第13話 老紳士とオウム

※お題、春 字数制限は無し。


春の陽気にさそわれて、町をそぞろ歩くことにした。少し行くと修道院があり、その敷地の周囲にぐるりと桜が植わっている。修道院を囲む道を挟んで住宅地が広がり、車の通行がすくないので散歩には恰好である。調子よく足を運んでいたのだが、わたしはふと足を止めてそれをみた。ある家の玄関さきに置かれた籐の椅子と空の鳥籠。


 数年前にもこうして歩いていた。その頃、あの椅子には老紳士が座っていた。そしてその傍らにはいつも鳥籠が吊り下げられていた。そのなかから、


「オアヨ、オアヨ」


 と、呼びかけてきたのは緑の羽根が鮮やかなオウムであった。くるりと湾曲した嘴の上、額の羽毛は赤く体長は四十センチから五十センチぐらいで、鳥籠が狭そうに見えた。オアヨ、と言われて立ち止まったが最初は何を言っているのかわからなかった。


「やぁ、オアヨうございます」


 傍らの老人から挨拶されて、おはようの事らしいと気づいた。八十歳ぐらいだろうが、背はしゃんと伸びていて立ち上がるとわたしより背が高いのでなかろうか。むらのない白髪と面長な顔、白眉は長くのびふわふわとしていた。穏やかな物腰の紳士といった風情の男性である。


その日は挨拶だけして通り過ぎたが、その日以降晴れた日に散歩に行くたびに老紳士とわたしは挨拶をして、段々と世間話をするようになった。天気の良い日はこうして門口に座って数時間、過ごしているのだという。そのときオウムについて、彼と話したことが頭に残っている。


「こいつはねぇ、もう四十歳になるのかなぁ」


 長生きだとは知っていたが、実際に四十歳を越えるオウムは見たのは初めてだった。そう言われると鳥特有のくりんとした眼に知性が宿っているように見えるのが不思議である。わたしよりも長く生きている、のかと感心していると、オアヨ、オアヨ、と喋り始める。他にも何やら言っていたが何故かオアヨだけが頭に残っている。


「僕は若い頃は船に乗っていたんだよ。シンガポールに寄港したときに、市場でこいつを見つけてね。船旅の友人になってもらったんだ」


 彼はそう言って長年の友人を紹介するように照れ臭そうにする。自分もオウムも年寄りになって、どちらが先に召されるのかねぇ、と笑った。わたしも釣られて笑う。


「外国生まれの友人とは羨ましい、ですね」


 わたしの言葉に目を細めて彼はにっこりする。シンガポール生まれのオウムと日本生まれのわたし達、考えてみるとここで我々が出会っていることが不思議な縁に思えた。それから桜が咲いて散り、初夏が過ぎるころにわたしは仕事の都合でこの町を離れた。彼らとはそれっきりである。


 数年ぶりにこの町に戻り、空の籐の椅子と空の鳥籠を見るまでわたしは彼らを忘れていたのだ。わたしは記憶のなかで彼らの視線を追う。見上げるとそこには桜の蕾が膨らみひかりを浴びて小さな泡のように薄桃色が滲んでいた。空の鳥籠の扉をそっ、と持ち上げてみる。そうか、もう旅立ったのか。あの澄み渡る空はシンガポールにも続いている。あちらにも桜はあるのだろうか。わたしは、オアヨ、と口の中で小さくつぶやいた。それを春風がさらっていく。

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