試練編

第25話 【Side:ブレイブ】最悪な一日の始まり

 夕暮れの図書室。二人きりの、いつもの図書室。


「ブレイブ君はファナさんのことが……好き、なの?」


 黒髪の少女が僕に問いかける。


「いや、その……ファナは幼なじみで妹みたいなもので、好きとかじゃ……」


「ウソ。妹とキスしないよね?ファナさんのこと好きでないなら、わたしと……キスできるよね?」


 黒髪の少女は真っ直ぐに僕の目を見て言った。その頬はうっすらと朱がさしていた。


「キスって……ウソ!?」


 ずっと、密かに恋焦がれていた彼女がいま僕に顔を近づけて来る。かつての僕はブサイクだったけれど、今の僕なら彼女と並んでもきっと釣り合うだろう。瞳を閉じた彼女の素顔は夕焼け色に染まっている。そして、その唇も……


「月島さん……」


◇◇◇


 そして最悪な一日が始まる。


 そう、全てが夢であった。懐かしい夕暮れの図書室に月島さんとエルフの俺が居る姿は違和感しかないのだが、夢の中では何の違和感も感じなかった。夢って不思議だよな。


 まぁ、何が最悪の一日かと言うと……夢の中で俺は愛しの月島さんにキスをしたのだった……が、現実は、俺は起こしに来たパチャムに寝ぼけてキスをしたのだ!


 男同士でキスだなんて……。まぁ、一番の被害者はパチャムなのだが。昨晩の苦いファーストキスの直後に男同士でのキスって!?ともかく、このことは二人だけの秘密となった。


 昨晩のこともあり俺はどんな顔でファナに会えば良いのか悩んでいた。パチャムやキューイには悟られないよう平常心でいつも通りに振る舞うつもりだが、肝心のファナがどうかな。それだけが心配だった。


 しかし、俺の心配は杞憂に終わる。みんなと合流すると、当のファナからはいつも通り明るい挨拶が返ってきた。そんなファナにパチャムが口を開く。


「ファナ、今日からは決まりを守って行動してよね。」


 未成年の飲酒をはじめ規律違反の無いようファナに釘を刺すパチャムだったが、ファナからは意外な反応が返ってきた。


「当たり前だよ。気を引き締めていかないとね!バックアップ頼むね、パチャム、キューイ。ブレイブ、無理はしないで行こう!」


 てっきり反発されると思ったパチャムは面食らう。でも、ファナからまっとうな言葉が聞けて満足したのか、パチャムから昨晩のような不機嫌さは無くなった。


 俺はファナに耳打ちをする。


「昨晩のことでパチャムと口論になるかと心配したけど、よく耐えてくれたね、ファナ。」


「ん?昨晩のこと?」


 目をぱちくりするファナの反応に違和感を感じる俺はファナに確認をする……更に小声で。


「それでさ、昨晩はそのこと……何か照れるな。」


「照れる?何かあったの?」


 ファナから出た台詞に感じた違和感の正体に気付く。コイツ、覚えてないのか?ウソだろう!?


「昨晩のことはどこまで覚えてるんだ、ファナ?」


 ファナは思い出す素振りを見せる。


「エール酒を2~3杯飲んだあたりまでは覚えてるんだけどね。今度はブレイブも一緒に呑もうよ。」


 やっぱりだぁっ!アレは酒の勢いでのことで、よもや記憶がないだなんて。そうなると俺のことを好きだと言ったのも怪しい。残っているのは俺の中の甘酸っぱい記憶と……酸っぱいファーストキスの味だけかよ。


 とりあえず、昨晩の情事は俺の胸の中に黒歴史として封印しようと決めた。生まれて初めて彼女ができたと思ったのになぁ〜。


◇◇◇


 ともあれ、いよいよ開戦への作戦が開始される。敵である魔獣王の国ゴーファンに向けて進軍するにあたり、中隊単位でいくつかのルートを進むこととなる。


 俺たち冒険者総勢30人で構成された第21中隊は山あいのルートを進む。山道であり野生のモンスターとの戦闘も想定される。


 まぁ、これだけ手だれの冒険者集団ならどんなモンスターが襲い掛かってきても余裕だろう。案の定、出会ったモンスターは俺たちが手を出す前にベテランの冒険者が瞬殺してくれた。何というヌルゲー。


 しかし、そんな楽観こそが瞬殺されてしまう!


「うわっ!な、何だ!?」


 急な突風が吹き荒び、明るかった空が一気に暗くなる。天を仰ぎ見た者はあまりにも急激な状況の変化に全員が戸惑う。


 天から降り立ったのは……あろうことかありえないような巨大で漆黒のドラゴン!


 誰ともつかず漏れたその畏怖の念に満ちた名を知らぬ者はいないだろう。


「『暗黒龍ダルクシュレイヴァ』!!」


 まさに恐怖が舞い降り、誰もが茫然とその姿を眺めていた。


 巨体が大地に降りた衝撃は激しい地震となり、全員が立っていられず倒れ伏す。間髪入れずに暗黒龍は長く硬い龍鱗で覆われた尻尾を横に薙ぐと地面に倒れた隊列先頭の冒険者たちが一瞬で見るも無惨な形で朽ち果てる。


 悲鳴を上げて逃げ惑う者や腰が抜けてへたり込む者がいる中、勇敢にも暗黒龍に立ち向かう者も多くいた。冒険者の鑑と言えよう。しかし、その多くは暗黒龍の規格外な一撃で呆気なく命を失った。


 幸いにして俺たち初心者の冒険者はしんがりに位置し、暗黒龍の凶悪な攻撃を免れることができた。しかしそれだけのことだった。何をする訳でもなく俺は、俺たちは目の前の惨状を呆然と見ていた。そこに珍しく通る声で話しかけるキューイ。


「ここまでだ。俺は逃げる。命があればまた会おう。」


 俺たちはその言葉に反応できず、ただ走り去るキューイを眺めていた。いつも的確に状況を判断し指示をくれたキューイの突然の逃亡が目の前の危機が致命的であることを物語っていた。でも俺たちはただ焦り冷静な判断はできなかった。


「ブ、ブレイブ、どうしよう?」


 いつも以上に情けない声で語り掛けるパチャム。しかし、俺もまた頭が真っ白で何も言えずにいた。その真っ白な頭に久々に聞く声が響いた。


「(主よ……このビリビリとした嫌な気配で目覚めたぞ。一体どうしたらこんな最悪な状況になるのだ?)」


 声の主はアイスソード。


 手に入れた地下迷宮で眠りについて以来、久々にその声を聞いた。目覚めたら暗黒龍が目の前に居たのだ。アイスソードもさぞ驚いたことだろう。


 やはり俺は何も言えずにいた。

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