加害者は?

綾上すみ

第1話(完)

 本日稼働開始の新作音ゲーの初日来場者特典は太っ腹だ、という悠斗くんの話だった。悠斗君のうちは門限が厳しく、日付をまたぐ外出は禁止。そこで、私は駅前のカフェのおいしい焼きたてクッキーを条件に、彼に代わって近くのゲームセンターにやってきたのだった。

 この提案をするのも、実は勇気がいった。私から悠斗くんを誘うことが苦手だった。自分から、何か提案をすることにはすごくためらいがあるけれど、今回は自分にしてはよく提案できたと思う。悠斗くんに告白されたのはひと月ほど前のこと。いつまでも引っ張ってもらってばかりではいけない。

 おずおずとこの提案をした時の悠斗くんの、これ以上ないというほどの明るい笑顔が、胸に沁みついていた。それが私を、心のうちからぽかぽかと温めていた。そわそわして、わくわくして、家にいても落ち着かなかった。それで私は夜十時くらいに、母親に友達の家に泊まりに行く、と告げて家を出た。授業がある。けれど朝七時開店のゲームセンターに入り、一回分だけプレイしてから急いで大学へ向かえば、一限目には間に合う計算だ。

 漫画喫茶で適当に時間をつぶしたのちにゲームセンターに向かえばいいと思っていた。適当に取った漫画が案外面白く、気づくと日付が変わってもう二時間半ほどたっていた。会計を済ませて夜の街をゲームセンターのほうへと歩く。熱中しすぎな、と反省する思いもあるけれど、どうせそれほど列が混むでもないだろう。悠斗くんが口にした音ゲーは、聴きなじみのないタイトルだったし、そもそももっと夜が更けてからこっそりと家を抜け出してくるつもりだった。夏も盛りの湿っぽい空気が私を包む。寒いかなと思って長袖のシャツを着てきたが、それを今更になって後悔していた。精いっぱいまで腕をまくって二の腕を外気にさらすと、少しは涼しく感じられた。ぬるい風も、人体に纏わりつく熱気を飛ばしてくれる程度には役立つ。

 ゲームセンターに着いたのは午前三時だった。まだ暗いし、さすがに私が一番速かったらしい。店のシャッターの前に座り、よどんだような蒸し暑い熱気に身を投じる。うちわを持ってくればよかったかな?

 時折風が吹くのを楽しみにした。大学に入ってからようやく覚えた、不思議な夜風の感覚が、私にはなんだか新鮮に感じられる。風がやむと悠斗くんのことを思い浮かべる。グッズを渡すとき、彼はどれだけ喜んでくれるだろう。その優しい笑顔を思い浮かべると、胸がきゅうっと締め付けられるようだ。

 また風が吹く――のではなかった。人の気配だ。三人連れの男の集団がこちらにやって来ていた。と、一瞬で、私のすぐ近くまで距離を詰められた。

「ねえ君」

 三人とも、黒い帽子とマスクをしていた。三人のうちで特に背が高い男が、明らかに私を見つめてそういった。恐怖を感じる、その前に、残りの二人が私を囲むような位置に立っていた。マスク越しに、酒のにおいがした。

「君、ちょっと一緒に遊ばない?」

 全身に、地の底から響くような震えが来た。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ。そう分かっているが、足が動かない。逃げろ! 足は震えて動かない。大声はどうだ。口を開いて喉を震わせ――むせたような吐息が漏れるだけだった。うしろに回っていた男が、私の二の腕に触れ、柔らかさを楽しむように何度かもんだ後、力を籠め、強引に私を引っ張った。列に並んでいる人たちに、どうか気づいてほしかった。気づいて、助けて。声にしなきゃならない。もがいて、暴れて、様子のおかしいことを伝えなきゃ。そう考えれば考えるほど、心の奥底が震えて体の自由が奪われていった。

 身の危険を感じて大人しくしたのではない。それを選択したのではない。縮こまってなすが儘にされる以外の以外に選択肢がなかった。

 三人の男に連れられて、人通りの少ない路地裏に連れ込まれる。まず、手提げのカバンをあさられ、中身が次々とまき散らされた。化粧品のポーチが泥にまみれるのが見え、スマートフォンの画面が割れる音がした。

