第2話 発端のヴァニラ

フリーライターって何してるの?

おおよその人々が不思議がる仕事である。

若い頃に、いわゆる業界のプロダクションで修業したボクは、多くの企業向けの出版物や企画映像の仕事に携わってきた。中にはテレビコマーシャルもいくつか手がけた仕事もあった。

そんなボクのメインの仕事は、同業のプロダクションに雇われてシナリオを描いたり、雑誌編集者にコラム記事を依頼されたり、時にはコピーライターのような仕事もこなした。

つまりサラリーマンとは違って時間に束縛されないが、逆に何日も缶詰め状態になることもあり、不定期な日常を過ごしている一種の自由な職を生業にしていたということである。そんな缶詰な仕事から解放されたときに行くのが、ボクの場合セクキャバだったのである。



桜も散り終わったころの四月初め、ある一つの仕事を終えた。二週間ほど、まさに缶詰め状態にされた仕事だった。

いつも通りなら、メグを相手にまったりするところだが、すでに彼女はお店にいない。さてどうしたものかと考えていた。

「メグの次に仲のいいマリちゃんと遊ぶか。いやいや、今さら指名替えみたいになるのも嫌だな。かと言ってプリンさんはないか。」

などと考えていて、ふとあの頃にいた新人を思い出した。

「そうだ、ミイちゃんという新しい子がいたなあ。彼女なら今までのしがらみもないし、まだ新人だったら、たくさん馴染み客が付いていたりもしないだろう。」

そんな軽い気持ちで、新しい遊びを考えていた。



そう、新しい遊び。

新人で、この世界も初めてだって言っていたし、これは一つボクの手で、ボクの好みの女の子に仕立てることができるだろうかなんてことを考える。本当はそんなことはありえないのだけど。

なぜなら結果的には、日常的に多くの客数をこなす彼女たちは、ボクなんかが想定しているよりも速いスピードで成長していくのだから。それにしても、面倒臭がりなボクにも関わらず珍しいほど心が躍っていた。


そんな心躍るある日の土曜日。

この週はちょうど一昨日、少し手の込んだ仕事を無事に終了した。

仕事連中との打ち上げはその翌日となる昨日の晩に終了し、今朝は昨晩に少し飲み過ぎたと感じている体を休めていた。

そして夜には女の子に癒されに行く。それが今までのボクのパターン。

今日は以前から決めていたミイを指名しよう。

新しい女の子を一から口説くことになるのと同じ。ちょっとドキドキする。


いつもの馴染みの店は自宅マンションから電車で三駅目。電車に揺られて約十分。

いつもの改札を出ると、駅からは徒歩で約五分。見慣れた看板はいつもと同じブルーだ。

でも、ボクの隣を過ぎていく風の色はいつもと違う感じがした。

店の名前は『ブルーノート』。

なんでもジャズ用語らしいが、ジャズに詳しくないボクにはその意味までは興味が無い。

それよりも今日、彼女は店にいるのだろうか。何も下調べしないままに来てしまったことに今更後悔する。

しかし、後悔したところで仕方がない。とりあえずは訪ねてみるか。


『ブルーノート』は駅を降りてメイン通りの一本裏道に入った角のビル。その三階に入口がある。いつも通りの足取りで階段を上る。なるべくエレヴェータは使用しない。ドアが開いた瞬間に知らない客と目線があったことがあり、お互い気まずい雰囲気になったことがあったから。階段なら終始下を向いて歩けるし、多くの客はエレヴェータを使うので、すれ違ったりすることもかなり少ない。

入口に辿り着くと、ドアを開け、いつものように受付で基本料金を支払い、指名嬢をチェックする。

「指名はミイちゃんで。」

「かしこまりました。」

紺地に金ラメの入った制服を着たボーイさんがメモを受け付けに回す。この時点でミイが店にいることがわかる。

やがて、見慣れたピンク色のツーショットシートに案内され、女の子の登場を待つのである。この時間が一番ワクワクする時間かもしれない。

「同じ名前で違う女の子だったらどうしようかな。」

なんておかしな可能性も想像する。

「いらっしゃいませ。初めまして、ですか?」

来た来た。以前に一度会ったきり。彼女は印象深い顔立ちだったのでボクは覚えているが、見てくれ平凡なボクのことなど、彼女は覚えていない。

「以前にね、キミが入って間もないころ、ボクにあいさつに来てくれたんだよ。ボクのお気に入りの彼女がやめちゃったので、これからはキミを贔屓にしようかなと思ってね。一度きりだから、覚えてなくても当たり前だよ。」

