第3話 春の予感
翌週、そしてさらに翌々週と続けて東京への出張があった。一週目はほぼ缶詰状態の中での仕事であり、他の事を考える余地がほとんど与えられず、あまり余力を残さない状態で帰ってきた。
その次の週は木曜日と金曜日であったが、それぞれ別の仕事の打ち合わせであり、この時はそこそこのゆとりがあった。気持ち的にである。
特に木曜日の午後にはかなり余裕ともいえる時間があったので、その時間を利用してミイにメールを送ってみる。
「東京なう。お土産は何がいい?」
ありきたりの送り文だが、初めはこれぐらいでいい。
「ヒロさんが選んでくれるものなら何でも嬉しいけど、今ちょうどココナッツオイルがなくなったところだから、できたらそれがいい。」
ここ数年ぐらい前からココナッツオイルが流行っているのは知っていた。近隣の輸入食品雑貨店でも販売されているのを見たことがある。しかし、東京に来ているのにわざわざココナッツオイルかとも思い、メールを返信する。
「ココナッツオイルで東京土産になるの?」
返ってきた返事が彼女らしい。
「わかんない(笑)」
何とも今時の女の子らしいセリフだ。なんともあっけらかんとしている様はなんとも表現しがたい。今のボクには理解不能かもしれない。しかし、今時の女の子ってみんなこんなんだろうなと思う。
で、一応リクエストされたので探してはみる。百貨店などに行けばあるのだろうが、ボクの関心はもっぱらアンテナショップにあり、ココナッツと聞いたので沖縄県のアンテナショップに足を運ぶ。ところが、案の定そこにはココナッツオイルはなかったのである。
仕方なしに、代わりのモノをチョイスし、それを土産とした。女性モノの装飾品や美容関係は苦手である。我々の年代の多くの男性がそうであるように。
金曜日の夕方、早めに仕事を終えられたので、思ったよりも早めの新幹線で帰ってくる。本当ならせっかく手に入れたお土産をもって、ミイの所へ足を運びたいところだが、この週に限ってミイの出勤体制が変わっていた。
そう、今夜は休みなのである。では翌日はと言うと、そこには出勤予定と出ていた。
ところが都合の悪いことに、翌日にはボクは風邪をこじらせてしまう。さすがにゴホゴホしているおじさんがノコノコと店に行くわけにはいかない。嬢たちの迷惑になるだけだ。下手をすると営業妨害だとも言われかねない。
少なくとも風邪が治るまでは、店に行くことはできなくなった。
翌週、風邪を治したボクは土曜日に出かけることに決めていた。その理由は、メグ通いしていたときにメグと仲の良い嬢と親身になっていたのだが、メグが辞めてからその嬢を訪ねて色々と聞いたりしたものである。それがわずか数週間前の事であり、新しい遊びを思いついたボクとしては、そのことをその嬢に知られるのは少し体裁が悪いからである。
その嬢はヒロミさんと言って、平日は基本的に毎日出勤している。さらに日曜日には同じく仲の良かったマリちゃんがいる。この子に知られるのも同じように少しばかりの罪悪感と体裁の悪さが露呈する。
つまりは秘密裡でミイに会いに行くには土曜日しか逢瀬の合間はないのである。
しかし、そうと決まれば準備は早い。当日は十一時頃に、近所の馴染みの喫茶店で遅めのモーニングと早めのランチを併せたサンドイッチをパクついてはコーヒーをすする。
部屋に戻り、テレビを見ながら一息入れ、お出かけの支度を始める。まずはシャワーで体を清める。男一人だといちいち風呂を沸かすのは面倒だ。よほどのことがない限りシャワーで済ませる。髭をあたり、歯を磨く。コロンはつけない。これがボク流。
東京で買ってきた土産をポケットに忍ばせて、玄関を出たのは十七時三十分。そして十八時きっかりに店の前に到着するのである。
もう何度も足を運んでいるボクは見慣れた黒服ボーイのお兄さんに、ミイの指名を告げてフロアにエスコートされる。
「ヒロさん、久しぶりじゃないですか。」
嫌味にも聞こえないでもないが、風邪をこじらせていたことはメールで連絡済みである。
「キミが頻繁に営業メールを送ってこないからさ。」