 男たちは終始無言でことを運んでいった。あたりに荒い息遣いだけが響く。男たちの間で細かい役割分担ができており、手練れた印象があった。可愛らしいキャラクターがプリントされたファイルが背の高い男の手に渡ったとき、彼らが私の私物を物色していることはどうでもよくなった。

「へえ、彼氏さんかい」

「さ、触らないでください」

 その汚い手で、彼との思い出の写真を触られたくなかった。

「こいつは、興奮するねえ」

ちら、と男はこちらにそれを見せてくる。その時私に、罪悪の感情が押し寄せた。

 ごめんなさい。お母さん、嘘を言って夜遅くの危ない時間に外出してごめんなさい。悠斗くん、あんな提案をしてごめんなさい。全部私が悪い。私が深夜のゲームセンターの列に並ぶと言ったとき、はじめ悠斗くんの表情はどうだったか。決して嬉しそうではなかった。私に女としての自覚が足りなかったのが悪いんだ――。

 私の財布の中身を確認して不満そうな表情をした背の高い男が、目顔で残りの二人に指示を出す。ここでようやく、目だった反応をしなかった残りの小太りの男が私に近づいてきた。黒のチノパン越しにもわかるほど、股間が盛り上がっていた。男は少し身をかがめ、ホットパンツ姿の私の露出した太ももにそれをこすりつけてきた。ただただ怖さが私の脳を占めていた。

 彼らがズボンを下ろし、衣服を脱がされた。抵抗しようという気持ちは完全にそがれていた。なぜなら、私は自分も悪いと思い込んでいたからだ。

 下半身を裸にされ、男が性器を挿入してきた。男は乱暴に動いたため、痛みが大きく、私はほとんど叫びに近いうめき声をあげながら、なすがままにされていた。

「おいあんたら、何しているんだ!」

 と、そちらを見ると、警察の帽子をかぶった二十代くらいの男の人が仁王立ちしていた。それほど背は高そうではないが、私にとってはとても頼れる、大きな存在に見えた。彼に続いて、三人の警察官が駆け付けてきており、ズボンをはきなおす暇もなく、男たちは白旗を挙げた。顔色が一切変わっていないのが、とても恐ろしかった。

「いや僕たち同意の上でやってるんで――」

「それにしても、野外でやることではないだろう、署まで来てもらうよ」

 男たちはおとなしく彼らに同行した。私のもとに、はじめの若い警察官が近づいてきた。

「本当に、同意はしていないよね?」

 非常に自分勝手な思いが私を占めた。相手も業務の遂行のためそれを尋ねたのだろうが、まずは「大丈夫だったかい、怖かったね」という言葉をかけてほしかった。


 警察署で男たちの聴取が行われている間、私は帰宅してもよかったが、この時間に帰宅することは母親にばれたくなかった。幸いにも数時間で終了するというので、取り調べに必要な書類に事項を記入したあと、空き部屋で待機させてもらった。

 私は先ほどの自分に対する事情聴取を思い出していた。はじめ、婦人警察官が話を聞いてくれた。事件の詳しい状況、同意をしていないこと、などを事務的に聞かれた。むしろそれが心地よかった。ひたすら犯人に対しては怖いという思いだけだった。あまり感情的な面を詮索されたくない。

 しばらく待たされたあと、子供が成人していそうな年頃の男性警察官が部屋に入ってきた。

「犯人の顔を見て、本当に彼らがやったのか確認してほしい。顔を合わせるのもいやだとは思うが、取り調べに必要なことなんだ、協力してくれるか」

 有無を言わせない雰囲気。私は無言でうなずいて、席を立った。

「災難だったね」

 男たちのもとに向かう途中、彼は先ほどの雰囲気と打って変わって、明るい調子で声をかけてきた。私は性犯罪の被害者だ。重い罪を働かれた身としてではなく、軽く接してくれるのはとても嬉しかった。

「あの、えっと。今回の件に関しては、私も悪いっていうか。夜中に女一人で外出するなんて危ないですよね」

 彼は笑って、何も答えなかった。言外に私の言葉を否定しているかのようだった。その瞬間、私の心には温かいものが満ちた。警察署にやってきてから、初めて覚えた安堵だった。