「そうだっけ?ありがとう、よろしく。」

明るい茶目っ気のある性格が伺える。初めてではないにしろ、それに近い状態でも人見知りせずにケラケラと話しかけてくれる。しかもタメ口だ。

タメ口については、ボクは別に気にしない。メグもそうだったし、ボクも気兼ねなく話ができる。以前からの友だちみたいでいいじゃないと思う。


「この店に入って、もうどれぐらいたった?」

「そうねえ、三週間ぐらいかな。」

「もうお店の雰囲気に慣れた?お客さんも何人かついた?」

「まだまだよ。でも目標があるから頑張るんだ。」

「どんな目標?」

「それはまだ言えない。」

新人の女の子に固定のお客さんがつくまで平均どれぐらいかかるのか知らない。でも現在一番人気と言われる嬢でも、半年はヘルプばかりに回っていたという。


指名客がないとき、嬢は指名がかぶっているお客さんのシートにつき、一人ぼっちにさせないサービスにつく。これをヘルプという。

指名客が付くか付かないかで、給料の査定がかなり違うらしいので、嬢はヘルプに回ったり、フリーの客を相手しているときに自分を売り込む。

馴染みの客がいない入店当初は、フリーの客回りやヘルプに回ること多くなるのはある程度は仕方がない。あとは彼女たちの努力次第といったところか。

だからと言って、ボクの作戦は客のついていない新人だから上から目線で攻めようなんて姑息なことを考えているわけではない。

新しい気持ちで臨むことに意欲を感じているのであって、最終的に彼女をどうこうできる訳でもないので、単に新鮮な気持ちを楽しみたいだけなのである。

が、所詮はキャバクラの客なので下心が無いと言えばウソになるけれど。


「ねえ、ミイちゃん。」

と言って、彼女の顔を見つめる。

「ボクも男だから、こういう所へ来るとただのスケベなおじさんだからごめんね。」

と言って抱き寄せる。

「なんで謝るの?いいんだよ。普通だよ。」

「じゃあ、エッチなことして癒してくれるかな。ボクはおっぱい大好き星人なんだ。」

と言って彼女のセクシーな衣装の上からやや控えめの丘陵に手をかぶせていく。

同時に彼女の唇にボクの唇をかぶせる。

これがミイとのファーストキスとなった。記念すべきキスである。

まだ、ソフトな感じで唇だけを合わせ、お互いの呼吸を確認し合う。

そして、ボクの合図を待っているかのように、そっと目を閉じてボクの呼吸の様子をうかがっている。

次に、首筋から胸元へ唇を這わせる。神秘的な香りが印象的だ。

「ヴァニラなの。ミイのお気に入り。」

「なかなかいいんじゃない。ボクも気に入ったよ。」


ミイはその顔立ちでもわかるとおり、ハーフの女の子である。母親がフィリピン人らしい。子供のころは自分がハーフであることに一種のコンプレックスを持っていたということだが、大人になるとそのことが強みになることの方が多くなったという。今では、最大のセールスポイントとしているらしい。

ヘルプでよく来ていた頃は、明るくて人懐っこくて、笑顔でおじゃべりする女の子だった。ずっとそんな印象を持っていただけに、ボクの腕の中で抱かれている今のミイは、その姿の面影もないぐらい淑やかだ。

日本男児が求める女性像の姿そのものと言ってもいい。見目姿がハーフなだけにそのギャップはとてもエキゾチックでエロチックである。


そんな彼女に少なからず一瞬のトキメキを覚え、図らずもドキドキする感覚を覚えた自分に驚いた。ボクが彼女に心動いた瞬間である。


やがてボクの手は彼女のわずかな衣装の内側へと忍び込んでいく。丘陵の頂点に到達すると、少し硬化な碑を発見する。指先でコリコリと動かすと、女神の小さな吐息が漏れる。さらに二本の指でその碑を挟むようにして弄ぶ。