と皮肉な文句を返す。親身な仲ではこの程度のやりとりは軽いあいさつになる。
「まさかとは思うけど、淋しかったなんて言わないよね。」
「ううん。ミイとっても淋しかったよ。」
このあたりは営業文句が少し上手になってきたか。
「ボクがいなくても擬装彼氏はたくさんいたでしょ。」
「あのね。ミイはまだメルアドの交換してるのヒロさんだけなんだよ。」
これがウソかホントか。嘘ならば、彼女の嬢としての口上手もかなり上達したと言わざるを得ない。しかし、前回で懲りているボクには通用しないよとタカをくくる。
「なかなかいい感じのセリフを言うようになったね。じゃ、ご褒美をあげよう。」
と言ってポケットに忍ばせておいたお土産を渡す。
手に入れていたブツはパパイヤの石鹸だった。
「ココナッツオイルも一応探しては見たんだけど、ボクの活動範囲の中では売られてなかった。代わりにこの石鹸を買ってきたんだけど、パパイヤなら似てるよね。」
これぐらいはジョークの範疇だから笑って言える。
「ありがとう、ホントに買ってきてくれたのね。ヒロさんが選んでくれたものなら何でも嬉しいって言ったでしょ。」
これで、つかみは完璧。
「先週メールしたよね。風邪をうつしに行ってあげようかって。どうして来てねって言ってくれないの。」
「さすがにそれはないでしょ。風邪うつったらやだもん。」
「うつしてあげたかったんだけどなあ。そしたら看病しに来てって言うでしょ。」
「言わないよ。一人で治す。」
「看病してあげたいってことなんだよ。こうやって。」
と言って体を引き寄せる。そのタイミングでミイもいつものムードに入る。このあたりはちゃんと態勢の入り方を解ってきた。なんの?そう、ボクの芝居がかったタイミングにである。
決して演劇部にいたわけではないが、芝居がかったシチュエーションがボクの好み。普段の日常生活では味わえない雰囲気をここでは堪能できるのである。それが、この店のいいところなのかもしれない。
「ミイちゃんも随分と芝居が上手になってきたね。」
「ヒロさんのおかげです。いろいろ手ほどきしてくれるんでしょ。」
「男心をくすぐる言葉を知ってるね。どこで覚えてきたの?」
行き当たっても潜ってもそれ以上行けない壁が必ずある。ここは触れるだけの店。だからこそ色んなモノに色んなコトに色んな想像に触れていけばよい。
まずはモノに。唇から首筋へ指にそして額。次はコトに。看病のコトから芝居のコトへそしてハートが震えているコトに。最後にそれらをトータルして夢の世界を作り上げ、そのなかで二人は限られた時間を過ごせばよいのである。
二人の想像力がリンクしなければその世界には到達しない。例え、一キャバ譲と一客の間柄でも、二人がシンクロさえすれば、その世界は見えてくるのである。時折り現実とのハザマを振り返りながら。
時間はボクたちを甘い世界の中に長く逗留させてはくれない。現実という雷鳴が二人を裂くのである。
「ミイさん、十五番テーブルへごあいさつ。」
虚ろな目のままでボクの膝から離れようとするミイ。離れ際に言葉を残す。
「続きはあとでね。」・・・・・・・・・・と。
ボクも彼女が席を離れることに少しばかりの後ろ髪が惹かれる思いを残す。
やがて現れたのが、ヘルプの嬢たち。メグが辞めてからミイを入れて都合三名の新人さんが入ったようだ。全ての嬢たちに愛想を振りまけるほど、小遣いが裕福なわけではないので、ここは大人の対応をするのである。
「はじめまして、チヒロです。」
まさに適度なスレンダーで、かなりの美人だ。
「膝の上に乗っていいですか?今日でまだ三日目なんです。」
この店のヘルプの基本姿勢である。
「緊張してるね。もっと緊張してみる?」
脅すつもりは無いが、緊張しなくていい的なつまらない文句を言うよりはこっちの方が印象がいい。彼女も一瞬「えっ。」っと驚いたような表情。こういったつかみは大事である。
「こういうところはおじさんみたいなエッチな馬鹿野郎ばかりだから大変でしょ。」
といいながら、水着の上からバストを触りに行く。
「もうこれぐらいは慣れたかな。」
