。そんな出来事が多い。
体を張って、時折りいるであろうイヤな客にも愛想を振る舞い、たまに訪れるマシな客でちょっと楽をする。自分で自分をコントロールできない嬢は精神が病む。そんな中で彼女たちは自分自身と戦っているのだ。そして強く成長しているのだなと思う。
そんな彼女たちのパワーをもらっているのだから、いつか彼女たち皆にお礼を言える機会があればなと思う。いつまでもメグのことを引きずっていてはいけない。
そしてこの決意ともいうべく想いがボクを変えていったのである。
「ねえヒロさん、ライターならミイをモチーフにした物語って書ける?いつまででも待つからそんな物語があったら読んでみたい。ねえ、書けない?」
「そうだなあ、面白いかもしれないね。ミイのおっぱいをクニクニしているところなんかを描写してみても面白い。考えてみるかな。でもそういえば題材としてはマリちゃんも面白そうだな。『月下の気まぐれ子猫』みたいなタイトルで。よし、両方考えてみるか。」
「ホントに?楽しみ。でもエッチなこと書くの?」
「もちろんだよ、ちょっと官能小説っぽくなるほうが面白そうだし、リアルな話にしなければいいでしょ。その代わりマリちゃんのも書くよ。だから、たまにマリちゃんを指名して取材に行くけど、あんまり妬かないでね。」
「んんん、いいけど、やっぱり妬いちゃうかな。」
「ボクだって、ミイが他のお客さんのところへ行ってる時は、すごく妬けてるんだぞ。我慢してるけど。」
「うふふ。うれしい。でもお仕事だからね。」
「わかってるさ。」
これを機会にボクは本編を綴ることとなったのである。
そして、この日も2セットだけをこなしてコールとともに帰り支度。
いつものようにドアのところまでミイがお見送り。いつものようにヴァニラの香りを漂わせながら今日も別れる。
「また来週の土曜日ね。」
「あっ、忘れてた。またね。」
そう言って後ろ髪を引かれながら階段を下りるのである。
今日もかなりの収穫があった。
いろんなことがこの薄暗い部屋の中で体験できる。こんな素晴らしい場所が、こんなアダルトチックに体験できるなんて、今の今まで思いもよらなかった。だから、ボクはこんないいところを誰にも教えたりしない。ケチな男といわれるかもしれないけれど。
やがて八月はやってきた。
今年の夏はいつもより暑いと毎年誰かが言っている。温暖化のおかげで確かに昔と比べると暑くなっているのかもしれない。ボクの部屋でもエアコンのない世界が考えられないほど劣悪な環境だ。夜になってもセミが鳴く。そんなことが子供のころにあっただろうかなどと考えたりする。
さてさて、ミイと約束はしてみたものの、彼女をモチーフにした物語をどうしようと考える。少なくともモチーフにするわけだから全くのフィクションであるはずもなく、ここまでミイと過ごしたエロチックな時間をも描写していくのである。
思えばボクは子供のころからよく本を読んだ。桃太郎や金太郎に始まり、グリムやアンデルセンなども読んだ。映画を見てから原作を読んだものもあった。しかし、最終的にボクを感動させた作家は横溝正史ただ一人だった。彼の作品となっている探偵譚は未だに繰り返し読み続けている。これは明らかに余談ではあるが。
果たしてボクとミイはこれからどうなっていくのだろうか。ボクが主人公として、この物語は一人称のまま進んでいくのである。
先週の別れ際のミイは忘れていたが、ボクがきっちりと覚えていた土曜日は明日に迫る。あれから特に連絡はないが、ミイはまだ覚えているだろうか。一応探しておいた店の近くの駅を目標にして時間指定のメールを送信する。
「明日、正午にR電鉄H駅前集合ね。もしかして約束したの忘れてた?」
しばらくして、ミイから返信がやってきた。
「ヒロさん、メールありがとう。ちゃんと覚えてます。ヒロさんからのメールをずっと首を長くして待ってました。」
なかなかメールの返事の仕方も喜ばせてくれるようになってきた。やっぱり成長してないのはボクだけなのか。
それはさておき、明日の食事会は確定した。また明日が楽しみだ。今日は晩酌をせずに早く寝よう。こんなところもまだ小学生並みの心構えなんだなとほくそ笑むのであった。
しかし、結局は早く眠れなかった。なぜならベッドに入るなり頭の中で物語の構想が浮かんできたからである。「今書き出さなければ明日の朝には忘れてしまう。」そう思ったらすぐにでもパソコンを起動させ、キーボードをバチバチと打ち続ける。