「犯人とはもう顔も会わせたくないだろう。けれど、これが最後だから、何とか耐えて見てほしい。頼むよ」

「はい、わかっています」

 犯人のいる取調室にまで来ると、さすがに緊張した。何もしてこないとわかっていながら、やはり怖さはあった。というより、この事件ではすべて私が悪いかのように錯覚してしまう。そのとき、一番の敵は自分自身と化す。自分が一番、自分の弱いところを知っている。

 扉を開けると、はじめて私たちの前に姿を現した若い警察官が待っていた。

「では、犯人の確認をしてもらいます。乱暴なことは起こらないからどうか安心して下さい」

 その警察官は、彼よりまた一回り若そうな警察官と何やら話し合っていた。年長のほうが、後輩をたしなめていた。

「申し訳ない。取り調べが少し長引いていまして。もう少し、ここで待っていてくれませんか」

 私は、待たされる焦れと戦わなければならないのか。何を言っても仕方がないので、うなずいた。

 そうした中で、廊下をパタパタと走ってくる音が一つ。取調室の前で立ち止まると、警察官に許可を取って扉を開けてきた。

 母だった。そういえば書類の記入事項の欄に、実家の電話番号の欄があった。

 母は部屋の中で私の存在を認めると、ものすごい剣幕で迫り寄ってきた。

「あんた、友達の家に遊びに行くって言ったわよね」

「……はい」

「なんでこんなところにいるのよ! こんな目にあったのは、あんたの責任でもあるのよ! その自覚はあるの?」

「ごめんなさい……」

 ごめんなさい。ごめんなさい。私が悪かったんだ、すべて。深夜に歩いて、二の腕を露出して男の人を誘惑した、私が悪かったんだ。

「まあまあ、その辺にして」

 取調室まで一緒に歩いた警察官が言った。彼の表情は変わらなかったが、それが私に落ち着きを与えた。

「お巡りさんからも、何か言ってやってください! こんなこと、娘にも責任があるに決まっているじゃないですか」

 若い警察官は、何も答えなかった。

 また一人入ってきて、若い警察官に耳打ちした。

「犯人の準備ができたそうです。一人一人連れてくるから、確認をお願いします。私一人が立ち会いますので、残りの方は退出願います」

 あくまで機械的に若い警察官は言った。彼より若い警察官が、去り際私に、

「君はまだ若いし、容姿も綺麗なんだから、もう少し安全に気を配ったほうがいいよ」

「ごめんなさい」

「気を付けてほしい。最悪、命を落とすことになるんだからね? 頼むよ」

「ごめんなさい……」

 その警察官が、母と中年の警察官を連れて退出した。

 すこしだけ怒りの感情がわいていた。完全に悪いのは相手なのに、なぜ私が責められなきゃいけないの。そういう思いも、私はうち殺す。私のせいだ、警察の人も言っている、私のせいだ――。

 一人ずつ、犯人が入ってきた。彼らは犯行時帽子をかぶりマスクをしていたが、至近距離でその顔を見たためはっきりと判別できた。彼らは私を犯そうとした三人に違いなかった。

 三人ともそろって無表情だったが、私を見たとたん頬にやや朱がさした。彼らは私になにを想っているのだろう。ああ、また罪悪感の波が押し寄せる。私が彼らを誘惑したのが悪い――。


 次の日、悠斗くんは目をキラキラさせながら、特典グッズを私にねだった。私はすがるような思いで、彼に深夜に起きたことを洗いざらい話した。

「……はっきり言って、お前にも責任があると思うよ。俺、はじめは拒否したじゃん。やっぱり深夜に女の子が一人で……っていうのはそれなりのリスクがあるよ」

「……そんなの分かってる。悠斗くんも、私が投げかけてほしい言葉をわかってくれないんだね」

「え……どうした?」

 私は黙って悠斗くんから離れた。すぐに後悔が押し寄せる。ごめんなさい。こんな態度をとってしまってごめんなさい。レイプされて……ごめんなさい。

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