肌はヴァニラの香に匂いける

旋風次郎

第1話 プロローグ

ボクが彼女を最初に見かけたのは、当時ボクが時々通っていたセクキャバのフロアだった。

当時のボクはメグというお気に入りの彼女にぞっこんで、月に2回ぐらい、のめり込み過ぎない程度に通っていた。

お気に入りのメグは、顔も体も性格も趣味もボクにとって理想のタイプで、年齢差さえなければ本気で真剣な恋をしていたかもしれない。そんな女の子だった。

本編の彼女はこのメグではない。

ボクのメグが他のお客さんに呼ばれて席を離れているときにヘルプで来てくれた女の子のことである。

彼女の名前はミイ。由来はまだ知らない。もちろん本名ではないだろう。いずれ尋ねることもあるかもしれないが、またそれは後日に。



ミイが初めてボクのシートにやって来たのは、ぞっこんだったメグに会いに来ていた三月の中旬、公園では梅の花があちらこちらでお客さんを呼び込んでいる時期だった。


「初めまして、ミイです。今週から入りました。よろしくお願いします。」

初めての挨拶は皆一様にシートの前で片膝をついて名刺を渡すことから始まる。

「そうなの。夜の仕事も初めて?」

「初めてなのでとても緊張しています。膝の上に乗っていいですか。」

そういってボクの膝の上にちょこんと座り、少し緊張気味でいる彼女に、ありがちな問いかけをする。少し震えているところが可愛い。

このお店のヘルプ嬢は、客の膝の上に乗るように教育されている。あるとき別の嬢にその理由を聞いてみたが、どうやら密着してよりエロい雰囲気を出すためらしい。

ミイの顔立ちは、かなりオリエンタルチックな堀の深い、印象に残る風貌だ。それでも緊張していると言いながら、笑顔で話しかけてくれるところに好印象を受ける。

こういう仕事をするうえでは笑顔で話しができることは基本中の基本かもしれない。

「年はいくつ?」

ありきたりの質問だが、ボクはたいがいの嬢に年齢を聞く。特に若い子には。

それなりの方に年齢を聞いて失礼にあたってもいけないので、そのあたりは客側も注意が必要だと思う。

「このあいだ二十六歳になりました。」

メグよりも二つ上か、いい年齢だ。少なくともボクの子供たちより年上なのに安心した。

正直なところ、ボクにも娘がいるが、娘より若い子が相手になると、途端に罪悪感に襲われる。なんだかいけないことしているみたいで。

そういう点からいうと、二十六歳という年齢は、娘はおろかその兄たちよりも年上になるので、おおらかなボクにとっては、完全に恋愛対象となる年齢にランクアップする。

現実的にはそれもどうかなというのが一般論かもしれないが。



ボクの名前はヒロシ。通常ヒロさんと呼ばれている。仕事はフリーのライターで、妻とはすでに離婚している。仕事柄、仲間たちと色々な遊びに謳歌していたが、お堅い奥さんにはその遊びが耐えられなかったようだ。子供は三人いるが、最後の子供が高校を卒業したときに、三行半を渡された。

今はお気楽な五十路の独身貴族である。その後、奥様は実家へ戻り、娘もそれについて行った。息子たちはすでに独立しており、親の手からは離れている。もう、お互いに干渉する間柄ではなくなっていた。



そんなボクの唯一と言ってもいい享楽が、たまに立ち寄る御馴染みのキャバでお気に入りのメグといちゃいちゃして時間を過ごすことだった。

仕事以外に大した趣味を持たないボクは、普段の休みは洗濯と掃除と買い物で追われていたし、割と面倒臭がりの性格が、あまり仲間を作らない生活環境を形成していた。

面倒臭がりの性格だから。お気に入りのメグともお店以外で付き合うこともなかったし、そうなることを望んでもいなかった。

そんなボクが思いもよらない体験をするとは、この時は誰が想像していただろう。ボクさえもその兆候をあらかじめ発見することはできなかった。

ミイと逢うまでは。




暖冬と言われた冬が終わり、春の足音が聞こえていた三月も末を迎え、客を呼ぶ花が梅から桜に代わるころ、急な知らせがボクを襲った。お気に入りのメグがお店を急に辞めることになったのだ。

メールで知らせをもらったボクは、その数日後に店を訪れたが、メグの姿はもうそこにはなかった。

なぜ辞めたのか、辞めた後どうしているのかなど知りたくて、他の馴染みの嬢にも聞いてみたが、なかなか詳細を教えてくれない。本当に知らないのか外聞を憚っての事か。

ボク自身、所詮はたまに顔を見せる程度の客なので、それを知ったところでどうすることもできないだろうが、やはり淋しいのは事実である。

それに、たまにとはいえ、メグを目当てに楽しみに来ていたボクの時間はどうすればいいのだろう。

急に春の冷たい風が首筋をかすめていくようだ。

人がいなくなるってこんなに淋しいものだったかと思う。妻と離婚したときすら、こんな淋しい思いをしなかったのに。



元来面倒臭がりのボクは、ここでの楽しみを他の店で味わうことはない。新しい店に挑戦することも、探してみることも面倒なのである。

そんなことしなくても、この店の嬢はおおよそ仲良くなっているし、また、新しい店で自分の居場所を作るのは大変だ。

ボクがメグの辞めたことを確認しに行ったときには、仕方なしに別の馴染みの嬢と時間を過ごしたが、やはり満足することはなかった。それ以上に、何らかの違和感をもって帰宅した。ますます寒さを感じるほどに。

心のどこかにぽっかりと穴が開いたような、こんな気持ちはドラマでしかないのだろうと思っていたのに、まさか自分がこんな気持ちになるなんて思いもしなかった。

そんな春の始まりだった。



そして、ここから物語の本編が始まるのである。



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