結局寝たのは深夜も丑三つ時を通り越し三時を回った頃だった。構想を練りながら物語を書き綴ることがこんなに楽しいとは思わなかった。
しばらく眠れない夜が続くのかもしれない。
土曜日の朝、いや、かなり遅い朝だ。すでに十時は超えている。時計の針が十時十分を指していた。ちょっと怒り顔に見えるのは気のせいか。
急いでシャワーを浴び、服を整えて部屋を出る。今日の店も予約は取っていないが、二人ぐらいならどうにかなるだろう。
待ち合わせの時間十五分前。なんとか無事に到着した。ミイはまだ来ていない。タバコを吸わないボクは待っている間中、いつも手持ち無沙汰だ。
やがて駅の改札方向からミイが現れる。
「おまたせ。随分待った?」
「いいや、たいして待ってないよ。二時間ぐらいかな。」
「ウソばっかり。」
今日もご機嫌のようだ。
ランチはご希望通り魚がメイン。泳いでいるイカやアジをさばいてくれる、今時の流行の店だ。ミイは四国の出身だから瀬戸内の海産物はよく口にしただろう。
「今日の魚はどう?場所によって食べる魚って違うのかな。ボクは両親が北陸の出身だから、イカとかサバとかが普通の魚だと思ってるんだけど。マグロなんかあんまり食べ慣れてないんだな。」
「ミイもあんまり魚わかんない。でも美味しいよ。」
「香川だとうどんばっかり食べてるんじゃないの?」
「そんなことないの。ミイはラーメンやそばも大好きよ。」
今日の部屋は完全ではないが個室仕様だ。
「それはそうとミイ、そっちに行ってもいい?折角なんだし、並んで食べたいな。」
「えー、エッチなこと考えてる?」
「考えてないといえばウソになる。でも単純に隣同士で食事したいだけだよ。ここ、完全な個室じゃないし。」
と言って上のほうを指差す。ドアは引戸になっており上の方は開いている。つまり中は見えないけれど音は聞こえるという塩梅である。ただし、こっちの音も聞こえてしまうが外からの音も入ってくるので、団体さんが近ければきっとやかましいだろうと思う。幸いにもまだこの日のランチタイムでは騒がしい団体客はいなかったようだ。
「だから、こんなところでエッチなことはできないの。安心した?」
「元から安心してるわよ、安全パイのヒロさん。」
言った途端に一瞬唇を奪う。
ミイは軽く握ったげんこつでボクの頭をコツンとやる仕草。
「もう、ダメよ。」
「わかってるさ、もうしない。さあ、美味しくいただきましょ。仲良くね。」
それでも恋人同士のように、時折りお互いに食べさせあいながら楽しく二度目のランチタイムを過ごした。
軽くお酒も入り、ほんのり気分の二人。店を出て駅の方へ歩き出す。
「今日も映画をご所望ですか?でも、できるだけラブロマンスはご遠慮いただきたいのですが。」
「今日はね、急にシフトが変更になって、『ブルーノート』出勤になったの。だからあんまり無茶はできないのよ。」
「じゃあ、休憩しに行く?静かなところへ。」
「出勤前にシャワー浴びなきゃいけないから、一旦帰らなきゃいけないの。」
「軽く運動もして、ビデオも見てリラックスできてシャワーも浴びられるところを知ってるんだけど、行く?」
「何もしない?」
「公的にはね。」
「やっぱり帰る。」
「ボクじゃ不足かな?子羊さん。ボクは今日も安全パイのフリをしなきゃいけないの?」
「お願い。『ブルーノート』のない日なら・・・・・。」
やっとのどの奥から絞り出したような声でボクに訴えかける。そしていつものように潤んだ目で。
「そんな目をされると、何もできやしないじゃないか。何もとって喰おうって言うわけじゃないのに。」
「でも、その後でお店に行くのは何だか気が引ける。だからお願い。今日は許して。」
「うん、わかった。ミスター安全パイとしては光栄の至りに預からせて戴くことにしましょう。じゃ、駅まで送ってくよ。ってすぐそこか。」
ボクは少なからず残念そうな顔をして、ミイを駅へと送り出す。確かに残念なことには違いないが、ボクは暴漢でもなければ野蛮人でもないつもりなので、一応笑顔でミイを見送る。ため息をつきながら。
こうしてボクの「安全パイ」という称号はまたしても守られてしまったのである。
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