「んんん。」

僅かで小さな声だったが、嬉しい反応がボクのサディスティックなハートを揺さぶる。

指先の振動にじっと耐えながらその身を任せ、次の呼吸を待っている。

「もう少し攻めてもいい?」

ボクが聞くと、少しおびえたような目で、

「どうするの?」と聞いてくる。

返事をせずに、強引に彼女の唇を開かせるようにして、舌先の挨拶を求める。

ボクの意図を察したのか、観念したかのように唇をそっと開く。

やがてボクの舌先は、彼女の温かくて柔らかな口腔内のビーナスに辿り着く。そしてボクのあいさつに心から応えてくれるのである。ゆっくりとしなやかに。


ここでボクの心の中の主が、ボクの頭の中の主に教えてくれる。

・・・勘違いを起こすなよ・・・と。


ミイは決してボクのことを好きなわけじゃない。そう、これが彼女の仕事なのである。

好意的にあいさつに応えてくれるのは、彼女の優しさからくるものだろう。

メグとのやり取りの中でそこそこ本気になってしまっていた部分もあり、大人気ない気持ちを少なからず持っていたことに反省していた。


それにもかかわらず、彼女の反応に対してやるせない気持ちになったボクは、彼女の心に探りを入れる。

「ねえ、ミイちゃん。例えばキミのプライベートで、ボクぐらいの年齢の恋人ってあり得る?」

少し首をかしげ考えながら答えた彼女の言葉は、

「ううん?やっぱりないかも。」

ストレートでいい回答だ。ボクが望んでいた回答でもある。

しかし、お店側としてはノーだろう。少しでも客の気持ちを引き寄せるには、嘘でもここは「あり得る」と答えるべきである。

事実、ボクはメグのそれらの言葉に翻弄され、店に通い、心を痛めているのだから。

一度心を痛めているボクにとっては、ミイの回答こそ正解である。

もう一度「あり得る」などという言葉を聞いた時点で、二度と彼女を指名することはなかったかもしれない。


そんなところは臆病なくせに冒険だけは大好きだ。

子供の頃はロビンソンクルーソーやガリバーの冒険記を何度も何度も読み返した。読んでいるときに自分も冒険している気持ちになれた。だから男はみんな冒険をするものだと思い込んでいる。

では、臆病なボクが今からミイに何を望んでいるのだろう。臆病な輩の冒険などたかが知れている。ミイという小さな国をどのように自分向きに造り替えていくか、そんなわずかながら少しアブノーマルなことを考えていた。


彼女は普段の見た目と腕の中での姿にギャップがあり、笑顔が素直に可愛い。性格については、これからボクなりに分析していくこととしよう。

そのためにはコンタクトをつなぐ手段が必要である。彼女はボクの名前を知らない。ホットラインを結ぶために必要なのは連絡先の交換である。

名刺を渡して彼女にボクの事を「ヒロさん」と呼ぶように伝え、さらに付け加える。

「メグがいなくなってからメル友がいなくなってね。彼女、客のメールアドレスを全部破棄してしまったみたいで、もうボクのアドレスではつながらないんだ。だから、ミイが新しいメル友になってくれないかな。三回に一回ぐらい返してくれる程度でいいよ。一人もんだから女性との会話がないと淋しくてね。」

ちょっと下から見上げる目線でお願いする。

「全然いいよ。ミイでよければヒロさんの新しいメル友になってあげる。」

ケラケラと軽いノリで応えてくれるあたりは彼女らしい。

これで第一段階は終了である。この日はボクが彼女を思い出して再会した初めての夜。あまり唐突なことはできないし、するつもりもなかった。名刺を渡して連絡先を伝えるという目的は果たせたので、この店での楽しみをある程度堪能したのちに今宵は別れることとした。つまり、この日がボクとミイの物語の発端となったのである。


次の日、さっそく彼女からメールが届いた。

「『ブルーノート』のミイです。これからよろしくお願いします。」

何ともあどけない内容だ。ボクの気持ちはますます心弾む。

猫に鰹節という諺があるが、基本的に女好きなボクは新しいミイという鰹節の魅力を見つけたようで楽しい気分だ。この調子だとメグのことなどすぐに忘れられそうだ。



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