「はい。」
小さな声で、しかも笑顔で答える。
「でも指名されると、こんなことされるんだよ。」
といいながら水着の中へ手をしのばせる。ミイよりも一回りほど小さなバストはその頂点も少し小さめか。しかし少なからず硬く緊張している。
「大丈夫?」
やってることと言ってることが矛盾するのだが、彼女もどうしていいのかわからない。恐らくはヘルプ先で直接触られることはないと店から聞いているはずだが。
さすがにこれ以上ハードなことは憚れると思い、折角思い切ってこの店に来たのだから、頑張るようにと告げた。今のボクにできることはここまでが手一杯である。
やがてミイが戻ってくる。
「また新しい子が入ったみたいだね。」
「かなり若い子みたいよ。彼女の方がいい?」
「さあね。キミ次第じゃないの。とにかく今はミイのところにいるんだし、ボクにとっちゃキミだって犯罪に近いくらい若いんだよ。」
まだ、店では二回目の逢瀬。まだジェラシーは発生しない。彼女のいいところは、人懐っこいところである。誰にでも分け隔てなく愛嬌を振りまける。だから彼女が場内コールで呼ばれて、ボクのところへ戻ってきた後でも、不思議に彼女にジェラシーを覚えることはなかった。
「ヒロさん、ブログ書いたの見てくれた?」
「見たよ。このあいだなんて三連チャンで書いてたよね。でもね、他のおねいさん方のスペースも考えておいてあげないとダメだよ。あまり睨まれないように、控えめにね。」
「わかった。勉強になるう。」
話す口調は今時の若い女の子口調になるのだが、いざボクの片膝にもたれかかると雰囲気が変わる。このギャップがボクをすこぶるドキドキさせる。
「ミイちゃん、いいよね。」
と言ってボクは控えめに彼女の肌に張り付いている水着の内側へと手をすべり込ませ、彼女の隆起物を堪能する。彼女の隆起物はかなりの弾力性があり、低反発素材並みのさわり心地だ。これは他の嬢ではありえない感触であり、若い体を弄んでる感溢れるかなりマニアックな気分になれる。
ハーフということもあるのか、比較的がっちりした体つきで、隆起物以外の肌も弾力があって頼もしい。この肌を征服してみたいと思う気持ちがボクを若返らせてくれる。
「ダメなときはダメっていうんだよ。」
「ヒロさんならダメなときなんてないよ。でも優しくしてね。」
この瞬間だけは間違いなく彼女とボクは恋人同士である。普通に。そして彼女のぬくもりが心地よい。確実にボクは彼女に癒されていく。
長すぎる逗留は無用である。少しの物足りなさを残しながら終了するのがこの店でのボクの流儀。場内コールがかかり、やがてボクの残された時間がわずかになる。
「次に来るときは、もう少しエッチな遊びを考えておくよ。」
「また来てね。待ってるわ。」
帰る時も笑顔で送り出してくれる。まだ数回ほど店で逢っただけなのに、彼女とは妙に気が合う。そんな感じがしていた。ボクの中に隠れている独占欲が少しうずく。ミイが自分だけのものになればいいのにと。
帰りの電車の中で、コトコトと揺れる吊革にもたれながらそんなことを考えていた。
そんな非現実的なことを。
次に訪問する日を二週間後とおおよそだけの見当をつけて、その日から再び喧騒の日常生活の中を流される。
ときおり何のために仕事をしているのかとか、ホントにこの仕事でいいのかなど、かなり基本的なことを考えることもあるが、今はときどき目の当たりにする非現実的空想世界を楽しむために日々があるのかもと思い始めている。
日常空間の中に生活を戻すと、ミイという存在がだんだん大きくなってくるのがわかる。なぜなら、彼女のようなハーフの女の子が身近にいないからである。それが日に日に自分の中で意識し始めると、ますますあの非現実的空想世界を楽しむ時間が自分にとって有効であることを認識せざるを得なくなるのである。
つまりは、どんどんあの店に、ミイに会いに行くことが楽しみになってきている自分がいるということである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます